第38話 加奈の告白

文字数 3,900文字

翌日、神楽坂は特に用事がないという事で、加奈の誘いに乗ってくれた。お昼過ぎに駅前で待ち合わせをして、二人は電車に乗って加奈が以前住んでいたアパートの最寄駅で下車した。昨日、どこに行くのかを神楽坂に聞かれたが、加奈はとにかくついて来て欲しい、そんなに遠くじゃないからと答えると、彼女はそれ以上は追及してこなかった。



加奈の穏やかな、でも瞳にかたい決意のこもった表情に何かを敏感に感じ取ったからかもしれない。どこに連れて行ってくれるのか楽しみね、と彼女は笑っただけだった。駅から歩いていく途中で加奈は花屋で花を買った。神楽坂は加奈のその様子にどこに行くのか察しがついたかもしれない。綺麗な花ね、と加奈の持った花を見て言った。



花屋からしばらく歩いていくと坂の上にお寺が見えてくる。坂を上りきり寺の敷地内に入ると、まっすぐに墓地に向かって加奈は足をすすめた。その後を神楽坂がついて来る。その間、二人は言葉を交わさず、ただ黙々と歩き続けた。墓標群が並ぶ中で加奈は両親が葬られたお墓の前で足を止めた。その場に腰を下ろして持ってきたお線香をお墓に備え、目を閉じ手を合わせた。



神楽坂はその後ろでじっと黙ったまま立っている。ゆっくりと瞼を上げて加奈はお墓に向き合ったまま、静かに言った。

「このお墓は母と父のお墓なの・・・・。」



神楽坂の反応がなかったが、加奈の告白に一瞬かたまったのかもしれない。二人の間を風がなでる様に通り過ぎて行った。落ち葉が宙に踊るように舞った。彼女は今どんな顔をしているのだろう。ただただ驚いているのか、悲しそうに同情しているのか。見ていないのでその表情はわからないけれど。



しばらくしてから、彼女はそう・・とだけ呟いた。参観日で親は用事で来ないと嘘をついた加奈のことを思い出しているだろうか。

「・・・お父さんは私が生まれる前に重い病気で亡くなったから、直接は会った事がことがないの。でも私のこととても愛してくれていたみたいで、生まれてくることすごく楽しみにしてくれていたんだって。加奈っていう名前もお父さんがつけてくれたんだよ。」



まるで昔話をするかのように加奈はゆっくりと静かに話し出した。

「そうなんだ。じゃあ、それからはお母さんと二人で生活してきたのね・・・?。」

神楽坂の言葉に加奈は頷いて続けた。

「私にはお父さんがいなくて残念だったし、母と二人暮らしで生活も決して楽なものではなかったけれど、でも自分のことを不幸だなんて思ったことは一度もなかったわ。優しいお母さんがいつも私の側にいてくれたから。」



加奈は母のぬくもりを一つ一つ思い出すように話し続けた。そう遠くない過去になくしてしまった大切な記憶を心の中に探すように。

「貧しくて苦しい生活だったのに嫌な顔を一つせずに弱音も愚痴も言わないで、お母さんは私を育ててくれたの。たくさんの愛情を注いでくれてね。いつも笑顔で私のこと温かく包み込んでくれたの。大好きだったなぁ・・・。」

「本当に素敵なお母さんだったんだね・・・。」



幸せだった頃を噛み締めるように話す加奈に神楽坂がしみじみといった口調で答えた。

「うん・・・。何の不満もない幸せな日々はずっと続いていくって思ってたの。消えてなくなるなんて残酷なことあるわけないって・・いえ、そんな考えが浮かぶ暇もないくらい突然、母との別れはやって来たの・・・。」

加奈はここで言葉を切って、墓石をじっと見つめた。あの事故のあった日のことを思い出しながら。神楽坂はじっと真剣な様子で加奈の話の続きを待っているようだった。



「お母さんは、ほんの数ヶ月前に交通事故で死んだの。私を庇って・・・。信じられなかったわ。豊かな暮らしが欲しかったんじゃない、ただお母さんが側にいてくれればそれでよかったのに・・・それなのに神様は私の最も愛する人を、一番大事なものを奪っていったんだもの。」



加奈の声が、体が震えた。今でも思い出すとずきりと痛む、胸の前で両手を強く組んだ。当時のことがよみがえり、やるせない悲しみがこみ上げてきた。

「私の全てと言ってもおかしくはなかったお母さんを失って、ものすごい衝撃を受けたわ。世界が終わってしまったんじゃないかって程に。それから私は遠い親戚に引き取られることになったの。親戚といっても血は繋がってないんだけれど・・。」

中村愛がそうね、と神楽坂の言葉に加奈はこくんと頷いた。



「愛ちゃんの家族と生活することになったんだけれど、そこの人達はあまり良い人達じゃなくって・・・。突然やって来たよそ者の私のこと、よく思ってないみたい。沈んでた気持ちが余計に苦しくなったわ。」

