第35話 最後の難問を解く人物
文字数 3,386文字
「ではこの問題、解いてきた人はいますか?」
先程の勢いよく手を上げていた生徒達が嘘のように、皆黙って大人しくしていたり、困惑顔で下を向いたりしていた。手を上げる生徒の数もめっきりと減り、塾に行っているなど勉強が得意な生徒三、四人に限られてきた。彼らによって数問の応用問題が解かれていった。
そして最後の問題になった。最後は特別難しい問題で、解けると主張しているのは唯一前の方の席でまっすぐに手を上げている生徒一人だけだった。
「他にわかる人はいないですか?」
教室内を一回り見てから他に誰も手を上げなかったので、先生がその生徒、愛を指名した。
愛ははい、としっかりした返事をしてから黒板にすらすらとなめらかに解答を書いていった。先生が正解です、よく解けましたね、と解答に丸し愛を誉めると、クラスメイト達がおおっーと驚きと感嘆の声をあげた。生徒達から敬意と尊敬のまなざしを送られて愛はふふん、と勝ち誇ったような顔をしていた。父兄からも一段と大きな拍手が送られた。加奈がちらっと後ろを見ると、おばが周囲のお母さん達におだてられて気分よさそうにしていた。
「愛ちゃんはやっぱりすごいですわね。勉強もスポーツも出来て、うちの息子とは偉い違いですわ。」
「そんなことはありませんわよ。おほほほほ・・・。」
おばは表向きは謙遜の言葉を述べてはいるが、内心ではすごいことを考えていそうだ。あのおばのことだから私の娘だから、当然よ、あなた達の子供と一緒にしないで欲しいわ、と思っていそうである。
「それに学級委員もして生徒達の代表として引っ張っていってるんでしょ、立派だわ。」
「いえいえ、たいしたことございませんのよ。家では手のかかる子でしてね。」
数々の賛辞におばは気を悪くするはずもなく、終始嬉しそうな笑みを浮かべていた。加奈が問題を解いた時とは雲泥の差があった。
「では最後の問題になります。」
残り時間も少なくなってきて先生が腕時計にチラッと目をやってそう言った。さっきの問題で最後かと皆が思っていたら、先生が黒板に問題を一問だけ書いた。
「これは宿題では出しませんでしたので、今わかる人に解いてもらいます。今までの問題よりちょっと難しいかもしれませんが頑張ってやってみてくださいね。」
出された問題はさっき愛が解いたものより数段難しそうだった。解けた人は手を上げてください、と先生が言い、しばらく生徒達に時間を与えたが、誰も手を上げそうになかった。愛も難問を前にずっと考え込んでいるようで、まだ解けていないようだった。先生が愛に話しかけた。
「中村さんでも、この問題は解けないかしら?」
愛は悔しそうにはい、と小さく返事しているようだった。加奈は神楽坂の方を見た。彼女は教室後方の窓際付近にいる加奈とは逆の廊下側から二列目の一番後ろから三番目の席に座っている。神楽坂は早く授業が終わらないかと退屈そうな顔をしていたが、加奈がじっと見ていることに気がついたらしく、彼女も見つめ返してきた。今日、彼女は授業に全く参加していない。加奈は心配そうなまなざしを彼女に送った。
亜沙子ちゃんならこの問題解けるんじゃないの?それにどの人なのかは加奈にはわからないけれど亜沙子ちゃんのお母さんが観に来てくれてるんでしょ、お母さんにいい所を見せるチャンスだよ?いいの、このまま終わっても?せっかく来てくれたのに・・。
そんな気持ちで、加奈は観に来ているであろう、神楽坂の母がいる教室後方と神楽坂の方を交互に見た。神楽坂は加奈の言いたいこと、気持ちに勘づいたのだろうか、母親のほうを見たのか、父兄らの方にチラッと視線を走らせ、それから加奈の顔をじっと見つめた。しばらくそうした後、彼女は仕方ないわね、という風に目を閉じてため息をついた。
「先生、解けました。」
ずっと問題とにらめっこしていた生徒達が顔を上げて、その声の主を見ると、一瞬どよめきが起った。神楽坂が一人、すました顔で淡々と手を上げている。今まで一度も手を上げなかった彼女がこの最後になって、しかも超難問に手を上げたことに先生は驚いたのか、しばらく言葉を失っているようだった。
