第78話 優しい約束

文字数 3,694文字

加奈のきっぱりとした返事を聞いて満足そうに微笑んだ裕子は受かる可能性はゼロじゃないわ、と言いそれから加奈の勉強の進み具合、正確な学力の詳細、どの教科が得意でどの教科が苦手かなど細かく聞いてきた。



教科別に要領のいい勉強の仕方、公立高校のテストでいかに効率よく点数を取るかを要点を詳しく教えてくれて加奈はしっかりと聞き漏らすまいとメモを取った。裕子の話を聞いていて加奈はなるほどと思うことばかりだった。



こんなに理にかなったやり方があるなんてと感心し、自分の効率が悪かったやり方を改めようと思った。一通り教えてもらい、腕時計に目をやるともうすぐ九時になろうとしていた。話を聞くのに夢中で食べ終えたお皿がいつの間にか下げられていて気づかなかった。



店内に入ったときいた客はもうほとんどいなくて新しい客に変わっている。

「私の教えられることは全部言ったわ。これでも一応和泉高校を合格した生徒の一人だからね。後は加奈ちゃんの頑張り次第よ。」



裕子は最後の学力模試でAかB判定がとれたら試験を受けても問題ないでしょう、ただしそれ以下の判定なら試験を受けることはすすめられないわ、人生に関わることだから無理は禁物よ、落ちたら取り返しがつかないからと付け加えた。



「あの、本当にここまで親身になって教えていただいてありがとうございましたっ。」

加奈は深々と頭を下げて礼を言った。心からお礼を言いたかった。

「やあね、そんな改まっちゃって。私そんな大したことしてあげてないわよ。ただのノウハウ、マニュアルよ。あくまで頑張るのはあなたなんだからね。」



すごく人のお世話をするのがうまい人だなあと加奈は感心した。

「裕子さんはどうしてこんな見ず知らずの今日あったばかりの私なんかにこんなに親切にしてくれたんですか?」

不思議な気持ちで素直に加奈は聞いた。裕子はどこか悲しさをたたえた少し弱々しい笑みを浮かべた。今まで見せていた明るさに一瞬影がさした様に感じた。



「どうしてって・・・そうねえ。強いて言うなら、今日あなたが駅で声を掛けて来た時のあなたの表情を見たからかな。」

「どんな顔してました?ちょっと恥ずかしい・・。」



「ふふ、何か大事なものをやっと見つけ出して決してはなさないぞっていう顔してたわよ。初めて会ったのに加奈ちゃんの必死な気持ちがとってもよく伝わってきたわ。でも事情を聞くと制服が気になったから、でしょう?必死な感じと浅はかな理由がどうしても重ならない、一致してないなって思ったの。これはただのいたずらや冷やかしではないなって直感したわ。明らかにいたずら目的だってわかったら私、あの時相手になんかせずに帰って、今頃家でご飯食べてダラダラしてるわよ。本当のところどうしても和泉高校に行きたいわけがあるんでしょう。ああ、いいたくなければ言わなくていいわよ。」



裕子の話を聞き誠実な人柄を感じているうちに加奈は本当の事情を話してもいいかもしれないと思った。この人になら加奈の話を笑って馬鹿にしたりせずに聞いてくれるかもしれない。

「実は・・・・。」



加奈は簡単に何度も見た強烈な夢の話のことを手短に話した。裕子は笑いも冷やかしもせずに真剣な表情で聞いてくれた。



「そう、そんなことがあったの。世の中には不思議なことがあるのね。あなたがどうしても和泉高校に行きたいって言う気持ちもわかるわ。私が加奈ちゃんと同じ立場だったらあなたと同じ行動をしたでしょうね。それにしてもなんだかすごく運命的な出来事でわくわくするわね。」



深く頷いた後、裕子がそう言った。加奈は、裕子さんも私みたいに走って追いかけたりするんですか?と言うと裕子はさっきのことを思い出したように笑った。裕子が同意してくれて加奈は何だか暗闇に光が射したようにうれしい気持ちになった。



遅くなってきたしそろそろ店を出ましょうかと裕子が帰り支度をしてひょいっと伝票を持ち上げてレジに向かった。加奈もあわてて席を立って裕子の後に続いた。加奈が二人分を払おうとすると裕子が遮って全て払ってしまった。



