第25話 柿本蓉介の絵画鑑賞

文字数 3,756文字

「真琴さん、僕が今描いている絵を見てみないかい?」



放課後ホームルームが終わり、部活にいくクラスメイトや帰宅する生徒がいっせいに席を立ちそれぞれの予定に向けて教室を抜け出していく。ざわめきがあたりを包み込む中、真琴は何をするでもなく窓から見える景色をただぼんやり眺めていた。



春を少し過ぎ夏に向かっていこうとするこの時期、太陽が沈むのはまだ先のようでわずかに赤みかかった空が校庭のグランドを照らしていた。柿本が音楽室に二度目に来た日からすでに一ヶ月近くが過ぎようとしていた。満開だった桜も散って今ではみる影もない。あれから彼は真琴に近づいてはこず、たまに視線が合えば微笑んでくるだけだった。



そして今日の放課後、気がつけば教室には真琴と彼しかいなくて、彼が久しぶりに真琴に話しかけてきたのは、真琴がこれからいつものように音楽室に向かおうとしていた時だった。



「あなたの絵?」



あまりにも突然のことだったので、真琴は一体何を言い出すのだろうと不思議に思った。今まで真琴には一言も話さないようにいていたのに、本当に唐突だった。

「そう、ぜひ君に見てもらいたいんだ。この後急ぎの用事があるのなら無理にとは言わないけれど。」



他人の描いた絵に興味なんかこれっぽっちもなかったが、正直彼の描いた絵には興味があった。どうしてだろう。美術館にあるような偉大な芸術家の絵画なら別だが、他の人間が描いた絵なら全く見ようとは思わないのに、どうしてだか彼の描いた絵と聞いた時、見たいと思っている自分がいることを真琴は認識せざるおえなかった。彼の絵に興味があるというより、その絵を描いている彼自身に興味が向いているのかもしれなかった。いつからそう感じるようになったのかははっきりしていない。



しかし現実に学校生活の中で気づけば彼の姿を目で追っている自分に気づいていた。彼のものなら何でも、絵であっても、そこから彼という人間像がわかるかもしれない。真琴は見たいという強い欲求をあらわした姿を見せるのはしゃくなので、冷静につんとすました態度で、特に興味なんかないけど、軽い気持ちで見てやるわという感じに言った。 



「そうね、あなたの絵なんかはっきりいってどうでもいいけど・・・いいわ。暇だし、ためしに見てみようかしら。」

嫌味を含んだ返事を受けても、彼は表情を崩さず少し笑い出しそうになるのを我慢しているようだった。

「ちょっと、何がおかしいのよ!せっかく見てあげるって言ってるのに!」

真琴は心の裏を読み取られたのではと赤くなりながらも強気に彼を非難した。



「いやいや何でもない。ごめんごめん、じゃあ美術室に絵を置いてるから今から一緒に来てくれるかい。」





美術室は人気がまったくなく入室する時、ここにたどり着く前に寄った職員室から拝借してきた鍵を使った。教室と同じように机と椅子が整然と並べられており、部屋の窓際には手洗い場が設けられおそらく絵画などした後の後片付けなどに使用されるのだろう。教室でいう教壇側には横に長い机が設置されており、上には画用紙や絵筆、絵の具、巨大な定規など何に用いるのかよくわからない木材などが大雑把に置かれていた。



「美術部って部員はあなただけなの?」

扉を静かに閉める彼を振り返って聞いた。

「元々は部活があったみたいだけど、部員人数が足りなくて今年、部がなくなったんだって。部として認められるには最低五人は部員が必要だそうだから。」



柿本が言うには放課後誰も美術室を使う生徒がいないので美術教師の許可をとって使わせてもらっているらしい。真琴が音楽室を使っているのと同じか。いや真琴の場合ほぼ無断で使っているけれど。



団体で和気あいあいとクラブ活動をすることは彼の性に合わないらしくむしろ部がなくなった事は好都合らしい。部員を集めて部活を作る気はさらさらないとか。そういう団体行動が苦手というところは真琴と似ているかもしれないが、教室での彼の振る舞いを見ていると、他人と歩幅を合わせるのは好きではないにしろ、彼がその気になってやろうと思えばできそうな気が真琴にはする。



「奥の部屋から僕の絵を持ってくるから、適当にその辺で座って待ってて。」

真琴に告げるなり教壇の後ろの一番端にある準備室のような部屋に彼は入っていった。適当な椅子に腰掛け、鞄を机の上に置いた。待っている間、柿本がどんな絵を描いているのか想像してみた。本人から描いてる絵の種類や何を題材に描いているのかを聞いたことがなかったので、柿本蓉介という人間の人柄からどういう絵を創作しているか想像するしかなかった。



