第23話 出会ってしまった真琴と蓉介
文字数 2,278文字
真琴が初めて蓉介にであったのは高校二年生になって間もない頃だった。授業をすべて終えた学校の放課後、真琴は誰もいない音楽室で一人ピアノに向かい遠い昔に大好きだった人が教えてくれた曲をただぼんやりと弾いていた。鍵盤上を滑らかに真琴の指が移動していく。開け放した窓からは春の柔らかな陽気が夕暮れで薄まり、心地よい風が音楽室のベージュ色のカーテンを揺らしている。
真琴の胸には首から下げたペンダントが光り輝いていた。ただ夢中に夕日の差し込む風景に溶け込んで音楽を奏でていたから、音楽室の入り口から誰かがこちらを見ていることにすぐに気づく事ができなかった。曲を弾き終わりピアノから顔を上げた時、視界の隅に人影が映った。入り口に目をやると一人の男子高校生が脇に美術で用いる大きなキャンバスを抱えて立っていた。
いつからそこに立っていたのか、目と目が合う。しばらくそのまま沈黙が続いた後、彼が口を開いた。その口調はこの穏やかな午後に似つかわしくとても自然な感じだった。
「廊下を通りがかってたら、綺麗なピアノの曲が聴こえてきたから、つい聴き入ってしまってね・・。」
真琴は体をピアノからはずし彼のほうに向き直った。彼の顔に見覚えがある。幼い頃、ある日を境に真琴は人と深く関わらないと心に決めた。他人にはあまり関心を持たなくなった真琴には顔を知っているというだけで、それ以上の情報はこの頭からは出てこない。
「あなた、どこかで会ったかしら?」
真琴は尋ねた。普段ならこんな風に話しかけられても真琴は相手にしなかったが、放課後の誰もいない音楽室という落ち着く空間にいたせいか、気づけば彼に話しかけていた。そのことを差し引いてもどうして話す気になったかははっきり説明できなかった。単なる気まぐれだろうけれど。彼は少し苦笑して言った。
「一応クラスメイトなんだけどな・・まあ新しい学年になって間もないから仕方ないか。」
彼は頭を指で軽くかきながらそう言った。はっきりいってクラスメイトの顔や名前を覚えてなくてもどうでもいいことではあったが一応、心にもないことではあるが表面上、建て前で謝った。
「ごめんなさいね、私、人の顔とか名前を覚えるの、苦手なの。」
特にショックを受けたり怒ったりした様子もなく彼はただそこに立って穏やかな表情をしていた。立ち去る様子がないので真琴は質問した。
「あなた、美術部に所属しているの?」
真琴は彼が持つ薄緑色の大きめのキャンバスに目をやり言った。
「放課後はいつも一人黙々と美術室で絵を描いてるんだ。」
キャンバスを前にかざすようにして彼はみせた。
「ふ~ん。」
特に興味もなさそうに真琴は頷いた。他人が何をしようが自分にはどうでもよいことであった。他人への興味が真琴には極端に欠如していた。突然彼は切り出した。
「話はかわるけど、君の弾くピアノの曲を聴いてぜひ言いたいことがあるんだけれどいいかな。」
いきなり何を言い出すのだろうか。曲がすばらしいとか初対面に等しい他人に向かって馴れ馴れしく感想を述べるつもりだろうか。真琴はニコニコ微笑む彼の顔を怪訝そうに見つめた。
「ええどうぞ、私のピアノが聴く人にどんな印象を与えているのか少しは興味があるわ。聞いてみたいものね。」
彼は真琴の言葉に頷いてから一つ咳払いをして話しだした。
「じゃあ、遠慮なく。君の演奏は美しくて惹かれるものがありとても魅力的だ。けれど腑に落ちないところがひとつある。おそらく僕のような人間だから気づいたのだろうけれど。」
真琴は絶句して彼の顔をまじまじと見つめた。
じゃあ自分はどういう人間だというのだと問うてみたくなった。捉えようによってはいくらでも様々に解釈が取れそうな感想である。しかも今まで教室では顔を合わしたことがあるとはいえ、一度も話したこともない人間がいきなりこんな突っ込んだことを言うことだろうか。面識もない人間が言う台詞ではない。
「すべてお見通しですって感じな事を言うのね。それに初対面の人間に対してずいぶんと失礼じゃないかしら。話をしたこともないあなたに私の何がわかるって言うのよ。」
彼の目を睨み見据えた。声色も低く威圧的に。
「おっと、ごめん。感に障ったかな。」
謝りながらも彼の表情には悪びれた様子はまったく見当たらない。それどころか体全身からゆったりした余裕のオーラが漂ってるようにさえ見えた。絶えず微笑をその口元にたたえている。そんな彼の落ち着き振りが何だか真琴は気に食わなかった。
「気分を害したままですまないけれど僕はこれで失礼するよ。ああそうだ、僕の名前は柿本、柿本蓉介。教室では君の席の隣だ。今後ともどうぞよろしく。」
そういい残すと何事もなかったかの様に、さりげなく音楽室を後にして去っていった。
真琴だけ肩透かしを食らって一人音楽室に取り残されてしまったような気分になった。もう誰もいない音楽室の入り口を見つめて真琴は考えた。何?真琴の隣の席だって?今までそのことに気づかなかったとは真琴の他人に対する興味のなさはかなり重症だなと改めて再認識し、自分自身呆れた。
真琴は彼、柿本蓉介を知らなかったけど柿本は真琴のことをどれくらい知っていたんだろうか。少なくともクラスメイトで教室では席が隣同士というだけのことを知っているようだった。彼に対して真琴は妙な人間だという第一印象を持った。会ってそうそう、いきなり意味深な言葉で切り込んできたかと思えば、こちらの反論に対抗するでもなく、すっと身を引いていった。音楽室の窓から暮れていく校庭のグランドを見つめ、ぼんやりとそんなことを考えていた。
