第41話 柿本容介君のお父さんとお母さん

文字数 3,707文字

子猫に餌をやり真琴と柿本は公園を後にした。日が落ち、薄暗くなって街灯があちこちで灯っていた。公園を出る時、子猫が二人の後をトコトコとしきりについてきて真琴と彼の足に擦り寄って、公園内に戻すのに一苦労した。駅に向かう帰り道、二人は並んで歩いていたが無言だった。



先程のやり取りで気まずくなっていた。道の向こう側から小さな小学生だろうか、女の子が買い物袋を下げた母親らしき人と手をつないで歩いていた。少女は笑顔で母親に甘えるように何かをねだっている。真琴はその親子を目を細めて見つめた。真琴がじっと見つめているのにも気づかずに楽しそうに真琴達とすれ違って歩いていった。



彼が側で真琴の方を見ているのを、真琴は彼のほうを見ていなかったが、なんとなくそんな視線を感じていた。親子が去ってしばらくしてから彼が言った。

「君のご両親がどんな人なのか聞いてもいい?」

真琴は振り向いて彼を見たが、すぐに顔を背けた。



「・・・・言いたくないわ。どうしてあなたにそんなこと言わなきゃいけないのよ。あなたに話す義理もないし。」

「そう・・・言いたくなかったら無理にとは言わないよ。なら僕の両親の話をしようか。」

真琴は前を向いて歩きながらそう言った彼の横顔を見つめた。

「別に聞きたくないわよ。」



それは嘘だ。本当は聞いてみたかった。彼のことを知りたいと思った。真琴のことは話したくないくせに彼のことを知りたいと言うのはフェアではないし、むしがよすぎると思ったのでわざと興味のないフリをしたのだ。実際は彼のことを知りたい気持ちをおしとどめることは困難だった。でも真琴はそんな気持ちを悟られたくなくて冷たい反対の態度を見せた。



「まあ、そう言わずに聞いてよ。簡単な世間話みたいな感じでいいからさ。」

苦笑いしながら彼は言った。真琴はそれ以上何も言わずに黙って歩いていると彼は語りだした。

「僕の母親は僕が十歳の時に病気で亡くなったんだ。」



真琴は目を見開いて彼の顔を見ると彼は真琴が話に興味を示してきたと思ったのか満足そうに笑いながら先を続けた。

「少し頼りなげな人柄でね、吹けば消えてしまうんではないかってくらい存在感が薄い人だったけれどとても優しい人でね。僕のことをとてもよく可愛がってくれた。叱ったり叩いたりすることはなくていつも微笑んでいて、僕を抱きしめてくれた。息子の僕が言うのも変だけど、子供のひいき目なしに綺麗な人だった。」

「そう・・・いいお母さんだったのね。」



真琴は自分の母親を思い出した。真琴を置いて出て行ったその母の背中を今でもまじまじと思い出すことができる。真琴は頭を振ってその頭に浮かんだ映像をかき消した。

「うん、僕はそんな母が大好きだった。夜寝る前には絵本を読み聞かせてくれたし、手先が器用な人だったから冬には大きなマフラーを編んでくれて首に巻いてくれた。とっても暖かかった。母は絵を描く仕事をしていて、家にいる時は僕と一緒によく絵を描いて遊んでくれたんだ。」

彼ははるか遠いその頃を思い出しているかのように遠い目をして言った。



「僕は生まれついた時から誰に教えられるでもなく紙に何かを黙々と描いてたらしい。」

「へぇ・・・、私は少し大きくなってからだけど、ピアノにのめりこむ様に自然と弾きだしたのよ。なんとなく似てるわね。」

彼が目を丸くしてこちらを見ているのに気づいて、真琴はしまったと口を手で押さえようとしたが出てしまった言葉は戻らない。彼の話に聞き入ってうっかり自分のことを話してしまったことを悔いた。彼は微笑んで話を続けた。



「母は僕のことを縛り付けたりしようとせず、のびのびと自由に育ててくれた。母自身束縛されるのを嫌うような人だったから、自分の息子も束縛したくはなかったんだろう。でも束縛しないといっても放任するって事じゃなくて、離れていても見捨てたりはしなくて遠くから必ず見守っていてくれていたから、何かあった時は必ず助けてくれるって確信があったから僕は安心できたんだ。絵一つにしてもうまい下手とか評価したりはしない人だった。彼女は普段は大人しく控えめで、いるのかいないのかわからなくなるような人だったけど、それとは反対に時々驚くくらい自分というものを持っていてそのもの静かな外見からは想像できないくらいしっかりと彼女の考えを主張することもあったんだ。絵にしても性格にしても僕は母親似だったんだろう。」



