きみしか抱かない
文字数 1,293文字
それからエスティシャンが辞めることになった。結婚、妊娠とおめでたが続いたのだが、双子であるのが判明したのだ。出産後しばらく休んだら再開するつもりだったのをあきらめた。きっぱりと仕事をやめて、双子の育児に専念するという。子育てに一区切りついたら再開するわ、と彼女は笑った。
ふつうだって、妊娠後期になったら中腰で立ちっぱなしはつらいだろうに、双子となったらなおさらだ。相談を持ち掛けられた梨花は、ならばと買い取ってBLUEMOONのエステサロンにすることにした。納入業者の
そのうちにエステサロンを独立して、もうすこし大きくしようかな。
構想はふくらんでいく。
圭太と美里は続いている。それほど本気なのか。出世を捨てて、妻を捨てて。時折八木から連絡が入る。圭太は係長以上の昇進はない。あいかわらず同じ部署で、ふたり息をひそめるように仕事をしている。もはや、噂にもならないらしい。
「依存してるんじゃないですか」
八木はそういう。だれの助けもなければ、おたがいにすがるしかないだろう。
「みじめなものだわ」
梨花は鼻で笑う。
梨花とトオルとの微妙な関係も継続中だ。月に一度か二度、あのバーで会う。梨花は週に一度のペースでバーに通っている。トオルに会わなければそのまま帰る。もうトオル以外に抱かれたいとも思わない。
トオルはどうだか知らない。梨花に会わなければほかの女を抱いているのかもしれない。そう思っていた。
ある日、いつもより少し遅い時間に梨花はバーについた。トオルはいるだろうか。もうほかの誰かと行ってしまっただろうか。すこしドキドキしながらドアに手をのばしたとき、内側からドアが開いた。思わず手をひいて一歩下がった。出てきたのはトオルだった。あっと思った。ほかの女を連れて出ていくのだと思った。でも出てきたのはトオルひとりだ。
「あれ?」
「いま来たの? よかった、すれちがいにならなくて」
そのまま、梨花の腰に手をまわして歩きだす。
「きみが来ないから帰ろうと思ったんだ」
「え? ほかの人は?」
そういうと、トオルは驚いたように梨花を見つめた。
「もう、きみしか抱かないよ。きみ以外は抱きたくない」
梨花の顔にかあっと血がのぼる。そんなことをいわれたら、どれだけ舞い上がると思っているのだ、この男は。
「きみが来なければ帰る、もうずっと」
顔をよせて耳元でささやく。それだけで体の奥が疼く。
「……わたしもよ」
それを聞くと、トオルは満足げに笑ってタクシーを止めた。
けれど、と梨花は思う。奥さんは? 家に帰ったら奥さんを抱くでしょ? 梨花は頭をふる。だめだめ。奥さんのことを考えてはだめ。
あるいは、トオルがここへ来なくなったらこの関係はおしまい。それが飽きてなのか、なにかの事情なのか。それすらも知りようがない。
こういうことを考えてはいけないのだ。偶然会ったときに持つ関係なのだから。
もう、割りきれなくなっちゃったな。
すこしつらい。
それでもトオルとの関係を断ち切る気にはならなかった。
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