常務の見栄

文字数 1,165文字


 十年を経るころには、梨花の店はネイルサロンが二店舗、エステサロンが一店舗になっていた。
 父は経営手腕を発揮する娘をなにかと自慢しているらしい。
「きみも来なさい」
 会社の創立百年記念パーティがあるという。
「なぜ?」
「部長以上は、家族も呼べるんだよ」
「わたしは行くいわれはないわよ」
 なぜ、圭太と美里がそろったところに行かなくてはならないのだ。
「きみが行けばサロンのいい宣伝になるだろう」
 それはそうだが。
「めいっぱい着飾ってきなさい」
「悪目立ちするでしょう?」
「だいじょうぶ。みんな承知だ。重役の奥方たちもね」
 なんのことやら。あとから八木に聞いた。どうやら、梨花は夫を寝取られたかわいそうな妻と思われているらしい。それが常務は我慢がならない。だからこの機会に、梨花をお披露目しようと画策したのだ。華やかで美しく、三つのサロンを経営する敏腕実業家として。圭太もその愛人も、梨花の足元にも及ばないと、知らしめるのだ。
 しかたないなぁ、と思いつつ父の見栄につき合ってやることにした。ならば、とことんやりましょう。
 ノースリーブのロングワンピース。深い赤のサテン生地。身ごろはほどよくフィットし、スカート部分にはたっぷりのドレープ。まるく盛り上がった胸とキュッとくびれたウェストが強調される。伸びた二の腕も白くなめらか。エナメルの黒いピンヒール。髪はハーフアップにして、ふだんよりはすこし濃いめのメイク。ジム通いは続けているから、四十五才になったいまでも、引き締まったボディを保っている。前日には自分のエステサロンで全身つやつやに磨き上げてもらった。ネイルももちろん抜かりなし。奥方ウケをねらって、ひかえめなサーモンピンクに白のフレンチネイルだ。一粒だけパールををあしらって。
 ドレッサーの前に立ち、思わず笑ってしまう。
「自己顕示欲の塊じゃない?」
 さて、わたしはどんな顔をして行けばいいのだろう、と梨花は思う。みんな興味津々で手ぐすね引いて待ち受けているのだろうな。夫を寝取られたかわいそうな常務の娘を。
 圭太にはあらかじめ、タクシーで行くから玄関まで迎えに来いと伝えてある。形ばかりの夫だが、エスコートくらいはちゃんとしろと。ついでに、愛人は梨花の視界に入れるなといっておいた。
 たぶんだれもが、妻と愛人のバッティングを期待しているのだろうが、そこまで見世物になるつもりはない。さすがの圭太も、わかったといった。八木からも連絡があった。「重役たちはみんな松島常務の味方だから、奥さんと顔を合わせるようなことになったら大変ですよ。古川さんの立場ももっと悪くなる」とくぎを刺しておいたという。
 少々メンヘラ気質だという美里はなにをしでかすかわからない、危ういところもあったけれど、そこまでいわれたらさすがに行く気にはならなかったらしい。
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