伝言
文字数 1,178文字
手術は一か月後に決まった。そのあいだに、香苗にすべてを引き継がなくてはならない。「わかりました。あとはまかせてください。ただし! 梨花さんが戻ってくるまでの間ですよ。そのあとは、わたしはまたサブにまわりますからね!」
香苗はこういって引き受けてくれた。それからは、香苗を後継者として関係各所に紹介して回った。納入業者から、銀行、会計事務所、顧問弁護士、等々。
そうしている間にも日々は過ぎていく。あれきりマンションには帰っていないけれど、圭太からは律儀に毎日連絡がある。調子はどうだとか、具合は悪くないかとか、入院のために用意するものはないか、だとか。
いや、いいし。そもそも具合は悪くなかったし、だからこそ気づかなかったわけだし。入院の準備は自分でするし。だいたいこうやってへんに気をつかわれるのがとても気詰まりだ。いっそ放っておいてくれたらいいのに。
もしかしたら、自分が死んだ後のことを考えているのかもしれない。ふたりで、やっといっしょになれるね、とかいっているんじゃなかろうか。
腹が立つ。ぜったい死んでやらない。
そして、毎晩静まりかえった部屋の中でベッドに横になると、思い出すのは透のことだ。やはりもう会えないと告げなくてはならない。でないと、透はあのバーで梨花を待ち続けるにちがいない。この間にだって待っているかもしれない。そう思うと心穏やかじゃない。身をよじるような悲壮感にさいなまれる。
梨花と透をつなぐひどく不安定で
それでも。
それでも、切らなくては。
透のために。
あっというまに二週間が過ぎてしまった。もう先延ばしにはできない。かといって面と向かって告げる勇気はなかった。会うことはできない。どうしよう。
悩んだあげく思いあまって、八木に電話した。
「……おねがいがあるの」
声がふるえる。
「なんでしょう」
緊張が伝わったのか、八木の声もこわばった。
「……伝言をしてほしいの」
「伝言ですか?」
八木の声には戸惑いがあらわれていた。当然だ。ふつうならば、電話なりメールなりすればいいのだから。
「だれにですか」
それでも、八木は事務的に答えた。梨花はふうっと息を吐いた。
「……野田さんに」
「野田さん。どちらの?」
「……財務部長の野田さん」
ん? 野田部長?
「野田部長ですか?」
「そう」
はあっ? という
「……なにを伝えれば?」
つとめて冷静に聞く。
「……事情があって、もう行けないと」
どこにだ! 好奇心がむくむくと頭をもたげる。ふるえる声で話していた梨花はとうとうめそめそと泣きだしてしまった。
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