発覚

文字数 1,330文字



 そんな顔して笑うんだ。
 そんなふうに、ふわふわとやさしく、甘く。
 わたしはそんな笑顔向けられたことはない。ああ、本気なんだと悟ってしまった。もう取り返しがつかない。足元が瓦解(がかい)していく。深い絶望にのまれてしまう。圭太が顔をあげて視界に梨花をとらえた。そんなしまった、なんていう顔をしたらそれはもう自白だ。
 梨花は(きびす)を返して外に向かった。みぞおちのあたりに沸いてくるこの感情はなんだろう。怒りだろうか。悲しみだろうか。それとも悔しさ? それはどんどん湧いてきて、口を開けたらものすごい勢いで飛び出しそうだった。
 だから梨花はキッと唇を結んで、顔をあげて背筋をのばして、コツコツとヒールを鳴らして歩いた。下を向いたら負けだと思った。客待ちをしていたタクシーに乗りこんで住所を告げた。走って追いかけてきた圭太を置き去りにして、タクシーは走り出した。
 こんなときでも、帰るのはあのマンションしかないのだな、と梨花は自嘲気味に笑った。わたしには逃げる場所もない。実家に行ったところで、なんといえばいいのだ。父親に泣きついたらどうにかするだろうか。春人のように無理やり別れさせるのだろうか。
 それでもあの笑顔は自分に向けられることはないのだろう。だとしたらなにをしても無駄だ。愛する女を外に囲って、取り繕った笑顔で夫婦を続けていくのか。それとも離婚をいい出すだろうか。会社も辞めて?
 ふざけるな。だったらわたしはなんのために春人と別れたのだ。あんなに身を引き裂く思いで別れたのに。自分の出世のために父におもねったくせに、そんなのはゆるさない。
 圭太にそこまでさせる女もゆるさない。ふたりしてわたしをコケにして。
 ドアのかぎを開けると、パンプスもバッグも玄関先に投げ出して、洗面所に飛びこんだ。洗濯したてのバスタオルをつかむと、それに顔をうずめて声をあげて泣いた。

 ガチャリと鍵が開いて、(あわ)ただしい足音がした。
「梨花!」
 圭太が廊下を走る。
「梨花!」
 洗面所でうずくまっている大泣きしている梨花を見つけると、迷うように立ちつくす。
「梨花」
 おそるおそる近づいてそっと肩に手を乗せた。
「さわるなっ!」
 その手を激しくふり払うと、梨花はキッと圭太をにらみつけた。圭太はその目にこめられたのが、激しい憎悪と拒絶であることに愕然(がくぜん)とした。
「わたしだって、あんたとなんか結婚したくなかった! 結婚するなら春人がよかった!」
 そもそもの根底にある事実をはっきりと告げられる。
「わたしがどんな思いで春人と別れたと思っているの! どれだけ泣いたと思っているの! それがなによ、いまになって! わたしをなんだと思っているの! 道具じゃないのよ!」
 そんなことは圭太だって十分わかっている。
「それでも、結婚したからにはいい家庭を築こうと思ってがんばったのに!」
 それもよくわかっている。でもそれを見ているのがつらかったのだ。その笑顔の陰に、元カレへの想いをひた隠しているのが見えたから。二年たってもまだ色あせない彼への想いが、自分に向くことは永遠にないのだと思ってしまう。息が詰まる。そうさせてしまった自分に罪悪感もあった。
 だから。
 だから、屈託(くったく)ない笑顔を向けてくる彼女に惹かれてしまったのだ。
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