彼は普段教室では目立つ存在ではないがクラスメイトとのコミュニケーションは円滑に行っている。しかしまわりの生徒達とは進んで相容れようとはせず一人の時は教室で本を読んだり絵の構想などをノートに描いたり、窓際で体をもたせかけてぼおっと外の景色を眺めたりして過ごしている。その点では私との共通点が見出せる。しかし完全にクラスから浮いているというわけでなく、クラスメイトから話しかけられたら笑顔で明るく対応するので周りの人間は奇異の目で見たりはしない。



そこが決定的に私と違う。私の場合は話しかけられても無愛想に振舞うので相手にされなくなっていて、完全に教室では浮いた存在である。窓の外を眺めながら思案している内にどんな絵を描いているのか予想もつかぬまま、彼が奥の部屋から絵を携えて戻ってきた。彼の手に収まってるものを見たところ物は一枚ではないらしい。何ミリかの厚みがある。



「お待たせ。とりあえず今描いてる絵と過去に描いた絵を何点か持ってきたよ。」 

いいながら彼は数枚の絵を、私が座っている椅子の机の上に乗せた。一番上に置かれた絵を手にとって見た。最初に目に飛び込んできたのは学校の風景が描かれていたものだった。



学校の校門を背景にたくさんの生徒が描かれていた。連れだった友人と笑顔を交わしながら鞄片手に学校に入っていく生徒、門の前に立つ先生に挨拶をしている生徒、様々な生徒が描かれていた。端から普通に見れば日常のどこにでもある学校の風景の一場面を切り取った絵に見えた。絵の上手さに関しては素人目に見ても描かれている技術がずば抜けているのがわかる。



しかしどこか違和感を感じた。他の絵に目を通してみると、風景だけが描かれたものやこの世のどこでもない異世界を想像してかかれた絵、残りは一枚目同様に人々が描かれていた。どの絵も先ほど感じた感覚が湧き上がる。うまく言えないが何かが欠けているような印象を受けた。



「どうだい、僕の絵は。見るまでは興味なかった?みたいだけれど見てみると面白いでしょう。」

真琴を見つめてくる彼の視線、話しかけてくる口調には何かしらの意味がこめられているのがなんとなくわかった。どうして真琴に絵を見せようとしたのか、何故彼が真琴に近づいてきたのか。描かれた絵はどこか物足りなさをかもし出している。



絵の素人や興味がない人にはわからないくらい些細なことかもしれないし見る人によっては切実過ぎるくらいに重要なことかもしれなかった。もしかしたらこの絵から真琴が今感じたことが、柿本がクラスメイトの他の誰でもない真琴に近づいた理由に深く関係しているのではないかと直感的に思えた。そういえば彼が初めて真琴のピアノ演奏を聴いた時何と言っていたか。



確か、一つ批判を告げた後、彼のような人間にしかその批判に気づくことはないと言っていた。真琴のピアノ演奏と彼の絵画には何か共通する部分があるのだろうか。あるとしてそれがどんなものであるかは真琴にはわからないし言葉で説明できるものではなかった。漠然とそう思えるだけなのだ。



「興味深い絵ね。絵の技術は素直にうまいといえるわ。でもね、前にあなたが私のピアノ演奏に言ったことの仕返しじゃないけれど・・・・はっきりいうけど、どうもどの絵もおかしな印象を受けるんだけど。」

真琴は彼に正直に感想を述べた。別に意地悪に批判するつもりがあったわけでも過去の軽い恨みを晴らそうと考えたわけでもない。お世辞を言うつもりもなかった、というより真琴はうわべだけのほめるような嘘は苦手だったが。いいものはいいと言うし、悪いものは悪いと言うので、真琴はあまり裏表のある人間ではなかった。



「そういうと思ったよ。」

柿本は真琴の前の席に反対向きに座り、椅子の背に組んだ腕に顔を乗せてまるで彼自身は何もかも知っているかのような何とも言えない笑みを浮かべ真琴のほうを見ていた。真琴は腑に落ちない表情で彼に尋ねた。



「それはどういう意味?私があなたの絵に対して言った感想をあなたは予想できたって言うの?」

「まあね、君のような人間だからこその感想と言うところかな?君に絵を見せて正解だったよ。僕の目は節穴じゃなかった。」

またしても彼が何を言っているのかわからなくなってきた。

「私だから言えた感想?じゃあ私ってどういう人間だっていうの?一人で納得してないできちんと説明しなさいよ。」



真琴は彼に何度も問い詰めたが彼はそれ以上何も言おうとしなかった。一人満足した表情でさっさと絵を片付け始めてしまい、真琴だけが頭の中を混乱させていた。まるで思考の迷路に一人取り残された気分になった。        

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