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離婚というのは、なかなかエネルギーのいるものだ。離婚届を書いて出したら終わり、というものでもない。
梨花は身の回りのものをまとめたら、あとの処分は圭太に押しつけて、透のマンションへ転がり込むつもりだった。だがその前にご両親にあいさつしなければならないだろうと、透にいわれてしまった。
圭太からは、離婚の報告に行かなくては、といわれてしまう。
圭太とふたりで離婚の報告に行き、それから間をおかず透とふたりでいっしょになるとあいさつに行く。相手が透だと知ったら、父はどんな反応をするだろう。怒るだろうか。眉間にしわをよせた機嫌の悪い父の顔が思い浮かぶ。
待てよ。
自分も、圭太と透の実家にあいさつに行かなくてはいけないのだろうか。理屈からいえばそうなるな。透の元妻と娘には?
圭太の実家は、埼玉である。新宿から電車で三十分もあれば到着するから、行ったとしても半日もあればすむのだが。透の実家はどこだろう。聞いたことがなかった。
結果からいえば、梨花がわざわざ足を運ぶには及ばず、かといっていまさら圭太の両親が出てくるまでもないという、梨花の父のひとことで圭太がひとり頭を下げることでことはすんだ。
美里は退職し、圭太は定年まで仕事は続けるという。
「いまさら、彼女の両親にあいさつとか、だいじょうぶなの?」
梨花がそういったら、圭太はひどく渋い顔をしたので思わず笑ってしまった。
一方透の実家は、神奈川である。こちらも新宿から電車で一時間もあれば行けるのだが、正月にでも顔を出せばいいといわれてしまった。父親は数年前に亡くなり、実家には兄一家と老齢の母親が住んでいる。
すこし痴呆が見られる母はさておき、兄には事情は話してあるから、気にすることはないと透はいう。
では、そのことばに甘えるか。
それでもまだ、考え込んでいる様子の梨花である。
「まだなにか?」
透が聞くと、うーんとことばを濁す。キュッとほっぺたをつままれる。
「ちゃんといいなさい」
そういわれて、梨花はようやく口を開いた。
「前の奥さんとお嬢さんにはあいさつしなくていいの?」
透は思わず苦笑いする。
「俺は古川にあいさつしなければいけないのかな」
そんなわけない。梨花はホッと、胸をなでおろした。
「心配はいらないよ。娘たちには再婚するといってある。彼女たちだっておとなだ。わかってくれたよ」
実際には、おとうさんに女がいるのはわかってたわよ。といわれてとても気まずい思いをしたのだが。
そうなると問題は梨花の実家である。というか、父である。
うーん。さすがの梨花も考え込んでしまった。二十数年間の秘密の関係が、ここへきてとんでもないブレーキになってしまった。
「なんだ、ダブル不倫か」
といわれてしまったらそれはそのとおりなのだが、梨花としてはひとことで片づけられたくはない。いっそ圭太の方がわかりやすくてうらやましい。
「いまだに、松島常務は怖いんだよ」
そういう透になるべく負担をかけないようにと、前もって父に透との事情を伝えた。梨花にしても相当な勇気がいった。最初はとても苦い顔をしていた父だったが、かわいい梨花におねがい。といわれるとしょうがないな、といってしまう。
それに、長年梨花の支えとなっていたのだといわれてしまえば、ゆるしてやるしかない。
「きみを常務に推薦したときは、どういうつもりだったんだ?」
父親としての最後の悪あがきである。
「隠すつもりではなかったのですが、そのころは会っておりませんでしたので」
「手術のときから会っていなかったのよ」
梨花が助け舟を出す。
「いったんは別れたということか」
追及が容赦ない。
「別れるつもりはなかったのですが、連絡手段がなかったものですから」
梨花を責めるようなことはいいたくない。そろそろ勘弁してくれないだろうか。透の額に汗がにじむ。
「それで、きみは梨花をあきらめたのか」
「パパ!」
梨花が非難がましく声を荒げた。
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