レストランを後にして加奈がお金を渡そうとしたが、裕子は手を上に上げて受け取ろうとしない。

「ここまでしてもらった上に食事代まで奢ってもらうのは本当に悪いですから、お願いします。受け取ってください。」



裕子がしつこく言い寄る加奈をムッと怖い顔をして睨んだ。びくりとお金を持つ手を思わず引っ込めた。それから頬を緩めて加奈に微笑んで言った。



「じゃあさ、今度和泉高校で会えた時にお返しとして奢ってよ。それならいいでしょ。」

「ええっそ、そんな、じゃあ絶対何があっても高校に受からないと駄目じゃないですか。」

加奈は目をむいて戸惑った。



「そうよ。だから、約束。また会えるといいわね。今度は高校のどこかで会えるのかしら。その時には是非奢ってよ。じゃあね!」

そう言いながら裕子は駅とは反対方向の歩道を後ろ向きに駆け出していく。もし受からなく会えなかったらどうするんですか、という言葉の変わりに加奈は叫んだ。



「今日は本当にありがとうございました!私和泉高校に合格できるように頑張りますから。」

どんどん裕子の姿が小さくなっていき笑顔で手を振ってから彼女は前を向いて歩き出していった。裕子の後姿を見て思う。



今の言葉は加奈を追い込むプレッシャーなんかではもちろんなくて裕子なりの優しい励ましなのだ。高校で待ってるからね、と。加奈の中にやる気と希望がみなぎってきた。







数日後、担任の受け持っている授業が終わった後に、加奈は進路調査書の第一志望の欄に堂々としっかりした強い文字で和泉高校の名前を書いて担任に提出した。加奈にはもう心の中に迷いはなかった。



和泉高校に行くことが自分の中では使命感にも似た気持ちにまで変化して加奈を突き動かしていた。何度も見たあの夢と、高校見学した後、そのまま家に帰って訪問した志望校に決めようとしていた帰りに、裕子と偶然とは思えない必然的な出会い。



何か加奈の見えないところで逆らうことの出来ない強い運命の力が働いているのではないかと思えた。マルマル高校に行けば何かがあるのではないかとそんな気がした。もちろんはっきりしたことを説明することは出来ないけれど、加奈の直感がそう言っていた。



一日の学校生活を終えて教室の掃除をしてから加奈は図書館で勉強していこうかと廊下を歩きながら思い、職員室に掃除日誌を届けに行った際、担任に呼び出された。



「ああ、ちょうどよかった。藤嶋さん。話があるからちょっとここに座りなさい。」

どんな用件かはすぐに察しがついている。今日提出した進路調査書だろう。加奈の学力からすればこのまま何も言われずに進行するほうがおかしいに決まっていたので当然のことだった。



職員室の奥にある来客のために使われる応接室に通された。担任の年齢は三十代前半の女性で紺色のスーツを着てきりっとしたメガネが知的な印象を受ける先生だった。向かい合って座り、担任は今日加奈が提出した用紙を差し出して言った。



「加奈さん、一体どうしたの?こんな時期に突然、志望校を変更するなんて。しかもランクのかなり上の高校を志望してるじゃない。」

やはり担任としては生徒が無謀なことするのを指をくわえてみすみす放っておくことは出来ないだろう。当然の対応である。



「気が変わったんです。私どうしても和泉高校に行きたいんです。」

加奈ははっきりとした口調で言った。担任は顔を曇らせた。

「どうして和泉高校に行きたいと思ったの?今までは合格ラインの高校をずっと志望していたのに。」

「・・その・・ちょっと事情があって。」

加奈が口籠ると、担任は探るように聞いてきた。



「まさか、ただ単に肩書き欲しさにレベルの高い高校に行きたいからじゃないでしょうね。」

「いいえ、違います!そんなんじゃありません。」

加奈はあわてて首を振った。



「そう、ならいいけど。興味本位で受けて落ちたら笑い事ですまないからね。でもどうして和泉高校じゃないと駄目なの?今までの志望校じゃ何故駄目なのかしら?」

担任が腕を組んで困ったような表情をしホッとため息をついて言った。



「私、どうしても和泉高校に行きたいんです。」

「加奈さんは公立一本で私立は受けなかったわよね。そうなるとますます和泉高校を受験するのは進められないわね。今のあなたの成績ではかなりの開きがあるわよ。それに試験までそんなに日がないし。」



現実を見て志望校を決めなくてはいけないと担任は説得したが加奈は折れない。

「私、これから一層頑張りますし、まだ試験まで半年はあります。これから成績だって伸びるかもしれないじゃないですか。まだ落ちるって決まったわけじゃありません。」



毅然と担任に訴えた。加奈の膝に置かれた握りこぶしにぎゅっと力がこもる。

「まあ、絶対に受からないとは言わないけれど・・・どちらにしろ保護者の方と三者面談でよく話し合わなければいけないわね。」



意見が平行線に終わったが、ようやく解放されて職員室を後にした。加奈は図書室に向かう。これから勉強して必ず和泉高校に受かるくらい成績を上げてみせると強く決意した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み