第36話 神楽坂の家庭内事情
文字数 3,236文字
学校からの帰り道、加奈は神楽坂と共に並んで歩いていた。彼女の母は参観の後にある保護者説明会というものに出るらしく、彼女は先に帰ることになりこうして加奈と下校していた。加奈は心持ち弾んだ声で言った。
「やっぱり亜沙子ちゃんすごいね。クラスの皆が誰も出来なかった問題を解いちゃうんだから。」
「別にたいしたことじゃないわよ。」
神楽坂は苦笑いを少し漏らしただけだった。そういえばどうして彼女は最後の問題を解くために手を上げる気になったのだろう。
「それにしても普段、亜沙子ちゃん手を上げたりしないのに今日は驚いたよ。」
「・・・うちの親が後でうるさいだろうから、仕方なく答えただけよ。」
神楽坂は遠くに視線を向けてから、地面に落ちていた石ころを軽く蹴って答えた。転がっていく石を見送りながら、本当にそうだろうかと加奈は思った。
神楽坂は授業が始まる前の加奈とのやりとりのことを気にしていたから、答える気になったのではないか。あの時彼女が親が観に来ても嬉しくないというと、加奈はショックを受けた。どうしてそんな悲しいことを言うのだろうと。加奈には観に来てくれる親さえいないからだが、そのことを神楽坂は知らない。
でもそんな加奈の様子だけを見て彼女は加奈を傷つけてしまったことだけを敏感に感じ取ったのではないか。その理由はわからなくても・・。何か事情があって加奈の親が来れないのだと、彼女は想像力を働かせたのかもしれない。だから授業の終わりの間際、加奈が彼女に心配そうな視線を送った時、ずっとそのことを気にしていたからこそ、加奈のために手を上げたのでは・・。加奈に謝るという意味で・・・。
それまでは親が来ても嬉しくないと、まったく授業に参加する気はないようだったのに。本心ではないが加奈のために形だけでも親の前でよい姿を見せようと。神楽坂からは本音を言ってくれないから真相は定かではないけれど。
「亜沙子ちゃんのお母さん来てたね。ちょうど私の席の斜め後ろ辺りにいた女の人でしょう?」
「ええ、たぶんそうよ。」
頷く神楽坂の表情はどこかすぐれない。
「亜沙子ちゃんと一緒でとっても綺麗な人だね。」
「そうかしら、まあ親子だから似るのも当然だけれど。」
素直に思ったことを言っただけだったが、加奈は神楽坂のあまり喜ばしくなさそうな反応に戸惑った。そんな様子に彼女も慌てたように話の方向を変えた。
「私、母とはあまり気が合わないのよ。」
え?と加奈は目を丸くした。親と気が合わないとはどういうことだろう。
「先生に聞いて知ってるかもしれないけど、私前に学校で少し問題を起こしてね、それで母が私の行動に目を光らせてるわけ。学校でちゃんとしてるかどうかってね。私のこと信頼してないのよ。まあ私も信用してないけどね。」
加奈は目を丸くした。やはり昔何かあったのだ。生徒達はもちろん、父兄の何人かも事情を知っているということを今日の参観日で加奈は知った。しかし生徒だけでなく親や父兄達達にまで警戒される程の問題って一体・・・・?もちろん彼女のことは信じているが、気になる。
「だからとりあえず、おとなしくして勉強だけでもきちんとしておけば、まず文句を言われることはないのよ。」
「ふうん、そうなんだ・・・。」
どういう家庭事情なのかは加奈にはわからないが、やはり彼女は母親と仲が良くないらしい。何故好きになれないのか、どういう母親なのか聞こうと思ったが、神楽坂がそれ以上は口を閉ざして黙り込み話したくなさそうだったので、加奈は追及しなかった。母親と相思相愛といってもよかった加奈にはショックな話だった。でもわずかだが彼女の別の一面を垣間見れた気がした。
その夜、愛はおばにこっぴどく叱られ、説教された。夕ご飯をおばと愛が食べ終えて、加奈は一人ダイニングテーブルで食事をとっていると、一階の和室の方からおばの大きく怒鳴る声が聞こえてきたのだ。
