もういいよ その1

文字数 2,037文字

 攻撃の度に、氷の大悪魔の返り血が彼女の顔面に降り掛かっていく。何か、奴の皮や肉までもが、その赤い物の中に混ざっている様に僕には思えた。
 僕は、氷の大悪魔が背を向けていたことに、少なからず感謝している。大悪魔とは云え、小さな子供達には、その時の奴の顔など、見せたくはなかったのだ。

 血に酔うと云うものなのだろうか?
 僕には良く分からない。だが、いつもの彼女とは明らかに違っている。何か、今の彼女は行動に全く余裕がない様に僕には思えた。
 いずれにしても、もう勝負はついているんだ。もう、止めさせなくては……。

 僕は闘いを止めるべく、前に出て仲裁の役を買って出た。
「公主、もういいよ」
 彼女、いや、耀公主は、手を止めて(にら)み返し、僕に命令した。
「マサシ、何をしている! 動けなくなっている三人の大悪魔に、(えん)を使って(とど)めを差すのだ!」
「公主、そんな……。それに、珠はもう割れちゃったよ。大事なものを、ご免ね」
 それを聞いた耀公主は、蔓を(ほど)いて氷の大悪魔の右手を開放した。支えを失った彼はその場に崩れ落ちていく。
「ならば、私が(とど)めを差す」
 耀公主は、氷の大悪魔の身体を踏まない様に、脇に歩を避けて、僕の方へと歩き始めた。だが、用があるのは僕ではない。彼女は僕に一瞥もせず擦り抜け、ゆっくりと二人の幼児の方に向かっていた。
「ちょっと待ってよ、二人とも子供だよ。それに、岩男君は僕のことを、ずっと守っていてくれてたんだよ」
 彼女は振り向きもせず、冷たく答える。
「それでも、こいつらは大悪魔だ。こいつらを生かしておくと、何人もの人間が喰われる。退治しておかねばならない」
 僕は小走りに彼女を追い抜き、後ろにいたお嬢を抱きかかえた。
「岩男君、君も逃げるんだ! 今、公主はどうかしちゃってるみたいだ!」
「駄目だよ、お兄さん……。動けないんだ。兄ィ達と戦っている間に、僕にも気付かれないうちに、お姉さんは僕に罠を掛けていたみたいなんだ。手を上に挙げることさえも、今の僕には億劫なんだよ」
 耀公主の能力の一つに『動き難くする』と云うものがあった。恐らく岩男君は、気付かないうちに、その術に掛かっていたのに違いない。
 岩男君の足は小さく震えている。もう既に相当の質量に変えられているのだろう。
「さぁ、ボ◇◆〇、苦しまない様に、ひと思いに首を落としてあげよう」
 耀公主の右手の人差し指と中指は、すーっと長く伸びて、既に黒いサーベルの様な形に変形していく。
「岩男君、固くなって、取り敢えず、自分を守って……」
「それも駄目だよ……。お姉さん、僕の技を使っているよね。炎の兄ィの技も使っていたし、重くしたのは師匠の技だよね。多分、お姉さんは、僕らみんなの技を使えるんでしょう?」
 結構、岩男君は鋭い。
「皮膚を固くしても、焼けた左手で死ぬまで撫でまわされちゃう。動けない状況でそれをやられるのは、殆ど拷問だよ……」
「フフフ、そんなことはしない。近づけば、お前は皮膚を突起させて、私を刺し貫く心算であろう?」
 岩男君の舌打ちが聞こえてきそうだった。だが、それに続く彼女の台詞で、少年の表情も少なからず引き攣った。
「剣でもあれば、火炎剣としてお前を攻撃してやるのだがな……。鉄パイプがあれば、それを焼きごてにして、お前にくっつけると云う手もあるぞ。あるいは、石を赤くなるまで熱して、それを投げつけると云うのはどうかな? どうだ? お前に近づく必要など、私には、どこにも無いのだ。このまま、首を切られる方が、ずっと楽だとは思わないか?」
 返り血を額から滴らせながら、残虐そうに下目使いに近づいてくる耀公主の姿は、炎の雲の照り返しもあって、さながら悪鬼の様だった。
「よし、いい子だ。固くなっても無駄なことが分かったようだな。直ぐ済む、安心しろ」
 僕自身、どうしてそんなことが出来たのか、分らない。只、気が付くと、僕は両手を広げ、彼女の前に立ちはだかっていた。
 彼女なら僕を攻撃しない……。
 そんな自己満足な自信があったのかも知れない。簡単に云うと、僕は開き直ったと云うことなのだろう。
「どけ、マサシ……」
「嫌ですね。こんな公主、公主じゃない」
「どけと言っている。邪魔するのであればマサシと言えども……」
「僕と言えども、どうするんですか? 殺すのですか? どうしたんです? 僕は人間だから殺さないんですか? この子たちは、何も悪いことをしていないんですよ。でも、大悪魔だから殺すんですか?」
「マサシ、理解しろ。こいつらが悪い奴だからと云う訳ではないのだ。存在することが、人間の生存を脅かすのだ。人間が肉を食べると豚や牛が死んでいく様に、こいつらの生存が、そのまま人間の死を意味するのだ」
「公主は、随分と人間の味方をするのですね? そうすることで、自分が人間になれるとでも思っているのですか?!」
「私は人間になど……」
「そんなことしたからって、公主が人間になれる訳がない!」
「……」
 彼女の目は、寂しそうなものに変わった。
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