絶望と結婚

文字数 1,540文字



 外へ出たとたん、大声で(わめ)き散らしながら暴れたくなった。どうにかこうにか自宅にたどり着くと、獣のように吠えながら手当たり次第に物を投げつけた。いくらもしないうちに、ハリケーンが過ぎた後のような惨状になった。
 投げるものがなくなると、今度は声をあげて泣いた。泣きながら、自分のみっともなさにあきれはてた。
 こんなやつに、大事な娘をやれるわけがないよな。
 もっと早くに覚悟を決めておくんだった。
 そんな後悔など、なんの足しにもならなかった。

「それで、引き下がったの?」
「ごめん。ほんとうにごめん」
 春人はすわりこんだまま、頭を下げる。
「いやよ! ほかのだれかと結婚するなんて絶対いや!」
 梨花は泣きながら春人の背中をゆすった。春人は呪文のように、ごめんと繰り返すばかりだ。
「ねえ、お願いだからあきらめないでよ」
「ごめん。でも、俺には無理だ」
 それを聞いたとたん、梨花は悲痛な絶望の声をあげた。いやだいやだと駄々をこねる。その梨花を春人はだまって抱きしめた。ふたりで抱きあって、子どもみたいに泣いた。梨花は自分の出自を、春人はおのれの不甲斐なさを呪って。どれくらいそうやって泣いていたのだろう。涙が枯れて、春人はようやく梨花を離した。ふたりとも、精も根も尽き果てていた。そして、あの父親の前に自分たちができることなど、なにひとつないのだとあきらめてしまった。
「ごめん。俺がもっとしっかりしていればよかった」
「わたしなんかと付き合わなければよかったわね。ごめんなさい」
「梨花のことは忘れないよ。ずっと大好きだから」
 それからふたりは、涙まじりのキスをして別れた。

 しばらくの間、梨花は父とも母とも顔を合わせないようにした。食事も別々にして、自分の部屋に閉じこもった。ささやかな抵抗である。母は
「圭太さんはやさしいし、気づかいもできるからいいだんな様になるわよ」
 慰めにもならないことをいう。唯一、弟だけが同情してくれた。
「春人がふつうだろ? 二十代でねえちゃんみたいな重たい荷物、しょえないよ」
「わたしは重たいのか」
「そうだろ。こんな親父がついてるんだぜ。俺もごめんだな」
「そうか、わたし春人に悪いことしちゃったのかな」
「気にするなよ。引いたのは春人だろう。いい思い出にするしかないじゃないか」
「あんたは、いい人がいたらさっさと決めなさいよ」
「うん、悪いけど教訓にさせてもらうよ」
 ついこの間まで子どもだと思っていたのに、いつのまにかいっぱしの口をきくようになった。
 三週間後に、古川はふたたび訪問してきた。前と同じように母の作ったたくさんの料理を食べ、大仰なティーセットでいれた紅茶を飲み、母の焼いたケーキを食べて帰った。
 梨花はまた駅まで古川を送る。もう結婚は決定事項だった。
「今度はふたりで食事に行きましょう。それから休日には出かけましょう。どこがいいですか。映画? テーマパーク? それともショッピング?」
「行くんですか? テーマパーク」
「……そんなには行かないかな」
 梨花はふふっと笑った。
「無理しなくてもいいですよ。もう逃げませんから」
 そういうと、古川はすこし驚いた顔をした。
「受け入れてくれたのはうれしいけど、だいじょうぶ?」
 梨花はうん、とうなずいた。それを見る古川はすこし複雑だ。だって、それあきらめた顔じゃないか。まあ、いますぐは無理か。常務はカタはついた、といったけれどそれが強引だったのは想像がつく。同情しないわけじゃないが、それならば自分といっしょになって後悔させなければいいのだ。
「じゃあね、圭太さん」
 駅に着くと梨花がいった。はじめて名前を呼ばれて古川は驚いたが、すぐにうれしそうに笑った。
「うん、またね。梨花さん」
 半年後、ふたりは盛大な結婚式を挙げた。
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