真琴の胸には首から下げたペンダントが光り輝いていた。ただ夢中に夕日の差し込む風景に溶け込んで音楽を奏でていたから、音楽室の入り口から誰かがこちらを見ていることにすぐに気づく事ができなかった。曲を弾き終わりピアノから顔を上げた時、視界の隅に人影が映った。入り口に目をやると一人の男子高校生が脇に美術で用いる大きなキャンバスを抱えて立っていた。
いつからそこに立っていたのか、目と目が合う。しばらくそのまま沈黙が続いた後、彼が口を開いた。その口調はこの穏やかな午後に似つかわしくとても自然な感じだった。
「廊下を通りがかってたら、綺麗なピアノの曲が聴こえてきたから、つい聴き入ってしまってね・・。」
真琴は体をピアノからはずし彼のほうに向き直った。彼の顔に見覚えがある。幼い頃、ある日を境に真琴は人と深く関わらないと心に決めた。他人にはあまり関心を持たなくなった真琴には顔を知っているというだけで、それ以上の情報はこの頭からは出てこない。
「あなた、どこかで会ったかしら?」
真琴は尋ねた。普段ならこんな風に話しかけられても真琴は相手にしなかったが、放課後の誰もいない音楽室という落ち着く空間にいたせいか、気づけば彼に話しかけていた。そのことを差し引いてもどうして話す気になったかははっきり説明できなかった。単なる気まぐれだろうけれど。彼は少し苦笑して言った。
「一応クラスメイトなんだけどな・・まあ新しい学年になって間もないから仕方ないか。」
彼は頭を指で軽くかきながらそう言った。はっきりいってクラスメイトの顔や名前を覚えてなくてもどうでもいいことではあったが一応、心にもないことではあるが表面上、建て前で謝った。
「ごめんなさいね、私、人の顔とか名前を覚えるの、苦手なの。」
特にショックを受けたり怒ったりした様子もなく彼はただそこに立って穏やかな表情をしていた。立ち去る様子がないので真琴は質問した。
「あなた、美術部に所属しているの?」
真琴は彼が持つ薄緑色の大きめのキャンバスに目をやり言った。
「放課後はいつも一人黙々と美術室で絵を描いてるんだ。」
キャンバスを前にかざすようにして彼はみせた。
「ふ~ん。」
特に興味もなさそうに真琴は頷いた。他人が何をしようが自分にはどうでもよいことであった。他人への興味が真琴には極端に欠如していた。突然彼は切り出した。
「話はかわるけど、君の弾くピアノの曲を聴いてぜひ言いたいことがあるんだけれどいいかな。」
いきなり何を言い出すのだろうか。曲がすばらしいとか初対面に等しい他人に向かって馴れ馴れしく感想を述べるつもりだろうか。真琴はニコニコ微笑む彼の顔を怪訝そうに見つめた。
「ええどうぞ、私のピアノが聴く人にどんな印象を与えているのか少しは興味があるわ。聞いてみたいものね。」
彼は真琴の言葉に頷いてから一つ咳払いをして話しだした。
「じゃあ、遠慮なく。君の演奏は美しくて惹かれるものがありとても魅力的だ。けれど腑に落ちないところがひとつある。おそらく僕のような人間だから気づいたのだろうけれど。」
真琴は絶句して彼の顔をまじまじと見つめた。
じゃあ自分はどういう人間だというのだと問うてみたくなった。捉えようによってはいくらでも様々に解釈が取れそうな感想である。しかも今まで教室では顔を合わしたことがあるとはいえ、一度も話したこともない人間がいきなりこんな突っ込んだことを言うことだろうか。面識もない人間が言う台詞ではない。
「すべてお見通しですって感じな事を言うのね。それに初対面の人間に対してずいぶんと失礼じゃないかしら。話をしたこともないあなたに私の何がわかるって言うのよ。」
彼の目を睨み見据えた。声色も低く威圧的に。
「おっと、ごめん。感に障ったかな。」
謝りながらも彼の表情には悪びれた様子はまったく見当たらない。それどころか体全身からゆったりした余裕のオーラが漂ってるようにさえ見えた。絶えず微笑をその口元にたたえている。そんな彼の落ち着き振りが何だか真琴は気に食わなかった。
「気分を害したままですまないけれど僕はこれで失礼するよ。ああそうだ、僕の名前は柿本、柿本蓉介。教室では君の席の隣だ。今後ともどうぞよろしく。」
そういい残すと何事もなかったかの様に、さりげなく音楽室を後にして去っていった。
真琴だけ肩透かしを食らって一人音楽室に取り残されてしまったような気分になった。もう誰もいない音楽室の入り口を見つめて真琴は考えた。何?真琴の隣の席だって?今までそのことに気づかなかったとは真琴の他人に対する興味のなさはかなり重症だなと改めて再認識し、自分自身呆れた。
真琴は彼、柿本蓉介を知らなかったけど柿本は真琴のことをどれくらい知っていたんだろうか。少なくともクラスメイトで教室では席が隣同士というだけのことを知っているようだった。彼に対して真琴は妙な人間だという第一印象を持った。会ってそうそう、いきなり意味深な言葉で切り込んできたかと思えば、こちらの反論に対抗するでもなく、すっと身を引いていった。音楽室の窓から暮れていく校庭のグランドを見つめ、ぼんやりとそんなことを考えていた。