「そ、そう。じゃあ、神楽坂さん、解いてみてください。」
ガラッと椅子を引いてつかつかと神楽坂は黒板まで歩いていった。その間、生徒達の神楽坂を見てのヒソヒソ言う話し声が起ったが、神楽坂は全く気にした感じもなくポーカーフェイスのままだった。少しも詰まることなく彼女は軽い感じで解答を導いていった。あまりの解答の速さに皆が唖然としている中、さっさと解き終えると神楽坂は何事もなかったかのように席に戻っていった。
周囲の雰囲気など知らん顔という感じだ。教室に水を打ったようにしばしの沈黙が訪れた。静寂を破ったのはハッと我に返った先生だった。
「せ、正解です。よく出来ましたね。」
先生も驚いていて、答え合わせするのも忘れていたようだ。先生が解答に丸すると教室に拍手が響き渡る。だが加奈はこの拍手にどうしてか違和感を感じた。最も難しい問題が見事に解かれたというのに、その称賛はどこか控えめというか、躊躇いがちというか、どこかもどかしかった。惜しみなく拍手しているのは加奈と、そしておばあちゃんを含む父兄の幾人かだけだった。
周囲を見渡すとクラスメイト達が神楽坂のほうを盗み見るようにちらちら見ながらぎこちなく手を叩いていた。生徒達の神楽坂に対する態度がおかしいのは以前から知っていたが、父兄の人々の反応も変なのはどういうことなのだろう。拍手がおさまってきた時、後ろの父兄らの話が、加奈の方に聞こえてきた。加奈の席が後方から二列目という事もあって、彼女らのヒソヒソ声が耳に入った。
「神楽坂さんの娘さん、確か塾には一切行ってないんですってね、それなのに勉強が出来るなんてすばらしいわ。」
生徒の母親の一人が、隣で腕を組んでじっと前を見ている女性に話しかけていた。
「進学塾に行ってる中村さんのところの愛ちゃんも解けなかった問題を解いたんですものね。」
今度はその女性の逆隣に立っていた生徒の母が言った。二人とも誉める言葉を口にしているのにどこかぎこちない。場を取り繕っているような印象を受けた。言われた女性の顔を見て、加奈はあっ、と思った。
声が出そうになったのをおさえてその女性の顔をまじまじと見た。神楽坂に似ている。特にクールそうなまなざしがそっくりだった。亜沙子のように顔立ちが整っていて美人だけれど、もしかしてあの人が神楽坂のお母さん?でもそうだとしたらどうして娘を自慢できる場面なのに、あんなにかたく表情を強張らせているのだろう。誉められても少し微笑んで会釈する程度ですぐに元の表情に戻ったのだった。
今度は彼女から少し離れた所にいた母親達が話しているのが聞こえた。
「あの子でしょう。前に事件を起こした子・・・。」
「しっ!聞こえるわよ。あの子のお母さん観に来てるんだから。」
注意された母親は口を押さえていた。どの人が神楽坂の母親かわからなかったのだろう。辺りをキョロキョロと見回していた。加奈はおばの方に目を向けた。さっきまでの気分のよさそうな表情が打って変わって、険しくなっている。愛ではなく神楽坂に最後、いいところを持っていかれたことに怒りを感じているのだろう。周囲の父兄も最初愛に注目を集めていたのに、即座に神楽坂に彼らの称賛の視線を持っていかれてしまったのだ。おばは愛が学校で優等生なのを皆に自慢して鼻が高かった。
そして神楽坂の母親が誉められているのも、おばの耳に入っているだろうから、余計に悔しいはずだ。おばから教室の前に座っている愛に視線を移すと、悔しそうに歯を食いしばってる横顔が見えた。拳を握りしめて机に強く押し付けている。成績トップと皆から敬われ進学塾に行ってる自分が塾に行ってない神楽坂に負けたことがよっぽど屈辱的なのだろうか。
「はい、それでは今日の授業はここまでです。お父さんお母さんが観に来ている中で皆さんよく頑張りましたね。普段の授業もこの調子で頑張って行きましょう。父兄の方々も本日はお忙しいところ時間を縫って、来ていただきありがとうございました。」
先生が授業を締めくくって深く頭を下げて礼すると父兄から大きな拍手が送られた。号令係が号令をかけ、起立礼をしてその日の授業は全て終了、下校となった。