「絵は母親譲りだっていうのはわかるわ。でもあなたのおかあさんはしっかりした心を持ってたかもしれないけど、あなたもそうだって言えるの?」

真琴は意地悪めいて彼に言った。

「失敬な。僕だって心にしっかり芯が通っているんだよ。」

彼は両手を横に上げて英国紳士のように肩を竦めて見せた。



「あら、いつもニヤニヤしてつかみどころなさそうでふにゃふにゃなのに?」

「君は一体僕をどんな目で見ているんだよ。」

彼は笑いながら真琴にわざとむすっとして見せた。

「僕はたくさんの母親の愛情を受けたから今でもよく思い出すよ。とにかくすばらしい人だったな。母親としても人としても。」

「お父さんはどんな人なの?」



彼の顔が急に曇ったような気がした。そんな彼の表情ははじめて見たので驚き、触れてはいけない部分に触れてしまったと思った。

「まさか、お父さんも・・・?」

真琴は彼の両親が共にもうこの世にいないのかという考えがふいに思いついた。真琴のように親がいない人間なんだろうか、いや厳密には真琴の父は亡くなってしまったが、母はどこかで生きているかもしれない。

「ううん、父は今でも元気に生きているよ。」

真琴は予想が外れて少しほっとした。

「お父さんはどんなお仕事されてるの?」

「父親は大企業の社長でね、別にこれは自慢じゃないよ。母や僕とは性格や物の考え方が正反対の人なんだ。」



「へぇ、柿本君て御坊ちゃまだったんだ。」

真琴が彼を上から下まで改めて見やって言った。彼は苦笑いを浮かべて続けた。やはり先程見せた表情の陰りを引きずっている感じであまり口に出したくなさそうに真琴には感じられた。

「母が僕をのびのびと育てようとしたのとは対照的で父は何かと僕に命令してきて干渉してくる人なんだ。まるで僕のことを自分の所有物のような感じで支配しようとするんだ。普段はほとんど仕事で家にいないくせに、たまに帰ってくると父は僕にいろいろと口出ししてきて注文をつけるんだよ。勉強させようとしたり進学塾に入れようとしたり。母が間に割って入ってくれたから何とかバランスが取れていたけど。もし小さい頃から父だけに育てられていたらと思うとぞっとするよ。」



彼は重たそうなため息を吐いて一息ついた。

「当然僕は母同様に束縛されるのが嫌いだから厳格な父とはそりが合わなくて僕はあまり近寄ろうとはしなかった。彼自身厳しい家庭に育ったからかもしれない。母が死んでから父の支配は更に増えてしまってね。母が作ってくれていた防波堤が崩れて父の干渉が一気に僕に押し寄せてきた。父は僕を心身共に立派な会社の跡取りにしたかったようで有名中学、進学高校に行かそうとした。中学は父の言うとおり名門校に通ったけど、高校を選ぶ時はすごく揉めたな。僕は進学高校に行けば自由に絵をかけなくなると思ったから父のいう事に断固反対した。そのまま父の操り人形でいたくなかった。母が生きていたら息子の好きなようにさせてやりましょうって言ってくれたかもしれないけれど、もうその母親はいなかったから僕は自分で意志を貫き通すしかなかった。それからはもう父とは顔を合わせてもほとんど会話もしなくなってね、話をしても互いの考えが平行線をたどるだけだからね。さて・・僕の話はここまでかな?」



真琴は彼の話に夢中だったので既に駅前についていたのに気がつかなかった。

「あ・・。」

真琴は彼の話にどんな感想を言えるでもなく、立ち止まっていた。それからお互い話を交わさずに駅に入り、改札を抜けた。彼とは帰る方向が反対なので、分かれ道の階段の前で二人立ち止まった。彼が別れ間際の会話をした。

「ま、僕の両親はそんな人達だ。真剣に僕の話を聞いてくれて嬉しかったよ。どうもありがとう。」

彼はいつもの笑顔に戻っていて真琴にお礼を述べた。



「べ、別に興味があって聞いたわけじゃないんだからねっ。駅までの道すがらの退屈しのぎで聞いてあげただけだからっ。」

真琴は戸惑いを隠すようにふくれっ面でそう言った。

「そう、だとしても満足だよ。君には僕のことを知って欲しかったから。」

「え・・?」

彼は最後に意味深な言葉を残すと、微笑んで手を振って電車に乗るべく階段を上がっていった。真琴はその場に立ち尽くして顔を染め、彼の話を反芻していた。普段はニコニコ笑っているだけの青年というだけではない、真琴の見えないところで彼はいろいろなものを背負って生きているのだと当たり前のことではあるのだが、改めて思いしった。



よき理解者であったであろう最愛の母親を幼い頃に失って、父とは分かり合えないでいる・・・。彼も真琴同様に孤独なのだろうか。彼の独白を聞き、彼の深い部分に触れたような、また一歩彼に近づいたような気がした。
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