加奈はおじやおばらの酷い扱いのことは詳しく話さなかった。神楽坂に心配をかけたくなかったからだ。

「心が不安定なまま、新しい環境で新しい学校に通うことになってとても不安だった。私友達作るの上手じゃないし、ただでさえ母が亡くなって落ち込んでいたし・・・、あの頃は本当に辛かった。でもそんな苦しい時に亜沙子ちゃん、あなたに出会えたのよ。」



加奈は振り返って微笑み言った。神楽坂は自分のことを言われて少し驚きの表情を見せていた。まるでそんなことまったく予想していなかったみたいに。加奈は立ち上がって神楽坂の方に向き直って微笑んだ。

「あなたは他のクラスメイト達とは違って、私のことを気遣ってくれて友達になってくれた。私の過去を暴くような強引な詮索はしなかったよね。ただそっと一緒にいてくれたことが、側にいてくれたことがあの頃の、心が崩壊しそうでどうにかなってしまいそうだった私には本当にどれだけありがたかったことか・・・。下手に事情を話して慰められたりするよりもずっとね。」



お墓に視線を戻して加奈は言った。彼女に同情されていれば逆にもっと辛い思いをしていたに違いない。

「私時々、ここにお墓参りに来るたびにね、亜沙子ちゃんのことをお母さんに報告したりしてたのよ。素敵なお友達が出来たんだってね。」

「そんなことしてたんだ・・・。何だか少し照れるじゃないの・・・。」

神楽坂の頬が少しだけ、赤くなった。普段クールで済ました顔をしている彼女なのでその表情は何だか新鮮に感じられた。



「そうしてあなたと一緒にいるうちに、私の心も少しずつだけれど安定していったわ。亜沙子ちゃんと色んな所に行って、お話ししていく中で忘れかけていた大切なものを思い出せたの。お母さんが教えてくれたことで、お母さんを失ってなくしかけたもの・・・。」

一体、何を思い出したのと聞く神楽坂に呼吸を一つし、少し間を置いて加奈は答えた。



「幸せな瞬間をこの心で逃さずに敏感に感じ取って味わうということよ。」

胸に手を当てて言う加奈に、神楽坂は首を振った。

「私、加奈がいうようなそんなたいしたことしたつもりないよ。」

彼女の言葉に加奈はゆっくり首を左右に振り、そんなことないよと答えた。

「この間、あなたがとってくれたうさぎのぬいぐるみね、実は前にお母さんが私にプレゼントしてくれたものと同じなの。なくしてしまった大切なものを亜沙子ちゃんが私にくれた・・・・それがちょうど良いきっかけになったのかも・・・あの時にね、私の昔のこと話そうって思ったの。」



だからぬいぐるみをとってあげた時あんなに喜んだのかのかと納得したのか、神楽坂は寂しげな笑みをたたえて言った。

「過去のこととか、話したくなかったら話さなくていいって・・言ったけれど、今までもっと早くに話してくれなかったってことはそんなに信用されてなかったのね?」

「ううん、そうじゃない、そうじゃないのよ。」

加奈は左右に激しく首を振って否定した。神楽坂の両手を包み込むようにして強くつかんだ。加奈は真剣なまなざしを彼女に向けて言った。



「いつかは言おうって思ってたわ。気持ちが落ち着いた時に必ずって。本当よ。出会ってすぐにいうような事じゃなかったし・・・不幸を自慢してるみたいに聞こえそうで。同情されてあなたと仲良くはなりたくなかったから。ちゃんとした形で友達になりたかったの。あなたもそう思ったから初めて話した時、詮索してこなかったんでしょう?」



こんなにも自分は辛い目にあっているんだ。だから優しくして、慰めてって・・・そんな風な関係を持つのは嫌だった。そんなの対等の友達関係じゃないと加奈は思う。あの頃は加奈の心が回復するまで側にいてくれるだけで充分だった。



「ばかねぇ・・。そういうところは頑固で真面目なのねぇ・・・。」

神楽坂は初め、加奈の心内の告白に驚いて目を丸くしていたようだが、目を細め眉の端を下げた。穏やかな微笑を向け、腕を回して加奈を抱きしめた。突然のことで加奈は顔が真っ赤になった。心臓がどきどきしたが、やがてその状態が心地よいものになって穏やかな満たされた気持ちになり、目を閉じて加奈も手を彼女の背中に回して抱き合った。



神楽坂の温かな体温が直に感じられた。彼女は今、確かにここに存在していて、加奈と共に同じ時間を過ごし、この腕の中にいる・・・そのことに加奈は感動し、心底感謝せずにはいられなかった。

「まあ、お母さんが大切な存在だからこそ軽く口にしたくない気持ち、わかるけれどね・・・。」

「亜沙子ちゃんが友達になってくれて本当によかった・・・・。」



加奈がそう言うとふふふ、と加奈の肩越しに笑みを漏らした後、神楽坂は抱きしめる手を強めて、もう一方の手で加奈の髪を撫でた。それから優しく穏やかな口調で言った。

「辛かったでしょう・・・今までよく頑張ったね・・。」



神楽坂のねぎらうような言葉に、加奈は目頭が思わず熱くなってうん、と震える声で頷いてみせた。

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