秘密のリリィ
文字数 1,538文字
梨花はパッとケンイチを見上げる。じつはずっと気になっていたのだ。圭太の知らないうちに圭太の知らない場所にタトゥーをいれる。それを知っているのは梨花を抱いた男だけ。なんという優越感。なんという背徳感。つい、にやっと笑ってしまった。
「お? やる?」
「ちょっとだけ考えるわ」
結局翌週には、やると返事をした。会社に退職願を出したら、かってにおめでただと勘違いされたが、もはや梨花の知ったことではない。気遣われたり、おめでとうと声をかけられたら、笑って受け流した。
「どんなふうにする?」
ケンイチがタトゥーのデザインを見せる。花がいいな。マイのような繊細な花。タブレットをスクロールする。
「あっ。こんなかんじがいい」
梨花が手を止めたのは、一輪のユリだった。色は淡い赤。ケンイチがこまかくデザイン画を描いてくれる。
「場所はどうする? 内ももなんてかなりエロいよ」
そうは思うが、ケンイチに彫ってもらうとなると、抵抗がある。胸はふろ上がりのキャミソールから見えてしまう。腹だと行為の最中、歪んでしまうな。考えたあげく、腰と尻の境い目あたりに決めた。
施術から一週間ほどでタトゥーは落ち着き、梨花の腰にきれいにユリが咲いた。
ふろ上り、鏡に映してみる。くびれから少し下に咲くユリの花。細い繊細な線と淡い赤。マイのバラのように
梨花は満足してにんまりと笑った。
梨花のユリはなにやら男心をくすぐるらしい。誰が漏らしたのか、いつのまにか梨花は注目の的になっていた。
「腰にあるユリのタトゥーがたまらなくエロいらしい」
ついたあだ名が「リリィ」
なんだかこそばゆい。そんなつもりはなかったのに。ちょっと艶っぽくなればいいな、とは思ったけれど、本当の理由は圭太を見返すため。
「いいオマケじゃないの」
マイがそういうから、梨花もそう思うことにした。
そんな時期にトオルは店に姿を見せるようになった。彼を見かけるのは二週間に一度。その彼が梨花に声をかけてきたのは四度目の遭遇のときだった。
それ以降も顔を合わせれば誘われる。深入りしてはまずいと思いつつ、結局梨花も彼に会うのを楽しみにしている。二週間か三週間に一度。約束したわけじゃないけれど、定期的に会うことができた。梨花がそろそろ来るかな、と思うとトオルは来る。なんとなく気持ちが通じているような気がしてうれしかったし、また会えるという安心感もあった。トオルも梨花の顔をみるとうれしそうに微笑む。おたがいに求めあっているのだ、と確信してしまう。そうしてホテルへ連れだって愛しあう。いまではトオルに会いにバーへ行くようなものだ。
トオルは回数を重ねても、変わらずに情熱的に梨花を愛してくれた。家庭を持ちながらこの店に通ってくる事情は知らないが、少なくともこの時間は梨花だけのものだった。
もっといっしょにいたいと思わなくもなかったけれど、この関係でちょうどいいのだと梨花は思うことにした。連絡を取り合って関係を持ったら、それは不倫だ。意地でもしたくない。圭太とは違う。そこをはっきりしたかった。それにトオルにも家庭がある。トオルも望まないのはわかっていた。
知らないほうがいいのかもな。そう思う。へたにトオルのプライベートを知ってしまったら、彼の妻に、家庭にものすごく嫉妬してしまう。帰宅して部屋着に着替えて妻の作った食事をとる。晩酌もするだろうか。子どもはいるのだろうか。ひとり? ふたり? 男の子? 女の子? 休日には親子でレジャーや買い物に出かけるのだろうか。家族で楽しく笑いあって。
そんなのはいやだ。思うだけで顔がゆがむ。そんな醜い自分になりたくない。
だからこれでいい。トオルへの想いにふたをして、梨花は無理やりそう思う。
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