第46話 幸福から地獄へ

文字数 3,206文字

その夜、家でおばあちゃんを迎えておじを除く四人で夕食を食べた。おばと愛は楽しげな表情は見せず黙々と夕食のシチューを口に運んでいた。最近はほとんど加奈がご飯を作っていたのでおばの料理は久しぶり、というか加奈は初めて口にしたくらいだった。おばあちゃんが加奈の優勝をほめる中、加奈はおばたちの様子が気になり素直に喜べず正直とても居心地が悪かった。



「愛ちゃん二年連続優勝はならなくて残念だったねえ。でも優秀賞をとれたんだからよかったじゃない。おめでとう。」

おばあちゃんの愛に対する慰めともお祝いともつく言葉を聞いて笑顔で愛は言った。



「ありがとう、おばあちゃん。優勝を逃して残念だけど満足してるわ、私。それに他の子が優勝だったら悔しかったけど、優勝したのが加奈だったんだから、私も素直に嬉しいよ。おめでとう加奈。」

加奈に笑顔を向けて言う愛を見て、加奈は背筋が寒く凍りつきそうになった。



愛が表向きとは逆にその裏側でどんなことを思っているのかと想像すると恐ろしくて仕方なかった。おそらくどす黒い怒りの嵐が荒れ狂っているに違いなかった。





おばあちゃんが実家に帰るのを三人で見送って、加奈が夕食の片づけをしているとおじが仕事から帰宅した。帰宅したおじがおばに脱いだ背広を手渡しながら聞いた。

「愛のピアノの発表会どうだった?愛が今年も楽勝で優勝だったろう。それにあのお荷物の加奈は失敗して恥かかされたりしてないだろうな。」



ハハハ、と笑いおじはネクタイをはずした。おばが暗い顔で押し黙っているとおじはどうしたと?と怪訝な顔で聞いた。重い口を開くようにおばは言った。

「実は・・・それがあの加奈が優勝してしまったんですよ。」

「何だって?!」

驚きの表情でおじは叫んだ。



「じ、じゃあ、愛は・・愛はどうなったんだ?!」

ひどく動揺した心を隠せずにおばに詰め寄った。

「加奈が最優秀賞で愛が優秀賞に・・・」

おじの顔に怒りがこみ上げてくる。加奈がキッチンでお皿を洗っているとおじがものすごい形相でキッチンに入ってきた。



「ちょっとこっちへ来い!」

いきなり加奈は腕を強い力で引っ張られバランスを崩しそうになった。あ、あの片づけがまだと加奈が泡がまだ腕についた状態で言うと。

「そんなものあとでいい!こっちへ来い!」

とおじに客を招いた時に使用する畳のある和室に放り込まれた。



和室にはおばと愛が先に入っておじが加奈を連れてくるのを待っている様子だった。加奈は三人の前に座らされ、おじ、おば、愛に見下ろされるような状態になった。三者の顔にはそれぞれ激しい怒りの色が感じられ、加奈は身が縮むような思いがした。これからどんな目にあわされるのか、考えるだけで細かく体が震え恐怖した。



視界が急に白くなり頬そして、背中に激痛が走った。いきなりおじが加奈の頬を平手で強く叩いたのだ。加奈の体が横に飛び和室の部屋の壁に強く体を打ちつけた。数秒間、息ができなくなり加奈はその場で体を丸め苦しげにうずくまった。ようやく息ができるようになった頃に上からおじの怒りのこもった声が降ってきた。



「よくも俺たちに恥をかかせてくれたな。」

加奈が見上げると血走った目をしたおじが目の前に立ちはだかっていた。

「育ててやってる恩を仇で返しやがって。お前が余計なことをしなければ愛が今頃二年連続で優勝していたんだ。」



おじの平手が再び加奈を襲った。床に倒れこんだ加奈が鼻に違和感を感じて手をかけると赤いものが指に付着した。鼻血で顔を濡らし加奈はうずくまった。三人に囲まれるようにして加奈は何とか身を起こして訴えた。

