全て、受け入れよ その2

文字数 1,877文字

 何時の間にか、僕たち二人は静かな住宅街を歩いていた。
 西新宿の喧騒や救急車か消防車のサイレン、そんなものが、ずっと遠くに聞こえている様な気がする。そう、何か全てが忘れ去った遥か昔の思い出の様に。
 晴れ渡っていて、夜空には高く小さな満月。青白く明るく、アスファルトの舞台を照らす照明の様だ。そして、どこからか、月下美人の甘い香りが漂ってくる。

 僕は話しを切り出しづらくて、ずっと黙って歩いていた。そして今、決心をし、歩きながら話を、やっと切り出したのだ。
「公主、契約のことなんですけど……」
 彼女は、少し先にある小高くなった人気(ひとけ)の無い交差点の真ん中まで、黙って一人、速足で先に進んでから、僕の方に振り向き、少し寂しそうに微笑んだ。それは、スポットライトを浴びて、ソロで舞台を務めるトップダンサーの様だと僕は思った。

「そうだな、仕方ないな。今度ばかりは、マサシも、本当に命が危なかったものな。分かった、もう使い魔の……」
「公主、また前と同じことを……。人の話の腰を折らないでください」
「マサシだって、今、人が話しているところを(さえぎ)っただろうが!」
 僕は何となく笑ってしまった。
「公主、その話し方は、もう()めたらどうですか? 悪魔キャラ、もうちょっと、無理がありますよ」
「マサシが使い魔でいてくれる間くらい、これで良いだろう」
「はいはい。じゃぁ、ずーとそのままでいてください。でも、公主って、本当、最初と印象違いますよね。って言うか、毎回印象が変わってきているみたいな……」
「恐らく、幾度となく人間に憑依し続けた結果、数多くの人格を内包して、多重人格になってしまっているのだろう……。だが、普通の人間だって大した違いはない。こんな人……などと言うのは、それは他人の勝手な思い込みだ」
 僕は失礼な事を言って、話を切り出すタイミングをまた逸してしまった。

 僕たちは何となく、無言のまま、人気(ひとけ)の無くなった道路を歩き続けて行った。

「契約のことなんですけど」
「……」
 今度は彼女も僕の話の腰を折らない。それはそれで、話しづらいと僕は思った。

「今朝、孔雀サボテンの鉢を持ってきたんですよ。これは昼に赤い花が咲くんだそうですよ。月下美人みたいな花が……」
 今日の朝か……、何かずっと昔の様だ。
「それは、楽しみだな。しかし、最近はダイエットも上手く行っていないのだ。昼にまで咲かれると、いよいよ(まず)いな。生気の取り過ぎに注意しないと」
 そう言えば、確かに僕たちは、初めて逢った時から比べると、ことある毎にキスをしている様な気がする……。

 僕がふと彼女の足を見ると、彼女は裸足のままだった。
「公主、裸足のまま来たんですか? おんぶでもしましょうか?」
「大丈夫。足の裏を固くしているから……。慌てたもので、光臨派本山で、靴を履くのを忘れて来てしまった様だ」
 どうも、上手く切り出せない。僕は自分の頭をポリポリと掻いた。

 彼女の足元には、今、薄水色の羽根をした、大きな蝶がとまっている。
「きれいな蝶ですね……」
「いや、これは蛾だ。調べたのだ。オオミズアオという種類の蛾だそうだ。『ジェイジェイ』の近所では結構見かけるのだが……、東京の副都心にも、ちゃんといたのだな」
「で、契約のことなんですけど」
「……」
 僕はここ一番の勇気を奮った。恐らく、これまでの僕の人生で一番の勇気だ。
「あ、悪魔と人間の契約だけじゃなくて、あの……、人間と人間の契約も考えてはくれませんか? そのぉ、耀公主では無くて、月宮盈さんと云う人間として、一緒に僕と暮らすなんてどうかなって。いえ、別に今すぐにって話じゃなくて……。こっちも、指輪とか、まだ何も用意できてないし……。心の片隅にでもいれて、ほんの少しだけでも、検討してくれたらなって、思っているのですが……」

 水色の羽根をした蝶、いや、オオミズアオはふっと飛立ち、少し近くを彷徨った後、月に向かって飛んで行ってしまった。新たな世界を求めるかの様に……。
 僕がその姿を目で追っていると、僕の視界の外から、彼女の声が聞こえてくる。
「月は……」
「月?」
「月は日に依って姿を変える。満ち、欠けを繰り返し、新月、眉月、上弦、満月、十六夜、立待月、居待月、寝待月、下弦と……。
 その姿は、昨日とは決して同じではない。同じ月齢でも、季節が変われば、月の姿は同じではない。そして、季節が同じであったとしても、年が違えば、またその姿は変わってきてしまう。だが、いずれも本当の月であって、これが本物、これは偽物と云う訳ではないのだ」
「……」
「だから……、
 全て、受け入れよ」
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