月宮盈は人間か? その4

文字数 1,511文字

 その時、突然、準備中だった筈の「ジェイジェイ」の入口のドアが開いて、三人の男女が傾れ込んできた。
 店に入って来たのは、初老の元気そうな男性二人と女性一人。僕は未だ話したことは無いが、この店に来ているのを一度見掛けたことがあり、彼らが何者であるかは、彼女から大体聞かされていた。

「マスター、準備中の看板、営業中に変えておいたぜ」
 そんな強引なことをするのは、「ジェイジェイ」の常連で、本町白幡商店街にある電機屋の主人の中村さんだった。彼は赤ら顔で体育会系のノリの小父さんで、中々声も大きく、何時も豪快に笑っている人だそうだ。
 中村さんは僕の方にスタスタとやって来ると、突然、僕の頭を拳固で叩いた。
「小僧、お前だな、盈ちゃんの彼氏ってのは。お前のせいで、盈ちゃん、俺たちと付き合ってくれなくなっちゃったじゃねえか」
 中村さんはそう言って笑いながら、いつもの席である奥のソファに座った。
「中村さん、苛めちゃ駄目だよ」
 マスターは中村さんにそう注意してから、「お客さんが来たから話は終わりにしよう」と、僕に小声で囁いた。
 その声を掻き消す様に、入口の方から女性の大声が聞こえてくる。
「そうだよ、あんた、盈ちゃんを泣かしたら承知しないからね」
 そう言って、中村さんの後から来たのは、岡本さん。岡本さんは、数年前まで商店街で本屋を営んでいたそうだが、今は経営を息子に任せ、楽隠居の身と云う元気のいい小母さんだ。
 そして、最後に入ってきたのは前原さん。彼はファッションブティックの店主で、白髪交じりの学者風な人だ。前原さんは何も言わずに、人が好さそうに笑いながら、黙って二人と同じテーブルの席に着いた。
「マサシ君。どうする? 今日は奢るから少し飲んでいかない?」
 マスターの誘いに、躊躇(ためら)うことなく、僕は飲んでいくことを承諾した。

 確かにマスターの言う様に、彼女は人間なのかも知れない……。
 彼女は何だかんだ言って、決して人を殺しはしない。自分を狙っている凶悪な謎の僧侶たちでさえもだ。
 でも、彼女は殺生を決してしないと云う訳ではない。生きた魚も平然と調理して食べるし、蚊がいれば、それを何の躊躇(ちゅうちょ)なく叩いて潰せる。
 明らかに彼女は、人間と云う種族を他の種族とは別なもの、殺してはいけない特別なものとして区別している。
 僕たちは人間だから、同族を殺すことに嫌悪を持つのは当然だろうけど、彼女が別種の悪魔であったならば、これは考えて見れば異常なことだと思う。
 彼女は人間と云うものを、僕たちと同じように自分の同胞として定義しているに違いない。そう、彼女の無意識は、人間と別種族の悪魔ではなく、人間そのものなのだ。
 彼女は、大悪魔と云う種族として、自分を位置付けている様だけど、人間である自分が存在していることも、きっと気付いているに違いないと思う。
 恐らく彼女にとって、大悪魔か人間かと云うのは、自らのアイデンティティに関わる重大な問題なのだろう。それも、彼女自身には結論の出せていない。
 だから『人間っぽい』とかは、彼女の神経をひどく逆撫でする表現なのかもしれない。それを僕は軽々しく訊いてしまった……。
 そして、彼女の人間関係。
 月宮盈としての戸籍、家族、人間としての過去の記憶。これも彼女にとっては、どう扱って良いか、答えが出しきれていない、大問題に違いない。
 大悪魔として自己認識する彼女にとって、人間だった頃の(しがらみ)は、もう消えてしまって欲しいものなのだろう。だが、それは同時に、彼女の深層心理の中で、決して忘れてはいけない大切なものでもあるに違いないのだ。

 僕は、彼女を傷つけてしまったかも知れない……。悪いことをした……。謝ろう。
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