終焉

文字数 1,241文字


「まさかとは思うが」
 八木が出ていったあと、圭太が口にする。
「さあ、どうかしら」
 梨花は途中でさえぎった。そんなこと、見ればわかるのに、と思う。八木とどうにかなんてありえない。
「だから、さっさと離婚しましょうよ」
 梨花から離婚を切り出したのはしばらく前だが、病み上がりの梨花と、「BLUEMOON」の買収騒動でなかなか話がまとまらない。
 それも圭太が、こんなときに放り出すわけにいかない。と妙な正義感を持ちだしたからだ。その律義さがいまはじゃまなのだ。まったく空気を読まないやつだ。
「パパに対する義理立てももういらないわけだし、ちょうどいい機会じゃない」
「だからって、病気になったきみを見捨てるようなまね、できるわけないじゃないか。再発の心配だってある」
 かまわないのよ。この先自分ひとり、なんとかなるくらいの財力はあるから。この、いまさらごねるヤローを、どう説得すればいいのだ。
「彼女だって、いい年でしょう。いつ病気になるかわからないわよ。わたしみたいに」
 そういうと、なにもいえなくなってしまう。結局ただの優柔不断なのだ。いまさら、別の世界に一歩踏み出す度胸がないだけ。ほら、さっさと腹をくくりなさいよ。

 次女の結婚式を終えて、透は妻の恵子といっしょに自宅に戻った。礼服のジャケットを脱いでハンガーにかけながら、これで親の役目もひと段落と息を吐く。
 常務になってもうじき二年。次女は父親の会社関係者ばかりが集まる大げさな結婚式を嫌って、身内と親しい友人だけのささやかな結婚式を選んだ。
 透にも異論はなかった。べつに娘の結婚式で、(おの)ずとついてしまった自分の権力を見せびらかすつもりもない。娘と新郎が決めた式に透も満足だった。
 おととしには長女が結婚した。もうこの家には自分と恵子のふたりだけだ。ここひと月、次女は新居に泊まることも多かったけれど、それでも翌日には帰ってくるという確証があった。
 でもきょうからは、それもない。
 本来なら、これから夫婦ふたりで老後を楽しもうとか思うのだろうが、透は違う。ここが自分の家族のゴールだ。
 ずっとそう決めていた。
 ささやかだが、しあわせな新郎新婦の笑顔は、自分たち夫婦の終焉にふさわしい。
 キッチンからコーヒーの匂いがする。着替え終わって行くと、恵子がマグカップを出してくれる。
「ありがとう」
 熱いコーヒーをすすると、疲れてぼんやりした頭が冴えてくる。
「おとうさん」
 うん、と生返事をする。
「いえ、透」
 何十年ぶりかで名前を呼ばれて思わず顔を上げた。恵子は微笑んでいる。
「ここまでよね」
「えっ?」
「あなたもそう思っていたでしょ」
 そういわれて、目をつむる。やはり恵子もそう思っていたのか。そうだろうという気はしていた。たぶん、透とは違う理由で。
「これから先は、自由に生きたいの。だれの世話をすることもなくね」
「そうか」
「驚かないのね」
「そんな気はしていた」
 だからこそ自分からいい出して、恵子のいう条件は全部満たしてやろうと思っていたのだ。
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