第63話 柿本の絵を見に行くととんでもない現場にww

文字数 3,501文字

掃除を終えた真琴は、音楽室には行かずに美術室の方に向かっていた。彼は真琴と遊園地に行ったことでいい絵が描けたと言っていた。以前一度彼の絵を見せてもらったが、どの絵もうまかったけど何か足りないものを感じた。絵に関して素人の真琴がそういう風に思ったのだ。



そのことを彼に言ったら、彼も納得していたから真琴の指摘を自覚していたのだろう。もしかしたら彼はその欠けたものを埋めることに成功したのではないだろうか。まだ実際に絵を見ていないのでなんとも言えないが、一体どう絵が変わったのだろうかと真琴は少しわくわくしながら、廊下から三階に向かう階段を上がった。



階段を上がりきってすぐ左に曲がればそこが美術室だった。真琴が階段を最後まで上がりきって三階の廊下に足を踏み出そうとした所でふと足を止めた。左に曲がったところにある美術室前の廊下から声が聞こえてきたのだ。



「僕に何の用かな?」

柿本蓉介のいつもの穏やかな声が廊下に響いていた。彼一人ではなく誰か他にいるのかと思い、真琴は曲がり角の手前に背をつけて向こう側から見えないように身を潜ませた。一体誰と話しているのだろうと、少しだけ角から廊下を覗き込んだ。



最初に飛び込んできたのは男子の制服の後ろ姿だった。美術室前の廊下には柿本蓉介が真琴の方に背を向けて立っていて、その向こうには彼と対面する形で一人の女子生徒が立っていた。肩まであるさらりとした髪が長く、目鼻立ちが整って綺麗な印象を受ける女性生徒だった。



二人とも真琴がやってきたことに気がついていないようだった。女子生徒の顔に真琴は見覚えがあった。ええっと・・・確か同じクラスにいたような、いないような・・多分クラスメイトだろう。名前は何だったか・・・・そう、浅倉雪絵だ。



真琴がクラスメイトの顔と名前に全く興味がなくて、彼にせめてそれくらいは覚えた方がいい、その方が何かあった時役立つから、まあクラスが変わったら忘れてもいいけどね、と言われ真琴は面倒だったがしぶしぶクラスの集合写真と名簿を照らし合わせて覚えたのだ。



真琴自身も全くクラスメイト達の名前を知らないことはさすがにまずいと思っていた。別に仲良くするためやったことではないけれど。でも最初は彼のことさえ知らなかったし。



「柿本君・・実は私・・・。」

浅倉雪絵は初め、真剣な表情を彼に向けていたが、さっと顔を伏せて口をつぐんで震え始めた。離れて距離がある真琴の所からも彼女が震えているのがわかった。ただならぬ雰囲気が真琴にも伝わってきて、ごくりと息を飲んでその様子を見守った。



柿本はこちらに背を向けているため、どんな表情をしているのか真琴にはわからなかった。

「私、柿本君のことが好きなのっ。」





浅倉雪絵が意を決したように顔を上げて彼に向かって言った。その目は潤んでいるように見えた。勇気を振り絞ったような声だった。



「!」

真琴は彼女の言葉を聞いて、目を見開いてかたまって呼吸が止まりそうになった。

「え。」

彼は一言そう言っただけで浅倉雪絵を見つめているようだった。



「二年生になって、初めて柿本君と話をした時から・・・私柿本君のこと好きになったの。」

彼の顔をまともに見て言えないのか彼女は俯きがちに話していた。赤面して耳まで真っ赤なのが見て取れた。真琴は目の前で起こっている出来事が本当に現実のことなのかと怪しく思うくらい、頭の中が真っ白になって冷静に考えることができずにいた。



柿本が一人の女子生徒に告白されている。



そのことが真琴の心に衝撃をもたらしていた。意外と言えば意外であった。彼は自分からは滅多に他の生徒達に近づかない。かといって誰かが彼に話しかければ、気さくに愛想よく笑顔で接するものだから、少し変わっていると思われていても、皆から嫌われるということはなかった。



表面上は社交的に振舞うが、深く人と関わらないので、彼に対して嫌悪や好意を持たず、どっち付かずのぼんやりした印象を持っている生徒がほとんどではないだろうか。そんな風にミステリアスで、ルックス、見た目も悪いという事はなく、むしろいいほうなので、彼のさわやかな笑顔、穏やかな口調などに胸をときめかす女子が中にはいてもおかしくはなかったかもしれない。



そんなことを真琴は改めて今更ながらに気がついた。

「・・・・・・。」

彼は何も言い返さずに黙って彼女の話を聞いている。

「柿本君、付き合ってる人いないって言ってたよね、だから・・・その・・・私と付き合ってください!」



彼女が彼に頭を下げて言った。しかし彼はなかなか返事をしようとしない。彼女が顔を上げて懇願するようなまなざしを向けて弱々しい声で彼に聞いた。

「私じゃ・・・駄目かな・・・?」



真琴は気が動転しそうになるのをこらえて彼の次の言葉を待った。もし彼が浅倉雪絵の交際を受け入れたとしたら・・・想像すると真琴は胸がしめつけられるような感覚になった。胸が苦しくて痛む・・呼吸がうまくできない・・・どうして・・?