先程の勢いよく手を上げていた生徒達が嘘のように、皆黙って大人しくしていたり、困惑顔で下を向いたりしていた。手を上げる生徒の数もめっきりと減り、塾に行っているなど勉強が得意な生徒三、四人に限られてきた。彼らによって数問の応用問題が解かれていった。
そして最後の問題になった。最後は特別難しい問題で、解けると主張しているのは唯一前の方の席でまっすぐに手を上げている生徒一人だけだった。
「他にわかる人はいないですか?」
教室内を一回り見てから他に誰も手を上げなかったので、先生がその生徒、愛を指名した。
愛ははい、としっかりした返事をしてから黒板にすらすらとなめらかに解答を書いていった。先生が正解です、よく解けましたね、と解答に丸し愛を誉めると、クラスメイト達がおおっーと驚きと感嘆の声をあげた。生徒達から敬意と尊敬のまなざしを送られて愛はふふん、と勝ち誇ったような顔をしていた。父兄からも一段と大きな拍手が送られた。加奈がちらっと後ろを見ると、おばが周囲のお母さん達におだてられて気分よさそうにしていた。
「愛ちゃんはやっぱりすごいですわね。勉強もスポーツも出来て、うちの息子とは偉い違いですわ。」
「そんなことはありませんわよ。おほほほほ・・・。」
おばは表向きは謙遜の言葉を述べてはいるが、内心ではすごいことを考えていそうだ。あのおばのことだから私の娘だから、当然よ、あなた達の子供と一緒にしないで欲しいわ、と思っていそうである。
「それに学級委員もして生徒達の代表として引っ張っていってるんでしょ、立派だわ。」
「いえいえ、たいしたことございませんのよ。家では手のかかる子でしてね。」
数々の賛辞におばは気を悪くするはずもなく、終始嬉しそうな笑みを浮かべていた。加奈が問題を解いた時とは雲泥の差があった。
「では最後の問題になります。」
残り時間も少なくなってきて先生が腕時計にチラッと目をやってそう言った。さっきの問題で最後かと皆が思っていたら、先生が黒板に問題を一問だけ書いた。
「これは宿題では出しませんでしたので、今わかる人に解いてもらいます。今までの問題よりちょっと難しいかもしれませんが頑張ってやってみてくださいね。」
出された問題はさっき愛が解いたものより数段難しそうだった。解けた人は手を上げてください、と先生が言い、しばらく生徒達に時間を与えたが、誰も手を上げそうになかった。愛も難問を前にずっと考え込んでいるようで、まだ解けていないようだった。先生が愛に話しかけた。
「中村さんでも、この問題は解けないかしら?」
愛は悔しそうにはい、と小さく返事しているようだった。加奈は神楽坂の方を見た。彼女は教室後方の窓際付近にいる加奈とは逆の廊下側から二列目の一番後ろから三番目の席に座っている。神楽坂は早く授業が終わらないかと退屈そうな顔をしていたが、加奈がじっと見ていることに気がついたらしく、彼女も見つめ返してきた。今日、彼女は授業に全く参加していない。加奈は心配そうなまなざしを彼女に送った。
亜沙子ちゃんならこの問題解けるんじゃないの?それにどの人なのかは加奈にはわからないけれど亜沙子ちゃんのお母さんが観に来てくれてるんでしょ、お母さんにいい所を見せるチャンスだよ?いいの、このまま終わっても?せっかく来てくれたのに・・。
そんな気持ちで、加奈は観に来ているであろう、神楽坂の母がいる教室後方と神楽坂の方を交互に見た。神楽坂は加奈の言いたいこと、気持ちに勘づいたのだろうか、母親のほうを見たのか、父兄らの方にチラッと視線を走らせ、それから加奈の顔をじっと見つめた。しばらくそうした後、彼女は仕方ないわね、という風に目を閉じてため息をついた。
「先生、解けました。」
ずっと問題とにらめっこしていた生徒達が顔を上げて、その声の主を見ると、一瞬どよめきが起った。神楽坂が一人、すました顔で淡々と手を上げている。今まで一度も手を上げなかった彼女がこの最後になって、しかも超難問に手を上げたことに先生は驚いたのか、しばらく言葉を失っているようだった。
