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 トオルがチェックインしたのは、キングの客室だった。梨花はほっとする。正直なところ、ほんの数時間すごすだけだから、ベッドとバスルームだけあれば足りるのだ。梨花からしたらラブホテルでもかまわないくらいだ。
 いままでにスイートルームに通した男がふたりいた。あまり気負われても荷が重い。それにホテルによっては専任のコンシェルジュが在中している。非常に気まずい。
 それを、どうだとばかりに自慢されても気持ちは萎えるばかりである。ところがそういう男に限って梨花の気持なんか気にも留めない。自分のチョイスに酔いしれるのである。そして慇懃無礼な態度で、梨花を怒らせるのだ。ふたりとも、途中で帰ってしまった梨花に腹を立て、翌日「waxing moon」で梨花の悪口をまくしたてたあげく、店から出禁をくらってしまった。当夜のことは口外しないのが暗黙のルールである。それを破ったのだからしかたがない。
 そんな男を見抜けずに、一夜の相手に選んでしまった梨花の落ち度でもあるのだが、梨花に声をかけるのは、洗練された男でなければいけないと、固定観念がついてしまった。
 梨花にとっては迷惑でしかない。声をかけてくる男がへってしまった。声をかけてくるのは、ほんとうにセンスのいい男か、センスがいいと思いこんだやつのどちらかだった。おかげで男を見抜く感覚は鋭くなった。そして、梨花に断られた男は、勘違いヤローのレッテルを貼られて赤っ恥をかくのだった。

 そんな中でもトオルは群を抜いていい男だった。すべてが特別だった。耳元でささやく声も、たまらずこぼれる吐息も喘ぎ声も。重なる唇の感触も、からむ舌の感触も、這う手のひらも、突く指先も、穿つ塊も。神様が梨花のために誂えた特別な男だった。
 とろけるようだった。輪郭すらあいまいになって、とけあって、混ざりあう。それがどこまでもどこまでもフラットに広がりつづけていくかと思えば、いきなりぎゅっと凝縮されて鋭い感覚となって突き刺さる。梨花はその大海原をただただ漂うばかりだ。
 トオルの手が背中を這う。唇が這う。そして梨花の右腰で手がとまる。
「リリィ」
 そうつぶやいて、いとおしくそこをなでる。細いくびれの少し下。鮮やかに浮かび上がったユリのタトゥーは繊細な線に囲われた淡い赤。
「きれいだね」
 そういって、何度も唇を落とした。梨花がリリィと呼ばれる所以である。
 育ちのよさそうな、凛としたたたずまいの梨花のそんななまめかしい場所に刻まれたユリの花は、見た者をぎょっとさせる。そののち、ユリの花は梨花の妖艶さを際立たせ、男たちは梨花に夢中になるのだ。
 トオルが熱い瞳で梨花を見つめる。ため息まじりにリリィと名を呼ぶ。愛と情熱が注ぎ込まれる。いまこのひと時だけは、彼は梨花のものだった。飽くことなく何度も何度も重なりあい、梨花は身も心もじゅうぶんに満たされてトオルの懐に抱かれていた。
 このままずっといっしょにいたいな、と思う。
「夢のようだよ」
 トオルが耳元でささやく。梨花が見上げるように頭を動かすと、抱く腕に力がこもる。
「ずっときみがほしかった。一目見たときからずっと」
 そういって梨花のおでこに頬ずりをする。
「なら、もっと早く誘ってくれたらよかったのに」
「俺は思ったよりチキン野郎みたいだ。断られるのが怖かったんだ」
 梨花はギュッとトオルの肩に抱きついた。
「わたし、待っていたのよ」
 そういうと、トオルはいっしゅん驚いたように目を見開いた。それから愛おしそうに梨花を抱きしめる。
「リリィ。ヤバいな。俺はきみに夢中だ。離したくない」
 でも。
 梨花は肩に回ったトオルの腕をとる。その左手の薬指に光るものををするりとなでた。
「そろそろ帰るわ」
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