彼の次の言葉を聞くのが怖い、真琴はこのまま今すぐこの場から逃げ出してしまいたい気持ちに襲われた。だかそんな気持ちとは裏腹に動き出すことができない自分がいる。何も言わず、ただ立ち尽くしている彼に彼女は更に詰め寄った。



「ねぇ、どうして何も言ってくれないの?何か言ってよ・・・・私のこと嫌い・・?」

「そういうわけではないけれど・・・・。」



彼の言う声のトーンがいくらか落ちているのが真琴にもわかった。

「じゃあどうして?わかった。柿本君、来栖さんのことが好きなの?そうなのね?今日も教室で楽しそうにお喋りしてたものね。いつの間に仲良くなったのか知らないけれど私驚いたわ。柿本君が特定の女子とは仲良くしてるところ見たことないんだもの。」



浅倉雪絵の話に、いきなり真琴のことが出てきて真琴は心臓が急激に跳ね上がった。鼓膜を突き破るのではないかと思うくらいはっきり大きく鼓動が真琴に聞こえていた。



「・・・・君には関係のないことだ。」

しばらくの沈黙の後、彼が囁くようにそう言った。



「あの子はやめた方がいいよ。私あの子と同じ中学だったから知ってるの。あの子が中学生の時のこと教えてあげようか。真琴さんって幼い時から両親がいないらしくて施設育ちなんですって。中学で同じクラスだったんだけど、彼女今と同じで他の生徒達と全く関係を持とうとしなくて、クラブとかもしてなかったし協調性ゼロだったのよ。中学三年間ずっとよ。異常すぎるわ。それに皆の間でも変な噂が流れてたわ。裏で何してるか得たいが知れないって。万引きの常習犯だとか、子猫や子犬を殺して楽しんでる異常者だとか。街の不良グループに入って悪さしてるとか、後は中学生なのに中年親父相手に援助交際してたって・・・・・。」



「もうやめないかっ!」

柿本が浅倉雪絵の言葉を厳しい口調で遮った。浅倉は体をびくりと震わせて目を見開いた。浅倉雪絵は真琴と同じ中学出身だったのか、気がつかなかった・・・いやそれどころではなく、真琴は中学では自分に対してあまり言い噂はされていないとは思っていたが、まさかこんなひどく根も葉もない噂が流れていたなんてと唖然とした。



彼は浅倉雪絵の話を聞いてどう思ったのだろうか。彼女の言葉を信じて真琴に愛想をつかして、浅倉の交際を受け入れてしまうのでないか・・・・・・。真琴の胸を恐怖が襲い、手に提げていた学生鞄を廊下に不覚にも落としてしまった。しまった・・・!



人気のない廊下にはその音がよく響いて、浅倉雪絵と柿本が真琴の方に視線を投げてきた。気がつけば無意識の内にその場から離れようと、鞄を拾い上げて来た道を引き返そうと階段を駆け下りていた。それに気がついたのか真琴の後を追いかけてくる足音が聞こえた。真琴が階段の途中の踊り場に差し掛かった時、声をかけられた。



「真琴さんっ!」

真琴は一瞬立ち止まって頭上を見た。三階の廊下から踊り場を見下ろす柿本と視線が交錯した。いつもの表情のおもかげはなく、彼の目には何か苦痛の色が滲んでいた。そのまなざしが真琴の胸深く突き刺さった。数秒見つめあった後、真琴はそのまま逃げるように階段を下りていった。



彼の呼び止める声が再度聞こえたが、真琴は構わずに、一階まで下りてもそのまましばらく走った。学校の裏門を出て、しばらく走ったところでようやく真琴は立ち止まった。彼が追いかけてくる様子はなかった。膝に手をあてて体を折るように荒く息をついた。



しばらくそうしていても胸の鼓動はなかなか治まらなかった。真琴はあれ以上あの場にいるのに耐えられなかった。彼が浅倉雪絵にどんな返事をするのか知るのが怖かった。

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