「塾にも行ってない子に負けるなんてどういう事なの、お母さん恥をかいたわ!愛はクラスで一番勉強が出来たはずでしょう、それなのに・・・。あなたは一番じゃないといけないの。良い高校に行くには今からしっかり勉強しておかないといけないよ。最近気持ちがゆるんでいたんじゃないの。油断しては駄目。あんな子に負けていては良い高校に行けないわよ。もっと勉強しなさい!」
愛の反抗するような声は聞こえてこないので、黙って聞いているのかもしれない。愛自身おばに言われなくても悔しさでいっぱいだろう。しかしおばの愛に対する期待の大きさにはすさまじいものがあるようだった。愛でなくても加奈がもしあんなことを言われれば、頭がおかしくなりそう。
まあ、愛は元々勉強が出来るからこそ期待されるわけだが。夕食の後片付けを終え、二階に上がり愛の部屋をノックして入ると、加奈は目に飛び込んできた光景に驚いて立ち尽くした。愛がベットの上ではさみを持って何かに突き刺している。破壊されているものを見るとそれは、加奈が大事にしていたうさぎのぬいぐるみだった。それは母が生前、加奈が六歳になった時の誕生日にプレゼントしてくれたものだった。
とても嬉しかったので今でもその時のことをよく覚えている。母が、加奈うさぎさん好きでしょう?と大きなリボンを首の所に結んでプレゼントしてくれたのだ。加奈は無邪気にうさぎを抱きしめ喜んだ。ありがとうお母さん大事にするね、加奈がそう言うと母は満足そうに微笑んだ。母のその時の表情もはっきりと思い出せる。それから母とどこへ行くのにもそのぬいぐるみを連れて歩いた。
そんな貴重な思い出が詰まっていて、ずっと大切にしていたものだったので、アパートを引き払う時に、おじ達に処分される前に加奈が早いうちに守り通した物だった。それが今では見るも無残に愛の手によって引き裂かれてしまっている。
「愛ちゃんっ!やめて!何てことするの!」
加奈は駆け寄り、愛を後ろから止めようとした。はさみを持つ手をつかんだが、愛に激しく抵抗されて突き飛ばされてしまった。加奈はベットから落ちて頭を打った。鋭い痛みに顔をしかめながらベットの上の愛を見上げると、愛は興奮気味に胸を激しく上下させ加奈を睨みおろしていた。その目は強烈な憎しみに支配されているようだった。
「どうして・・・どうしてこんなひどい事するのよ・・・。愛ちゃんにこんなことされる覚えはないはずよ・・・。」
目に涙を浮かべて加奈は声を震わせ訴えた。
「うるさいっ!むしゃくしゃするのよ。こんなぼろい人形大事そうに持ってるあんたがね!」
怒鳴るようにそういうと再びはさみでぬいぐるみを串刺しにした。加奈は言葉を失った。耳は引き裂かれ、胴体は真っ二つと、既に元のうさぎの原型がなくなってしまうくらいに無残な姿になっている。愛は適当な口実をつけて、おばに叱られたうさを、神楽坂に勉強で負けた悔しさを加奈に対して晴らしたいのだ。だからこんなひどいことも平気でする。もう愛に何を言っても無駄と悟り、加奈は床に脱力したようにぺたんと座って愛の行いを見ていることしか出来なかった。
満足したのか愛が手を止めてベットにはさみを投げ出した。人形の引き裂かれた残骸が散らばっている。
「ああ、これで少しはすっきりしたわ。あんた、私これから風呂に入るからその間にこの散らかったゴミ掃除しときなさいよ。」
加奈は涙を流しながらキッと愛を睨んだ。すると愛は加奈の襟首をつかみ睨み返してきた。
「何よ文句あるの?あんたそんなこと出来る立場かしら?」
加奈が何も言い換えせずにいると、愛は鼻を鳴らして、片付けておかないと許さないからね、と台詞を残し部屋を出て行った。加奈はベットに散らばった布切れの破片を抱きかかえるように集め始めた。手を動かすごとに更に涙が溢れた。愛に母の思い出の品を奪われてしまった。古くなって所々汚れていたが、本当に大事に扱ってきたものなのに。悔しくて悲しくて、どうしようもない気持ちで加奈は声を押し殺して泣いた。
