もう一度やり直したい その3

文字数 1,359文字

 薄かったとはいえ、相当量の水割りやサワーを飲んでいた僕たちは、カラオケ店を出た時には、もう充分ヘベレケになっていた。慶子ちゃんも、相当に出来上がっていて、僕に肩で担がれながら店を出てきた程だ。

 田中さんが、女性陣の為にタクシーを呼び、慶子ちゃんは、洋子ちゃんや明美ちゃんと一緒に、やって来たタクシーへと乗り込む。そして、タクシーのドアが閉まる直前、慶子ちゃんは僕に向かってにっこりと微笑んだ。
「じゃ、バイバーイ。私との約束、絶対、忘れないでね~」
 そう手を振る慶子ちゃんを乗せたタクシーは、しっかり男三人を店の前に置き去りにして、音を立て走り去って行ったのだった。

「彼女ら、相当ストレスが溜まっていたみたいですね……」
 カラオケ店内では、ずっと大人しく酒を飲んでいた田中さんがポツリと呟いた。何となく、分からないでもない。
「色々あるんでしょ。僕も帰りますよ」
 そう言って僕は先輩たちと別れ、JRの駅とは反対方向、本町駅の方に向かって、ふらふらと歩き始めたのである。

 少し行って、郵便局を越えた辺り、正面の暗がりに、僕は誰かが立っていることに気が付いた。そして、それは、僕が今、一番会いたくない人物だった。
「ど、どうしたの?」
「連絡がつかないので、会社に行ってみたら、課長さんがカラオケだって言うから、ほんの少し夕涼みも兼ねて待ってたのよ」
 ほんの少しの訳はない。課長は必ず定時で帰る。だから、課長と話した後からだったら、少なくとも、二時間近く、ここで待っていたことになる。
「お楽しみだったみたいね。とっても」
「公主、ちょっと待って。誤解、これは恐らく誤解だから……」
 なんて言い訳が通じる訳もない。僕は体が吹っ飛ぶ程の平手打ちを覚悟した。いつも光臨派の坊主が喰らっているあれだ。

 しかし、彼女はそれをして来なかった。
(どうして?)
 僕は無茶苦茶、怒られるのを覚悟していた。正直、言い訳の仕様がない。僕は彼女との約束を、馬鹿げた合コンに出席して、あっさりとすっぽかしてしまったのだ。
 ちょっとくらい怪我したって良かった。何か、そうして貰えば、僕は少し罪の意識から解放される様な気がした。しかし、彼女はそれをしなかった。 
 そうなってくると、逆に、僕の方が寧ろイライラしてくる。そして、つい、最近溜まってきた不満が口をついて出てきてしまう。
「大体、公主は最近、僕を拘束しすぎじゃないですか? 公主だって、今までキス魔とか、色々してきたんだし」
(彼女は怒って怒鳴る筈だ)
「家来だ、家畜だって言っても、僕のプライベートだって少しは在っていいでしょう?」
(光臨派にする様に、僕を蹴とばす筈だ)
「公主は前世がプリンセスだったから、命令ばかりするのが普通ですよね。おまけに無敵の大悪魔様だし……」
(さすがに怒る筈だ)
「確かに、そうかもね。じゃぁ、さよなら。及川君……」

 結局、彼女は平手打ちどころか、怒りの声も上げなかった。そして、そのまま僕に背を向けると、彼女は本町の方へと小走りに走り去っていったのである。
「何だよ……」
 僕は暫くの間、そこに立ち(すく)んでいた。

 ひどく酔っぱらった僕が、彼女を追いかけたとしても、走り去る彼女に追いつくことは出来なかっただろう。でも、その夜、彼女を追わなかったことを、僕はずっと悔やむことになる。
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