ふたたび

文字数 1,611文字


「あいつら、やっぱりBLUEMOONとリカコレクションの名前がほしかっただけだったんですよ」
 苦々し気に香苗がいった。しつこいグループへの参入を断ると、大手チェーン、パールグループはあの手この手、違法ギリギリの手を使って買収に乗り出した。
 そうなると、梨花もだまっていられない。持ち前の負けず嫌いが発動した。連日連夜、顧問弁護士を交え店長たちと額をつきつけ、対策を練り、銀行や会計事務所まで動員して防御に苦戦した。最後には、頭を抱える梨花を見かねた父が、ほんのすこしだけ手を出した。
 官庁に衛生設備の不備を指摘されたパールグループは、そちらの対策にかかりきりになってしまった。連日ニュースにも取り上げられる。社会的信用は失墜し、ネット上ではバッシングの嵐が吹き荒れた。パールグループは火消しに躍起になり、結果BLUEMOONの買収どころではなくなり、すごすごと引きあげていった。
 もともと、そんなに重大な不備を放置していたのが悪いのだが。
「梨花さんのパパ、すごいですねー。口先ひとつで官公庁を動かすとは。さすがもと大企業の取締役」
 真紀が拍手をした。人聞きが悪い気もするが。いや、梨花も驚いた。引退したいまでも、そんな伝手(つて)が生きているとは。それでは、透もこれだけの権力を持つということか。うーん、おそろしい。
 ともあれ、買収騒動は無事に収束をした。残るはいまだにごね続ける圭太である。もうわけがわからない。さっさと別れて、美里といっしょになったらいいのに。加藤に様子を聞くも、あいかわらずふたりで日の目を見ない部署で細々と仕事をしているらしい。
 梨花もかかりきりになっていた買収騒動から解放され、本腰を入れなければと思う。すこし加藤に動いてもらうことにした。

 加藤は、あのふたりをせっついてくれと梨花からの依頼を受けた。離婚をしたいのだと聞いてはいた。それが思うように進んでいないことも。
 ここで自分が動いてうまく離婚が成立したとして。
 どうするんだ?
 野田常務は離婚した。梨花も離婚する。でもおたがいそれを知らない。
 俺が知らせればいいのか? それは余計なお世話だな。だが事情を知っているものとしてはもどかしいな。
 いわれたことだけやれ。
 胸の奥で、八木の声がする。うん、そうしよう。面倒だ。どうにかなるなら、勝手にどうにかなるだろう。
「美里さん、顔色悪いですよ、だいじょうぶですか?」
 総務として出入りしているから、顔見知りではある。とくに顔色は悪くないし、具合が悪そうでもなかったが、加藤はそう声をかけた。人の顔色をうかがうような、おどおどした態度はいつものことである。
「え? そんなことありませんけど」
 美里はきょとんとする。背後に立つ位置を少し詰めてしばらく目を見つめる。すると美里はポッと赤くなる。
「そうですか、でも無理しちゃダメですよ」
 加藤はやさしくささやくと美里の席を後にした。
 ちょろい女だ。八木はそういっていた。やさしくしてやれば、すぐに口を割る。たしかにちょろそうだ。
 八木の正体を知って、圭太はもうだれも信用しないと決めたようだった。が、美里は違う。もういい年なのに、いまだにこうやってだまされる。
 梨花と同い年だと聞いた。が、とてもそうは見えない。梨花の見た目が特殊なのもあるが、それ以上に覇気というか根性というかそういうものがちがっている。
 人の上に立つ者と、人の目を避ける者との違いかな、と加藤は思う。
 二日後、社食で会った美里に、
「あれ美里さん、眠れてます?」
 と聞いた。
「あ、は? なんで?」
「クマができてるかなと思って。気のせいならいいんです」
 クマなんかできていないが。
 こうやって、ひとつずつ不安の種をまいていく。美里のような思いこみの激しい女は、これだけでほんとうに具合が悪くなっていく。
 地道な作業だが、いちばん効果的だ。美里の具合が悪くなったといえば、圭太もあわてるだろう。
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