「そ、そう。じゃあ、神楽坂さん、解いてみてください。」
ガラッと椅子を引いてつかつかと神楽坂は黒板まで歩いていった。その間、生徒達の神楽坂を見てのヒソヒソ言う話し声が起ったが、神楽坂は全く気にした感じもなくポーカーフェイスのままだった。少しも詰まることなく彼女は軽い感じで解答を導いていった。あまりの解答の速さに皆が唖然としている中、さっさと解き終えると神楽坂は何事もなかったかのように席に戻っていった。
周囲の雰囲気など知らん顔という感じだ。教室に水を打ったようにしばしの沈黙が訪れた。静寂を破ったのはハッと我に返った先生だった。
「せ、正解です。よく出来ましたね。」
先生も驚いていて、答え合わせするのも忘れていたようだ。先生が解答に丸すると教室に拍手が響き渡る。だが加奈はこの拍手にどうしてか違和感を感じた。最も難しい問題が見事に解かれたというのに、その称賛はどこか控えめというか、躊躇いがちというか、どこかもどかしかった。惜しみなく拍手しているのは加奈と、そしておばあちゃんを含む父兄の幾人かだけだった。
周囲を見渡すとクラスメイト達が神楽坂のほうを盗み見るようにちらちら見ながらぎこちなく手を叩いていた。生徒達の神楽坂に対する態度がおかしいのは以前から知っていたが、父兄の人々の反応も変なのはどういうことなのだろう。拍手がおさまってきた時、後ろの父兄らの話が、加奈の方に聞こえてきた。加奈の席が後方から二列目という事もあって、彼女らのヒソヒソ声が耳に入った。
「神楽坂さんの娘さん、確か塾には一切行ってないんですってね、それなのに勉強が出来るなんてすばらしいわ。」
生徒の母親の一人が、隣で腕を組んでじっと前を見ている女性に話しかけていた。
「進学塾に行ってる中村さんのところの愛ちゃんも解けなかった問題を解いたんですものね。」
今度はその女性の逆隣に立っていた生徒の母が言った。二人とも誉める言葉を口にしているのにどこかぎこちない。場を取り繕っているような印象を受けた。言われた女性の顔を見て、加奈はあっ、と思った。
声が出そうになったのをおさえてその女性の顔をまじまじと見た。神楽坂に似ている。特にクールそうなまなざしがそっくりだった。亜沙子のように顔立ちが整っていて美人だけれど、もしかしてあの人が神楽坂のお母さん?でもそうだとしたらどうして娘を自慢できる場面なのに、あんなにかたく表情を強張らせているのだろう。誉められても少し微笑んで会釈する程度ですぐに元の表情に戻ったのだった。
今度は彼女から少し離れた所にいた母親達が話しているのが聞こえた。
「あの子でしょう。前に事件を起こした子・・・。」
「しっ!聞こえるわよ。あの子のお母さん観に来てるんだから。」
注意された母親は口を押さえていた。どの人が神楽坂の母親かわからなかったのだろう。辺りをキョロキョロと見回していた。加奈はおばの方に目を向けた。さっきまでの気分のよさそうな表情が打って変わって、険しくなっている。愛ではなく神楽坂に最後、いいところを持っていかれたことに怒りを感じているのだろう。周囲の父兄も最初愛に注目を集めていたのに、即座に神楽坂に彼らの称賛の視線を持っていかれてしまったのだ。おばは愛が学校で優等生なのを皆に自慢して鼻が高かった。
そして神楽坂の母親が誉められているのも、おばの耳に入っているだろうから、余計に悔しいはずだ。おばから教室の前に座っている愛に視線を移すと、悔しそうに歯を食いしばってる横顔が見えた。拳を握りしめて机に強く押し付けている。成績トップと皆から敬われ進学塾に行ってる自分が塾に行ってない神楽坂に負けたことがよっぽど屈辱的なのだろうか。
「はい、それでは今日の授業はここまでです。お父さんお母さんが観に来ている中で皆さんよく頑張りましたね。普段の授業もこの調子で頑張って行きましょう。父兄の方々も本日はお忙しいところ時間を縫って、来ていただきありがとうございました。」
先生が授業を締めくくって深く頭を下げて礼すると父兄から大きな拍手が送られた。号令係が号令をかけ、起立礼をしてその日の授業は全て終了、下校となった。