閑話 秘書室の雑談
文字数 1,961文字
「ねえ。野田常務、最近やたらと機嫌がいいわよね」
中堅秘書Aがいった。午後のこの時間、秘書室にのこっているのは三人だけ。業務もひと段落ついて、しばしの休憩タイムである。
「そうなのよ。さっきもスマホ見ながらにやにやしてたわ」
そういったのは中堅の野田付きの秘書Bである。
「どうかしましたかって聞いたら、いや別にって。隠しもしないのよ。いつもきりっとしている人なのに」
「……女ですね」
ぼそりと訳アリにいった秘書Cは、若手で秘書室全般のサブを
「なんですって?」
「野田常務に限ってそんなわけは……」
そういった中堅ふたりにCは
「ないといい切れます? 野田常務だってまだまだ男盛りですよ」
といい放つ。
「やだー! そんなの考えたくない!」
「逆に、枯れた野田常務なんて見たくないじゃないですか」
AとBはうーんとうなる。たしかに、あの温厚な紳士の陰に見え隠れするオトコがなんともいえない魅力ではある。
「わたし、見ちゃったんですよ」
Cが、声を
「なにを?」
つられてAもBも声を潜めて三人、額をつきあわせる。
「中目黒で白い美女とふたりで歩いているところ」
「ええ? 白いってなによ! ただ歩いてただけじゃないの?」
「手をつないで」
Cが爆弾を落とした。
「しかも恋人つなぎ」
「……!」
ふたりとも絶句する。
「もう、ただごとじゃないですって。イチャイチャですよ、あれ。あんなデレデレの野田常務見たことないし」
「まじかー! 野田常務もただの男だったかー」
Aがふと我にかえる。
「離婚したばっかりじゃない? 野田常務」
三人が息を詰めた。
「……不倫?」
「それが原因で離婚?」
「まさか、野田常務に限ってそんなわけは……」
クリーンな若手として、取締役に推薦されたと聞いている。実際野田に関して悪い噂は一切ない。
「いつか熟年離婚だと話していたわよ」
Bがいう。
「じゃあ、離婚後つき合いだした?」
「うーん」
「あっ、そういえば爪がピカピカになったわ。ここひと月くらいよ。あれはプロの技ね」
「松島常務もピカピカだったわよね」
「あれはリカさんがやっていたんでしょう?」
「そうか。じゃあ、野田常務のお相手もネイリスト?」
「そんなにたくさん身近にいます? ネイリスト。取締役のまわりに」
またまた三人はうーん、とうなってしまった。
「野田常務を推薦したのは、松島常務よね。つながりはあるわ」
「えっ? じゃあ、リカさん?」
「リカさんは、古川さんとは……」
「離婚していないはず……」
三人ともだまりこんでしまう。
「……ダブル不倫」
Cの口をふたり掛かりで押さえ込む。
「まさかやー!」
「だまりなさいよ! 野田常務に限って、リカさんに限ってそんなことあるわけないでしょ!」
AもBもリカの顧客である。とはいっても梨花自身がサロンには出ていないので、施術するのはスタッフなのだが。そして百周年パーティのときには、写真を撮ってもらっている。つまり梨花のファンである。
それが、いかに相手が野田常務であろうと不倫など納得できない。
「そういえば、白いってなによ」
思い出してAがいった。
「そう! 白かったんですよ。髪も肌も」
「どういうこと?」
「最初コスプレかなにかかと思ったんですが、そうでもなくて。なにかの理由で白いんですよ。髪も肌も」
AとBは脳をフル回転して想像してみるけれど、思いつくのはまふまふしかいない。
「目立つでしょ?」
ようやくAがいった。
「そりゃあもう。野田常務だけでも十分目立つのに、白い美女がいっしょですからね」
「でもそれは、リカさんじゃないわよね」
「そうね、リカさんは白くないわ」
AもBも胸をなでおろす。
「もしかしたら、リカさんつながりのだれかかも」
「……わたし、週末予約しているのよね」
思い出したようにBがいった。
「それを早くいいなさいよ! じゃあ、偵察してきて。サロンに白い美女がいるかどうか」
「わ、わかったわ」
翌月曜日。AとCはいつもより早めに出社して待ち構えていた。
「おそいわよ! きょうくらい早く来なさいよ!」
やっと出社してきたBをつかまえる。胸ぐらをつかむ勢いである。
「どうだった? いた? 白い美女」
「……いました」
「いたの!」
どうしたわけか、Bの歯切れが悪い。
「それが……」
「どうしたの! はっきりいいなさいよ!」
「……リカさんて呼ばれてました」
「!!!」
ふたりが絶句したところで秘書室長が入ってきた。
「はい、おはよう」
三人はぎくりとする。
「お、おはようございます」
「朝から油売ってないで、仕事仕事。常務たちじきに出社するよ」
「……はーい」
「ああ、古川さんはつい先だって離婚したそうだよ。いらぬ心配だったね」
いつから聞いていたのか、たぬきオヤジめ。三人は首をすくめつつも胸をなでおろした。
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