第51話

文字数 2,206文字

  芽留(める)副院長に続いて階段を駆け上がり屋上へ出ると、空は曇り空で風が強く、物干し竿にはバスタオルがはためいています。
 少し高台に建つ病院の屋上からは街並みが綺麗に見えます。手前の公園の樹々の間から街並みが見渡せる場所に一つだけ小さなベンチがポツンと置かれています。
 ベンチの前には2メートル程の高さのフェンスが、ぐるりと屋上全体を囲んでいて、フェンスの外には出られないようになっています。
 が、そのフェンスの向こう側に、先ほどお見かけした裕子(ゆうこ)さんのお兄さんが座っています!
 フェンスの先はマンションのベランダのように少し幅がありますが、その先はもちろん何もありません。 
 裕子さんのお兄さんは、まるで夏休みに田舎の家に帰って縁側でくつろいでいるような姿勢で膝から先を投げ出して座っています!
 ここ城山病院は病棟が7階まで、8階は研修などを行う広いフロアになっており屋上は9階程の高さです。
 そこから落ちたらーーーー。

 芽留副院長は慎重に裕子さんのお兄さんに近づいていきます。

桜川(さくらがわ)さんの息子さんだよね?
先程妹さんにお父さんの病室まで案内されてるところを見かけたよ。
私は和夫さんの主治医の芽留です」

 話しかけられた裕子さんのお兄さんは驚いたように後ろを振り返りました。
 お兄さんが座っているフェンスの先は1メートル程の幅があるようには見えますが、私はお兄さんが動く度、バランスを崩して落ちてしまうのではないかとハラハラしてしまいます。
 街並みを正面から眺めるように座っていたお兄さんは、フェンス越しに芽留副院長を正面に見るように正座すると、深く頭を下げました。

「父がーー、そして妹が大変お世話になっています。
すいません、お忙しいのに僕みたいな者のためにお騒がせしてしまってーー」

「桜川さん、とりあえず、こちらに戻ってきてくれませんか?
話はゆっくり聞きますからーー」

 芽留副院長はそう言うと、フェンス越しにお兄さんを見てぎこちなく笑いました。

「もう少しーー。
もう少しだけここにいさせてくださいーー」

 思ったより落ち着いているお兄さんを見て少し安心したのか、芽留副院長はお兄さんと向かい合うようにベンチに腰掛けました。

「名前聞いてもいいかな?」

「ーーーーコウキです。
光輝くと書いてコウキです。
説明するのも恥ずかしいです」

「光輝君か。
お父さんがとっても心配していたよ。
ご自分のことよりーー。
息子が心配だから1日も早く退院しないといけないんだってーー」

 光輝さんは再び芽留副院長に背を向けると、城山病院から街並みを眺めています。

『昔の僕を見てるみたいです』

 芽留副院長の側に私と並んで立っている津川さんが、ボソッと言いました。

『どうしても朝起きれなくて仕事行けなくなってーー。
付き合ってた彼女にも愛想つかされて、そのうち外にも出られなくなって、ずっと一人で狭いアパートの部屋に閉じこもっててーー』

「おっ、雨ーー」

 芽留副院長の言葉で空を見上げると、ぽつぽつと雨が降り出したようです。
 私たちソウルは雨に濡れることはありませんが、芽留副院長と光輝さんはぽつぽつと降る雨に徐々に体を濡らせていきます。

『死んじゃったらーー。
死んじゃったら確かに楽になるかもしれない。
けど、光輝君には心配してくれる家族がいるじゃないかーー』

 津川さんを見ると、怒ったような、でも今にも泣き出しそうな顔をしています。
 その時の芽留副院長の言葉に私と津川さんはとても驚きました。

「光輝君、君には見えないし聞こえないと思うけど、今、私の近くにおともだちがいるんだーー」

 光輝さんは首だけを動かして芽留副院長と、並んで立っている私と津川さんを見ました。が、もちろん彼に見えるのは芽留副院長だけなのでしょう。

「おともだちっていうのは小さい頃から私が呼んでいる呼び名で、普通は幽霊とか霊とか呼ばれている人たちのことなんだけどーー」

 光輝さんは首を傾げて芽留副院長を見ていましたが、すぐにまた正面を向き直し、静かに街並みを眺めています。

「信じるか信じないかは君次第だけど、私は昔から霊と言われている人たちが見えてね、声も聞こえる。
彼らはね、まるで、生きている人たちと同じようにそこにいるんだ。
小さい頃は普通の人との区別がつかなくて、私はよく彼らと遊んでたんだ。
おともだちって呼んでね。だけど、普通の人たちには彼らが見えないもんだから気味悪がられてねーー。
母親にさえ薄気味悪いから側に来るななんて言われて、随分と辛い思いをした。
幸い父方の祖母が優しい人で僕を引き取って大事に育ててくれたんで、今こうして生きていられるんだけども。
まあ、今でもどこへ行っても充分変わり者だって言われてるみたいだけど、この、人とは変わった性質のおかげでこうして今、君のところまで辿り着いたわけだ」

 そこまで話すと、芽留副院長は立ち上がって屋上入口近くにある自動販売機で缶コーヒーを二本買うと、光輝君の前まで戻ってきました。そして、白衣の左右のポケットに缶コーヒーを一本づつ入れると2メートルあるフェンスをよじ登り始めました。
 フェンスをよじ登る音に振り返った光輝さんが驚いて振り向くのと同時に向こう側に着地した芽留副院長がバランスを崩しーーーー。
 
「危ない!!」

『キャーーーー!!』

『落ちるーーーー!!』

 三人同時に叫びました。
 私は両手で目を覆いその場にしゃがみ込んでしまいました。
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