「やっぱり亜沙子ちゃんすごいね。クラスの皆が誰も出来なかった問題を解いちゃうんだから。」
「別にたいしたことじゃないわよ。」
神楽坂は苦笑いを少し漏らしただけだった。そういえばどうして彼女は最後の問題を解くために手を上げる気になったのだろう。
「それにしても普段、亜沙子ちゃん手を上げたりしないのに今日は驚いたよ。」
「・・・うちの親が後でうるさいだろうから、仕方なく答えただけよ。」
神楽坂は遠くに視線を向けてから、地面に落ちていた石ころを軽く蹴って答えた。転がっていく石を見送りながら、本当にそうだろうかと加奈は思った。
神楽坂は授業が始まる前の加奈とのやりとりのことを気にしていたから、答える気になったのではないか。あの時彼女が親が観に来ても嬉しくないというと、加奈はショックを受けた。どうしてそんな悲しいことを言うのだろうと。加奈には観に来てくれる親さえいないからだが、そのことを神楽坂は知らない。
でもそんな加奈の様子だけを見て彼女は加奈を傷つけてしまったことだけを敏感に感じ取ったのではないか。その理由はわからなくても・・。何か事情があって加奈の親が来れないのだと、彼女は想像力を働かせたのかもしれない。だから授業の終わりの間際、加奈が彼女に心配そうな視線を送った時、ずっとそのことを気にしていたからこそ、加奈のために手を上げたのでは・・。加奈に謝るという意味で・・・。
それまでは親が来ても嬉しくないと、まったく授業に参加する気はないようだったのに。本心ではないが加奈のために形だけでも親の前でよい姿を見せようと。神楽坂からは本音を言ってくれないから真相は定かではないけれど。
「亜沙子ちゃんのお母さん来てたね。ちょうど私の席の斜め後ろ辺りにいた女の人でしょう?」
「ええ、たぶんそうよ。」
頷く神楽坂の表情はどこかすぐれない。
「亜沙子ちゃんと一緒でとっても綺麗な人だね。」
「そうかしら、まあ親子だから似るのも当然だけれど。」
素直に思ったことを言っただけだったが、加奈は神楽坂のあまり喜ばしくなさそうな反応に戸惑った。そんな様子に彼女も慌てたように話の方向を変えた。
「私、母とはあまり気が合わないのよ。」
え?と加奈は目を丸くした。親と気が合わないとはどういうことだろう。
「先生に聞いて知ってるかもしれないけど、私前に学校で少し問題を起こしてね、それで母が私の行動に目を光らせてるわけ。学校でちゃんとしてるかどうかってね。私のこと信頼してないのよ。まあ私も信用してないけどね。」
加奈は目を丸くした。やはり昔何かあったのだ。生徒達はもちろん、父兄の何人かも事情を知っているということを今日の参観日で加奈は知った。しかし生徒だけでなく親や父兄達達にまで警戒される程の問題って一体・・・・?もちろん彼女のことは信じているが、気になる。
「だからとりあえず、おとなしくして勉強だけでもきちんとしておけば、まず文句を言われることはないのよ。」
「ふうん、そうなんだ・・・。」
どういう家庭事情なのかは加奈にはわからないが、やはり彼女は母親と仲が良くないらしい。何故好きになれないのか、どういう母親なのか聞こうと思ったが、神楽坂がそれ以上は口を閉ざして黙り込み話したくなさそうだったので、加奈は追及しなかった。母親と相思相愛といってもよかった加奈にはショックな話だった。でもわずかだが彼女の別の一面を垣間見れた気がした。
その夜、愛はおばにこっぴどく叱られ、説教された。夕ご飯をおばと愛が食べ終えて、加奈は一人ダイニングテーブルで食事をとっていると、一階の和室の方からおばの大きく怒鳴る声が聞こえてきたのだ。
