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それから、もうひとつ。
「野田常務に会ったんですか!」
電話に出ると、加藤は開口一番にそういった。
「え? ああ。うん……」
なんとなくばつが悪くてことばを濁した。加藤からの電話は、たぶん途中経過の報告だと思ったのだが。
「古川さんのこと、さっさとやれっていわれたんですけど、あれ、もう脅しですよ。まいるなあ、もう」
「なにかいってた?」
「っていうか、あの人梨花さんのことになると、なんであんなにあたふたするんですかね」
「……ええー?」
「なんで梨花さんが照れるんですか。連絡先知らないのにどうして会ったんですか」
「ああ、うん。偶然、目黒川沿いで。桜吹雪の中で」
マジか。目黒川沿いも桜吹雪もどうでもいいが、偶然会うとは、このふたりは引きあっているんだろうな、と思う。自分がやきもきする必要はなかったのだ。
「よく梨花さんだってわかりましたね」
「わかるにきまってるだろうって」
なんじゃ、それ。のろけか。
「じゃあ、もう運命じゃないですか」
「んー? うん……」
電話の向こうで、梨花が赤くなっているのがわかってしまった。いいかげんにしろよ、ふたりともいい年こいて。このバカップルが。もちろん口には出さない。
でも、なぜだろう。微笑ましく思ってしまう。
ふたりとも、こっちが素なのかもしれないな。仕事ではできる人間を装い、気が抜けない。梨花にいたっては家でも虚勢を張り、安らぐ場がなかっただろう。唯一、鎧を脱げるのが野田の元だったのだ。
野田の家庭については知らないが、梨花への執着をみれば、想像はつく。現に離婚していまはフリーだ。
ふたりの気持はまあわかる。わかるけれども。
そもそも、
「美里は、いまじわじわと責めてますから、もうちょっと待ってください。じきに結果が出ますから。あと、梨花さんも浮かれてないで、古川さんの様子をちゃんと見ていてくださいよ!」
「うっ、浮かれてなんかいないもの! だいじょうぶ。ちゃんと見てるから」
たのむぞ、と心の中でいって、加藤は電話を切った。
もうじき、と加藤がいったとおり、あることないこと吹きこまれた美里は体調不良を訴え始めた。不眠にはじまり、めまいやら吐き気やら、頭痛やら。
いくら検査をしても原因がわからない。それはそうだ。最初から原因なんてないのだから。
帰宅後の圭太にもひんぱんに連絡が来るようになった。
「またか」
スマホの通知にひかる名前を見て圭太はため息を飲みこんだ。はじめは遠慮がちだったラインもいまでは返信するまで続くようになった。返信しなければ電話が来る。
梨花の手前、大っぴらにできないのはわかっているはずなのに、いつのまにかタガが外れてしまった。
具合が悪いというのを心配して、連絡をゆるしてしまった自分が悪いのだ。
「あした行くから、きょうはがまんして。たのむから」
なんとかなだめて、スマホの電源を切った。梨花もわかっているはずなのに、知らぬ顔を通す。それもまた、責められているようで居心地が悪い。逃げるように浴室に入り、ザーザーとシャワーを頭からかぶって大きく息を吐いた。
翌日、美里のマンションへ行ってみれば、先に帰っていた美里は思いのほか元気だった。うきうきとてんぷらなど揚げて、わざとらしいほど大げさに笑う。ただ、顔色の悪さと、目の下のクマは体調の悪さを物語っている。
なぜ、こんなことになったのだ。いつだって元気に笑っていたはずなのに。
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