「私、こんなことになるなんて思わなかったんです。まさか・・・優勝するなんて思わなくて。」

加奈は泣きながらおじたちに弁明したがおばが吐き捨てる様に言った。



「お黙り!そんなこといって、心の中では愛に勝って私たちをあざ笑っているんだろう!そんな嘘にだまされないわよ!」

加奈は身を震わせて詰め寄ってくる三人に恐怖した。

「私、ただたくさんの人に私のピアノを聴いて欲しくて、本当にただそれだけの思いだったんです・・・。」



「近所の愛の同級生の母親たちが口をそろえて言うわ。「お宅の親戚の子、加奈ちゃんでしたっけ、とっても良かったわ。愛ちゃんは残念だったけど。でもうらやましいわあんな素敵な子がおうちにいるなんて、さぞ自慢できるでしょ。二人そろって賞をとったんだものね」って。私には皮肉に聞こえたわ。優勝間違いなしだった愛を最近やってきた他人同然のお前に負かされて、ご近所からはおほめの言葉とは裏腹に気の毒そうな視線が私たち家族に注がれてるのよ。」



加奈はおばの剣幕にただただ圧倒されて黙って聞いているしかなかった。おばが突然思い出したように頭に両手をあてて悲愴な表情で叫んだ。

「思い出した!お前の母親、あの女も私が子供の頃、ピアノ発表会で優勝候補だった私を押しのけて優勝したんだわ!。」



加奈は頬の痛みを忘れ、おばの言葉に愕然とした。母もピアノ発表会で優勝した経験があるなんて。しかも私が愛に勝ったのと同じように母もおばをおさえての優勝だったなんて。今日発表会が終わった後におばあちゃんがポツリと漏らした言葉を思い出した。



おばあちゃんは昔、母の発表会優勝に立ち会ったのだろうか。おばが母に敗れるところも見守っていたのだろうか。加奈が初めておばあちゃんにピアノを弾いて聴かせた時、おばあちゃんは母の演奏と加奈の演奏を重ね合わせて聴いていたのではないか。母と同じように舞台でピアノを弾く加奈の姿を見たかったから、加奈を発表会に出るようにすすめたのではないか。



たくさんのことが押し寄せ加奈は頭の中が混乱した。呆然とたたずんでいるとおばが加奈を両腕で突き飛ばした。その表情には怒りと憎しみの色が色濃くうつっていた。おばの瞳には子供の頃の母と加奈の姿が重なっているのかもしれない。



「あの女の娘だったのね!親子そろって私の顔に泥を塗るなんて!許さない!」

おじや愛も初めて聞いたらしく驚いていた。

「お母さんもこの子の母親に賞を奪われたの?!」

「この疫病神が!もうただじゃおかん!愛一人どころか、俺の妻にまで二度も屈辱を味合わせるとは!来い!」



おじが加奈のひとつにまとめた髪の毛を鷲摑みにし、引きずるように和室を出た。その強引さに痛い、と漏らしたがおじは構わない。廊下を玄関のほうまで引きずられ靴下を履いたままの格好で玄関のドアを出た。庭の方まで連れていかれると家の塀と塀が合わさった角に置かれた物置の中に乱暴に放り込まれた。



「そこでしばらく自分がしたおろかな行動を反省しろ!」

ドアが大きな音をたてて閉められ外から鍵がかけられる音を中から聞いた。おじが去っていく足音が遠のき玄関のドアの閉まる音がした。物置は太陽の光が届かないためにじめっと湿っていて、埃っぽく普段使わない道具類が置かれていた。



狭いスペースに加奈は暗闇の中一人閉じ込められてしまった。夜が深まる時間、冷たい冷気が加奈の周囲を包み身が震え、思わず両腕で自分の腕を抱きかかえた。唇を噛み思った。どうしてこんなことになったの?ただ加奈はみんなに演奏を聴いて欲しくて発表会に出ただけなのに・・・。



「寒い・・・お母さん・・・・。」

加奈は首を小さくすくめて徐々に体温が奪われていく指先を合わせ弱々しく呟いた。吐き出す息は白く、目に涙が浮かんだ。冷え込んだ物置という密室内で、加奈はグランドピアノの前に座っていた母の幻を思い描いていた。寒い体を、凍えた心を少しでも温めようとするかのように。







居間の窓辺に愛が立ち、室内から加奈が閉じ込められた庭の物置をじっと睨んでいた。

家の明かりが庭の暗闇に漏れている。

「加奈、よくも私に恥をかかせてくれたわね。こんなものじゃ私の気は治まらないわ。この報復は必ず近いうちにお前にしてやるからね。」

鋭い目を暗闇に向けて光らせると愛は一人囁いた。
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