文字数 1,336文字


 一眼レフのファインダーをのぞく顔はかくれているけれど、間違うはずのないその人。少し上を向いて、青空をバックに桜吹雪を撮っているのだろうか。その肩の線。あごから喉仏にかけた線。カメラを持つ手に浮かぶ血管まで、夢にまで見た、熱く恋焦がれたその人だった。最後に会ったときとすこしも変わらない。
 そういえば、スーツ以外の服ははじめて見るな。きょうは休みなんだろうか。ブラックジーンズに黒いパーカー。半開きのジップの中は、鮮やかなスカイブルーのカットソー。斜めにかけたボディバッグ。スーツもかっこいいけれど、こんなカジュアルな恰好もすてきだな。
 夢をみているんだろうか。ぼうっとする。
「梨花さん! だいじょうぶですか? 飛ばされちゃったかと思いましたよぉ」
 のらりとかけられた真紀の声に我にかえった。
「エルフじゃないから」
 苦笑してふたたびその人に、視線を戻す。ファインダーを外れたその人の視線は、まっすぐに梨花に向けられていた。出会ったころと同じ、強い意志を持った切れ長の黒い瞳。
 透。
 その瞳にとらわれて、梨花は動けなかった。
「梨花!」
 透は大股につかつかと、半ば走るようにやってくると、梨花の手をひったくるようにつかんだ。
「梨花」
 そんなに熱のこもった声で呼ばないで。
「わ、わかるの?」
 梨花は及び腰になる。
「わかるさ。わかるよ。わかるにきまってるじゃないか。だって……」
 透は握った手にキュッと力をこめるとふうわりと笑った。
「だって、きみだもの」
 
 横に立つ真紀の頬に血がのぼる。こんな熱烈な愛のことばがほかにあるか。
 わたしお邪魔虫だな。一足先にサロンへもどろう。そう思って梨花の顔を見て驚いた。
 あの梨花が、強気で負けず嫌いで、わたしが一番よ、と豪語する梨花が、少女のように頬を染めてはにかんでいる。色素を失った肌は、鮮やかなピンクに染まる。
 なんだか情事をかいま見てしまったような、見てはいけないものを見てしまったような、そんな気持ちになって後ずさる。そしてそのまま背を向けて足早に歩きだした。
 目頭が熱くなる。
 梨花の結婚生活がしあわせでないのは聞いていた。だから仕事に打ちこんでいるのだと思っていた。店舗を増やし、スタッフを増やし、率先してマスコミに出て顧客を増やし。なんやかんやで買収騒動も収めてしまった。
 それでも、ちっとも偉ぶることはなく、真紀のゲームの話でさえ聞いてくれる。エルフのキャラにもちゃんとのってくれる。
 真紀は梨花が大好きだった。
 なあーんだ、よかった。あんなに情熱的に見つめてくれる人がいたんだ。よかった。
 ヤバい。涙がこぼれる。
 昼下がりの目黒川沿いを泣きながら歩いたら、ヤバい奴だろう。がまんしなくちゃ。サロンまでもうすこし。とうとう走りだした。
 サロンの自動ドアが開くのと同時に飛びこんできた真紀に、香苗はぎょっととした。
「どうしたの?」
 真っ赤な顔で、鼻を(ふく)らませて半べそをかいている。梨花といっしょのはずなのにひとりだし。
「梨花さんは?」
「うっ、うっ」
 走ってきたせいか、泣いているせいか、息を詰まらせる。
「情熱的なイケオジに口説かれてますぅ――」
 やっとそういうと、わあわあと泣き出してしまった。よかった、よかったといいながら。
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