最終形態

文字数 1,402文字


 それからヨガをはじめた。ぷよぷよの体をなんとかしようと思ったのだが、以前のジムへ通うには体の負担が大きい気がした。左腕はいまだに傷が()れて動きが悪い。ネイルサロンの常連のヨガのインストラクターに勧められたのをきっかけに、体験に行ってみたのだ。
 いざやってみたら、これがとても心地いい。体が自然と伸びる。深く呼吸をすると、血のめぐりがよくなって、なんだか体中が浄化されていく気がした。香苗にそういったら
「そのうちチャクラとかヴィーガンとかいい出しそうですよ」
 といわれてしまった。そこまでのガチ勢になるつもりはない。
 手術からここまで一年半。梨花の最終形態が完成した。

 もうひとつ懸念があった。首都圏を中心に展開する、大手美容チェーン、パールグループからグループ企業にならないかと打診があった。二か月前のことである。
 梨花からすれば、経営を本社まかせにできるというメリットは大きかった。自分で頭を悩ませる必要がなくなる。本社の資本が入れば、商品開発ももっと積極的にできる。オリジナルのネイルカラーも作れるかもしれない。
 そのかわり、「BLUEMOON」「リカコレクション」の名前は梨花の手を離れる。商品開発は、本社の許可が下りないとできなくなる。ニワトリが先かたまごが先かのジレンマだ。
 そして、これから先の経営は梨花が一線を退き、香苗を中心にしていこうと思った矢先でもあった。香苗はマイ、梨花と続いてきた「BLUEMOON」はそのまま継承したいと考えていた。
 せっかくここまで支持を得てきた「リカコレクション」が自分たちの手を離れるのは納得いかない。お客さんを裏切ることにもなりかねない。
 そういわれれば、それもそうかと思ってしまう。
「梨花さんは、よけいなストレスをかかえないでください。わたしたちであとはやりますから」
 そういわれてしまった。
 そうか。では、まかせよう。香苗をはじめとした店長たちと、顧問弁護士に託すことにした。



 梨花と会えなくなってから、一年と少しが経つ。あきらめたわけではない。あきらめられるわけがない。なんとか梨花の消息を掴めないかと、透はあちらこちらに網を張る。
 松島常務と古川にはなんら変わったところはない。いつも通りに出社して仕事をしている。だから梨花の身になにか起きたとは考えられなかった。
 それから「BLUEMOON」のサイトを見るのもすっかり日課になってしまった。臨時休業などもないし、シーズンごとに新作も発表されている。いたって通常営業である。
 透の日常から、梨花だけが消えてしまった。
 こんなことなら、古川ともっと親しくしていればよかったと思う。ツートップなどといわれるから、変に意識して話しにくかったのもある。出世をねらって常務の娘と結婚するという、あざとい手口にも嫌悪感があった。まじめに仕事をこなしていけば、(おの)ずと出世の道は開けると、透は思っていたからなおさらである。
 そして、その後聞こえてきた古川の悪い噂。噂話を鵜吞みにしてもな、と透もはじめは思っていた。だが、松島常務が公衆の面前ではっきりと古川を切ったと話が伝わると、噂は本当だったのかと思わざるを得ない。
 透だって、あえて火中の栗をひろうマネはするわけがない。結果、たまに社内ですれちがった折に、軽く手を挙げる程度の関係になってしまった。
 だって、当の常務の娘が梨花だとは思ってもみなかったから。
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