第60話 告げられた意外な人物の名前

文字数 2,489文字

翌朝登校した煉は自分が庇った女子と共に皆から再び無視される状態になっていた。煉は自分の机を見て絶句した。机の上には煉に対する悪質な悪口の言葉がマジックでいっぱいに書かれていた。教室を見渡すともう一人の女子も机にひどい落書きが書かれていたらしく顔を青ざめさせていた。



くすくす笑い声が立つ中、いじめっ子の男子と女子が笑って教室後方で煉達を見つめていた。



放課後、いじめを受けた煉と女子はいじめっ子の男女に呼び出され、人目のあまり届かない校舎裏に強引に連れて行かれた。この間の続きだと二人は煉達を囲んで袋たたきにした。顔を平手でぶたれ、お腹に男子の拳がめり込み煉達は地面に倒れた。



「やめなさい!」

そこに居合わせた者が皆振り返った。声の主は煉の姉である神楽坂亜沙子で、仁王立ちでその場に立っていた。煉は地面に伏した状態で姉の姿を捉えた。



「お姉ちゃん・・・。」

皆の動きが止まっているところに亜沙子がさっそうと近づいてきた。男子の前に立ち、あんぐりと口を開けているその顔に一発平手で打った。ただの平手なのに男子は地面に勢いよく倒れ付した。

「な、なんだお前。いきなりやってきて。」



赤くはれた頬を手で押さえながら男子は倒れ付した格好のまま叫んだ。

「私は神楽坂煉の姉よ。妹から話は聞いたわ。こんな陰湿なこと今すぐやめなさい。」

亜沙子の毅然とした言葉に男子と女子がぎょっと目を見開いた。その様子から彼らは姉のことを顔は知らなかったがその正体は知っているようだった。



姉が以前に起こした事件は上級生達だけでなく煉ら下級生の間でも噂になっていたから知っていてもおかしくはない。たった一人で上級生数人相手に怪我を負わせた姉に自分たちがかなう相手ではないとでも考えたのか、彼らは急に体を震わし始めた。亜沙子は女子の胸ぐらを締め上げて険しい目つきで睨んだ。



「もうこんなことはやめなさい。痛い目見たくなかったらだけどね。」

睨まれ宙に浮いた女子は垂れ下がる腕を小刻みに震わせていた。怯えの色が浮かんだ目を見開き、夢中で何度も姉の要求に頷く。

「それだけじゃないわ。あんたたち煉の編み物もっていったでしょ。煉にきちんと返しなさい。」



女子と男子を交互に見やって亜沙子は言った。煉は姉にセーターをとられたとは言わず編み物を奪われたと話していた。誕生日プレゼントだとは知られたくなかったからだ。

「じ、実は私たち、ある上級生に頼まれて煉さん達をいじめるように言われたんです。」

「そ、そうなんだ、俺たち好きでこんなことやってたんじゃないんだ。」



男子はしどろもどろになりながら女子の言葉に付け加えた。

「煉さんの持ち物もその上級生が煉さんの何か大切なものをとって来いっていったから渡して、もう私たち持ってません。」

「誰よ。その上級生って。」



問い詰めるように亜沙子は女子に聞いた。女子はごくりと喉を一つならすと細く小さい声で答えた。

「―――・・・・。」





女子が挙げた名前を耳にした瞬間、亜沙子は耳を疑ってその人物が思い浮かぶのに数秒の時間を必要とした。いやすぐに思い出すことは出来たが、亜沙子自身が無意識にそうすることを何度も拒絶したのだ。それからひどく動揺した。聞き間違いではないか、何かの間違いではないかと、もう一度締め上げている女子に問い返しても同じ名前が告げられた。



亜沙子はその場で呆然と立ち尽くした。まさかーー・・・そんなことありえない、あるわけがない。何かの間違いに決まっている。亜沙子は何度も繰り返し自らにそう言い聞かせた。だが亜沙子の脳裏にフッと先日学校のトイレで聞いた生徒達の会話がフラッシュバックのように鮮明によぎっていた。









(加奈が亜沙子のことを邪魔だとクラスメイトたちに漏らしている。)











その後亜沙子は男子と女子にもう二度とこんなことはしないと約束させ、家に帰した。

妹の煉との帰り道、亜沙子は黙り込んで無口なまま、先を行く煉の後姿を見ながら歩いていた。西日にきらきらと光る川が一望できる土手の上を二人で歩いていた。煉が振り返り亜沙子の元まで小走りに近づいてきて下から亜沙子の顔を笑って見上げて言った。



「お姉ちゃん、どうもありがとう。もう一人の子もお姉ちゃんに感謝してるよ。これで明るい気持ちで学校に行くことができるって。」

しかし亜沙子は妹の声など聞こえていないようで、ぶつぶつと独り言をつぶやいていて上の空な様子だった。妹は初めそんな姉の様子に気がつかず話してきた。明るい口調とは一転して少し声のトーンを落として、表情に陰を落とした。



「本当はね、自分一人の力で解決したかったの・・・、でもやっぱり駄目だね。私じゃあ、お姉ちゃんみたいにうまくできないや。」

そう言って亜沙子の方をうかがって初めて煉は姉の反応がないことに気がついて、心配そうに首を傾げて姉の腕をとった。亜沙子は空中に焦点の定まらない視線を漂わせていた。



「お姉ちゃん・・どうしたの?」

「え?何?何か言った?煉。」



「お姉ちゃんにはかなわないって・・・・。大丈夫・・・?あの二人に何か嫌なこと言われたの?」

心配そうに見つめてくる煉に気がついてやっと我に返った。煉がもういじめられることはなくなったのだ。煉の前では、問題は解決したのだから煉と共に喜んでやらねばならない。それにこれはもう煉の問題でなく亜沙子の問題であるように思えてきた。



妹に心配させないためにも自分が思い悩んでいるような様を見せてはいけない。亜沙子は不安そうな表情を浮かべた煉の頭を優しく撫でつけ笑顔で答えた。

「ううん、なんでもないよ。これで安心して学校行けるわね。それに煉は自分で問題を解決できなかったかもしれないけれど、自分で何とかしようって決心して行動したんだから偉いわ。結果よりもそのことの方がずっと大事よ。もっと自分に自信を持ちなさい?」



うん、とぱっと明るくなった屈託の無い煉の笑顔を見て亜沙子は安堵していた。しかし心の中の別の所では軽い波風が吹いている。明日学校で確かめなければならない。



その結果によってこの波風の行方は左右されることになる。これは避けては通れない道のように感じていた。
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