「塾にも行ってない子に負けるなんてどういう事なの、お母さん恥をかいたわ!愛はクラスで一番勉強が出来たはずでしょう、それなのに・・・。あなたは一番じゃないといけないの。良い高校に行くには今からしっかり勉強しておかないといけないよ。最近気持ちがゆるんでいたんじゃないの。油断しては駄目。あんな子に負けていては良い高校に行けないわよ。もっと勉強しなさい!」
愛の反抗するような声は聞こえてこないので、黙って聞いているのかもしれない。愛自身おばに言われなくても悔しさでいっぱいだろう。しかしおばの愛に対する期待の大きさにはすさまじいものがあるようだった。愛でなくても加奈がもしあんなことを言われれば、頭がおかしくなりそう。
まあ、愛は元々勉強が出来るからこそ期待されるわけだが。夕食の後片付けを終え、二階に上がり愛の部屋をノックして入ると、加奈は目に飛び込んできた光景に驚いて立ち尽くした。愛がベットの上ではさみを持って何かに突き刺している。破壊されているものを見るとそれは、加奈が大事にしていたうさぎのぬいぐるみだった。それは母が生前、加奈が六歳になった時の誕生日にプレゼントしてくれたものだった。
とても嬉しかったので今でもその時のことをよく覚えている。母が、加奈うさぎさん好きでしょう?と大きなリボンを首の所に結んでプレゼントしてくれたのだ。加奈は無邪気にうさぎを抱きしめ喜んだ。ありがとうお母さん大事にするね、加奈がそう言うと母は満足そうに微笑んだ。母のその時の表情もはっきりと思い出せる。それから母とどこへ行くのにもそのぬいぐるみを連れて歩いた。
そんな貴重な思い出が詰まっていて、ずっと大切にしていたものだったので、アパートを引き払う時に、おじ達に処分される前に加奈が早いうちに守り通した物だった。それが今では見るも無残に愛の手によって引き裂かれてしまっている。
「愛ちゃんっ!やめて!何てことするの!」
加奈は駆け寄り、愛を後ろから止めようとした。はさみを持つ手をつかんだが、愛に激しく抵抗されて突き飛ばされてしまった。加奈はベットから落ちて頭を打った。鋭い痛みに顔をしかめながらベットの上の愛を見上げると、愛は興奮気味に胸を激しく上下させ加奈を睨みおろしていた。その目は強烈な憎しみに支配されているようだった。
「どうして・・・どうしてこんなひどい事するのよ・・・。愛ちゃんにこんなことされる覚えはないはずよ・・・。」
目に涙を浮かべて加奈は声を震わせ訴えた。
「うるさいっ!むしゃくしゃするのよ。こんなぼろい人形大事そうに持ってるあんたがね!」
怒鳴るようにそういうと再びはさみでぬいぐるみを串刺しにした。加奈は言葉を失った。耳は引き裂かれ、胴体は真っ二つと、既に元のうさぎの原型がなくなってしまうくらいに無残な姿になっている。愛は適当な口実をつけて、おばに叱られたうさを、神楽坂に勉強で負けた悔しさを加奈に対して晴らしたいのだ。だからこんなひどいことも平気でする。もう愛に何を言っても無駄と悟り、加奈は床に脱力したようにぺたんと座って愛の行いを見ていることしか出来なかった。
満足したのか愛が手を止めてベットにはさみを投げ出した。人形の引き裂かれた残骸が散らばっている。
「ああ、これで少しはすっきりしたわ。あんた、私これから風呂に入るからその間にこの散らかったゴミ掃除しときなさいよ。」
加奈は涙を流しながらキッと愛を睨んだ。すると愛は加奈の襟首をつかみ睨み返してきた。
「何よ文句あるの?あんたそんなこと出来る立場かしら?」
加奈が何も言い換えせずにいると、愛は鼻を鳴らして、片付けておかないと許さないからね、と台詞を残し部屋を出て行った。加奈はベットに散らばった布切れの破片を抱きかかえるように集め始めた。手を動かすごとに更に涙が溢れた。愛に母の思い出の品を奪われてしまった。古くなって所々汚れていたが、本当に大事に扱ってきたものなのに。悔しくて悲しくて、どうしようもない気持ちで加奈は声を押し殺して泣いた。