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「ごめんなさい。あなたにしかたのめなくて……」
「わかりました。ちゃんと伝えますから。ただ、野田部長とは接触する機会がないので、すこし時間をください」
 あやすように話しかける。常務にバレたらヤバいと思いつつも、こんなふうに泣かれたら、無下(むげ)にいやともいえない。
「ごめんなさい。おねがい」
 あの梨花がしおらしい。いつも強気で、自分が世界の中心みたいに思っている梨花が。野田部長、どんな手を使ってこの女ぎつねオンザランを手なづけたのだ。そして二人の関係はなんだ。
「それからパパにはぜったいいわないで」
「わかってますよ」
「バレたら透、野田さんの立場が悪くなるから」
 透! 呼び捨て! そしてバレたら僕の立場も悪くなるけど、それはかまわないんだな。頭の中が疑問符でいっぱいのまま電話を切る。野次馬根性はさておき、ミッションをクリアしなければ。
 八木は総務部所属である。総務であれば、各部署ともかかわりができるので動きやすい。松島常務の計らいでそうなっている。
 けれど、部長となるとさすがに社内では接触しにくい。下手に接触すれば目立ってしまう。そこで、野田部長にすこし探りを入れてみた。
 野田は切れ者である。若いころからツートップを走ってきて部長におさまっているだけはある。圭太とは雲泥の差である。そしてその決断の仕方には、ほれぼれするとみんながいう。
 ギリギリまでひきのばして、これ以上はもう無理と誰もが思ったときに、スパッと結論を出す。それがいつでもきっちりとはまるのだ。いわく、男が惚れる男。
 妻子がいるはずだが、プライベートを話すことはなく謎が多い。もちろんスキャンダルなどあるわけもない。
 古川とは同期だが、接点はほとんどない。だから古川経由で梨花と野田がつながるはずはない。八木と梨花が連絡を取るようになって二十年余り。特定の相手がいた様子もなかったが、これはどうしたものだろう。
 非常に好奇心をくすぐる案件ではあるが、八木は首を突っ込むのはやめた。伝言からして厄介なのは目に見えている。下手をしたら巻きこまれる。手を貸すのはこの一回限りだ。
 野田の通勤は電車である。始業時間少し前に出社する。一日の大半は財務部の業務、合間に社内会議と社外の打ち合わせ。週に二度か三度、ランチタイムの会食。残りは社食。夜も週に一度か二度、接待をふくむ会食。定時に帰宅することはないが、おそくても九時には退社する。帰りも電車である。
 接触するには、このとき、会社から駅までの間しかない。昼間財務部に行ったときに部長のスケジュールをちらりと盗み見ておいた。今日の午後はデスクワーク。終わったらまっすぐに帰宅するはず。七時にはまだ部長の席で仕事をしているのは確認済みだ。
 一足先に会社を出て、駅の途中で待ち伏せをする。ビルとビルの間の路地を曲がったところで、スマホを見ているふりをして時間が過ぎるのを待つ。二時間は待つ覚悟だったが、さいわい、八時少し前に野田部長はあらわれた。
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