太刀打ち
文字数 1,323文字
待つこと三十分、ようやく見なれた人影が近づいてきた。
「春人!」
直前で呼びかければ、春人はぎくりと立ちどまった。そして、そのやつれように梨花は驚く。
「どうしたの」
この前とまるで逆である。
「……ああ」
そういったきり、口をつぐむ。
「ねえ、どうしたの?」
梨花は春人の腕をつかんでゆさぶった。この時間、人通りはまだ多い。
「一回、中に入ろう」
そういって春人は梨花の手を引っぱってマンションの中に入る。部屋の中に入ってあまりの散らかりようにまた驚いた。ただ散らかっているのではない。まるでなにかが暴れたようだった。いったい、なにがあったのだ。
「春人」
「ああ、ごめん。すわるところもないよな」
そういって、ソファの上を乱暴に手で払う。梨花はその手を止めた。
「ねえ! どうしたの。なにがあったの」
春人はその場にすわりこんだ。
「きみのお父さんに呼び出されたんだ。火曜日に」
あの翌日だ。
「なんの心構えもなくて急に結婚を決めてうまくいくと思っているのか、といわれた。そもそも結婚するつもりもなかったのだろう、ともいわれた」
「そんな……」
会社に電話がかかってきたのは火曜の昼だった。当然仕事の電話だと思って出たのだが、相手は梨花の父親の会社を名乗った。知らない男だったが、わかりますよね、といわれた。有名ホテルのラウンジと時間を指定された。人目につく場所だから、あまりみっともない真似はするなよ、ということか。嫌な予感しかしなかったが、断りはゆるされないらしい。しかたなく重い足取りで出向く。ロビーに入ったところで、一人の若い男に声をかけられた。たぶん春人と同じくらいの年だろう。
春人を見ると、確認もせず「こちらへ」と案内する。電話をしてきた男の声だった。なんだ、すっかり調べがついているのだな。そう思ったら、とてもじゃないが太刀打ちできる気がしなかった。席について間もなく、梨花の父があらわれた。
梨花の父親の話は簡潔だった。
結婚する気もなかったのに、急に縁談が持ち上がって焦ったのだろう。どうせ梨花にせがまれたのだろう。うちの梨花はそんなやっつけで結婚するような娘なのか。なんの覚悟もなくてうまくやっていけるわけがない。
堂々とした風格の梨花の父の前に、春人など蟻ほどの存在でしかない。指先ひとつでひねりつぶされてしまう。まるで勝ち目がないと思った。それでも春人は必死で自分を奮い立たせた。
「梨花さんのことは必ずしあわせにしますから、結婚をおゆるしください」
「きみのいうしあわせは、わたしも納得できるしあわせなのか」
大企業の重役はどんなしあわせなら納得できるのだろう。
「努力しますから」
精一杯の勇気をふりぼった。
「努力しなければ得られないしあわせなど安いものだ」
「梨花にはわたしがいって聞かせる。きみも納得してもらえるね。わかったらもう梨花には会うな」
「……はい」
それ以外の答えはゆるされなかった。
一方的に断ち切られてしまった。土俵にすら上がらせてもらえなかった。情けなくて、悔しくて、恥ずかしくて、みっともなくて、自分がこれほど非力だと思わなかった。大人になって、大抵のことはなんとかできると思っていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)