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「え?」
 マイからなぜ父の話が出るのか。
「コンサルさんがいってたんだけど、梨花がひとりでも暮らせるくらいの収入を得るようにしてほしいって頼まれたんだって」
「ええ……」
 父の援助の仕方がわかりにくい。離婚も視野に入れているということか。転ばぬ先の杖を用意してくれたんだな。さすが、常務。ありがたく受け取っておこう。
 マイとケンイチは渡米の準備をはじめ、主な経営は梨花に移行する。
手狭(てぜま)だな」
 事業が大きくなって、人の出入りがふえるとサロンが狭くて使いにくい。さらにケンイチのところに来る男性客が来にくくなってしまった。
「思い切って移転したら?」
 あっさりとマイがいう。
「これからは梨花の好きにしていいわよ」
 コンサルがエスティシャンを紹介してきた。大手サロンから独立したいのだそうだ。ふたりで大きめの物件を借りれば、家賃も安く済むだろうという話だ。シェアハウスならぬシェアサロンである。
 それもありか、と不動産屋をあたってみればちょうどいい物件がみつかるものである。しかも目黒というおしゃれな街だ。築年数が少々古く、駅からも少々歩くが、手ごろな家賃である。エスティシャンもこれには大乗り気だ。
「はじめてのサロンが目黒なんて夢みたい」
 もちろん梨花も文句はない。リフォームが終わるのを待って、マイとケンイチが渡米するタイミングで引っ越しだ。
「引き継いでくれてありがとう」
 新しいサロンを見に来たマイがしみじみといった。
「こちらこそありがとう。自分はずっと会社勤めだと思ってたわ。経営者なんていまでも嘘みたい」
 梨花がそういうと、マイはにっこりと笑った。
「がんばってね」
「うん、マイさんも」

 晴天の羽田空港。梨花と香苗に見送られて、マイとケンイチを乗せた飛行機はニューヨークにむけて飛び立った。梨花は三十五才になっていた。

 どうやら梨花には商才があったらしい。コンサルの手が離れても、確実に業績をのばしていく。タトゥーサロンがなくなったので、客層は女性オンリーだ。サロン内は女性受けするような清潔感とやすらぎあふれる空間となっている。新宿の雑居ビルからおしゃれタウン目黒に移転したことで、新たな客層も生まれている。
「いいねぇ」
 自分好みのインテリアが施された店内を梨花は満足げに見わたした。マイが抜けた分のネイリストを補充し、さらにまたひとり追加する予定だ。梨花自身はネイルチップの制作と経営に専念するため、香苗を店長に据えて大方をまかせてある。
 さらにエステサロンの納入業者から化粧品メーカーを紹介してもらって、リカコレクションオリジナルのハンドクリームとネイルクリームを開発した。
 べたつかずに、さらっとしているのにちゃんとしっとりもする。何度も試作を重ねてようやく満足できるものができあがった。それなのに売れ行きはイマイチで、梨花はとてもがっかりしたのだ。価格設定も千二百円とそれほど高価でもない。サンプルもつくってあちこちに配ったのに反応もイマイチ。
「いい匂いがしたらいいんじゃないですか」
 香苗の意見に、梨花はなるほどと、ひざを打つ。メーカーからいくつか香りのサンプルをもらい、ネイルのお客さんと、エステのお客さんにも協力してもらってアンケートを取った。
 残ったのはローズと、ハーブ系のアロマ。香りのサンプルをまたお客さんに嗅いでもらった。結果はローズに軍配が上がった。できあがったローズの香りのハンドクリームはとても好評だ。
 ふしぎなことに、そうなると今度は無香料のものがほしいという声が上がる。相乗効果というのか、二種類とも売れ行きがいい。
「じゃあ、アロマの香りも作ったらいいじゃないですか」
 またしても、香苗の意見に梨花はひざを打つ。BLUEMOONのハンドクリームは三種類になった。
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