第29話 神楽坂の謎と裏で交わされる密約

文字数 3,783文字

新しい環境にも少しだけ慣れてきた頃、母が亡くなって受けたショックが本当にほんのわずかではあるが、和らいだような気がした。もちろん今でも母のことを思い出すと悲しくなるし、完全に元気を取り戻すまでにいかなかったが、母が亡くなった直後の常に情緒不安定で、暗闇の迷路に迷い込んだような状態からは一歩、いや半歩程抜け出せたかもしれなかった。



目に映る世界が何もかもが色をなくし虚ろに見えていたのが、実感を伴って少しはっきりし、物事を認識できるようになった。以前は自分の周りで何かが起きてもうまく反応できないくらいにひどい状態だったのだ。これも時々家に加奈を心配して様子を見に来てくれるおばあちゃんと、加奈と学校で一緒にいてくれる神楽坂のおかげかもしれなかった。二人には本当に感謝している。



学校に行けば神楽坂に会えるという事で登校することもあまり苦にならなくなった。加奈は学校生活を送っていくことで、自分のいるクラスの状況が把握できるようになってきた。クラスでは愛が人気者で、皆のリーダーといった感じだった。勉強、スポーツ何でもこなし、頭もよく、学級委員もしている愛は皆から慕われ羨望のまなざしで見られているように加奈には思えた。



加奈は最初はわからなかったが神楽坂と過ごしていて多くのことに気がついた。彼女は加奈以外のクラスメイト達と全く話をしないのだ。彼女からクラスメイトに話しかけはしないし、向こうも話しかけては来なかった。まるで意識的に避けているかのように。休み時間加奈が神楽坂と一緒にいるとクラスメイト達が何故か奇異の目でちらちらと見てきた。



加奈が彼らを見返すと、わざとらしく目をあわさないようにいそいそと視線を逸らされた。これは一体どういうことだろう?加奈自身は身に覚えがないけれど、気づかないうちに何かおかしなことをしてしまって、周囲に変に思われているのだろうか、それとも神楽坂が皆の注目を集めているのか、いや加奈と神楽坂が一緒にいるということが皆の目に意外に映っているかもしれない。



どうしてだかわからないけれど。神楽坂は何でも出来た。勉強もスポーツも。愛と双璧をなすような存在で、二人で一、二を争うような感じだった。テストはほぼ満点ばかりとるし、スポーツでは運動神経が他の生徒達よりずば抜けていた。神楽坂は算数が苦手な加奈にわからないところを教えてくれたりした。聞いた話によると彼女は塾には行ってないらしい。



自分の自由な時間をつぶしてまで塾に行くのが馬鹿らしいと彼女は言った。それなのに勉強が出来てトップクラスなのには加奈も感嘆した。ちなみに愛のほうは進学塾に毎週四日程通っているのを加奈は知っている。勉強、スポーツが出来る点は愛も神楽坂も同じだった。相違点は神楽坂がクラスメイト達とまったく接する機会がないという事だ。まるで神楽坂と愛は陰と陽の裏表表裏一体のようだった。しかし神楽坂はどうして愛のように皆から慕われないのだろう。



一緒にいる加奈が一目置くのだから皆も彼女を敬って仲良くしてもいいはずなのに。

「ねえ、亜沙子ちゃんは私なんかとどうして一緒にいてくれるの?」

加奈はお昼休み、図書館へ行く途中の廊下で何となくを装って聞いてみた。神楽坂は目を丸くしてしばらくきょとんとしてから逆に質問してきた。



「どうしてそんなこと聞くの?」

「だって私、この学校に転校してきて間もないし、私なんかと一緒にいても特別楽しくないでしょ。あ、私はとっても嬉しいよ。でも何でも器用にこなせるあなたなら、私となんかじゃなく、もっとたくさんのお友達と一緒に行動しててもいいと思うんだけれど。」



少し彼女は加奈の言葉に驚いた様子で少しかたまったまま、じっと加奈の顔を見つめた。それから笑いをこらえるように噴出し始めた。目に涙まで浮かべて。加奈は素直な考えを述べたつもりだけれど、何か変なこと言っただろうかと気恥ずかしくなり顔が赤くなった。



「あ、亜沙子ちゃん・・・?」

「くくく・・。私はね、大勢の人間と仲良しこよしでつるむ気は全然ないのよ。性に合わないって言うのかな。それにあなたに話しかけたのは気が合うと思ったから。これは私の直感かもしれないわね。」



神楽坂は集団行動が苦手なタイプという事だろうか。加奈もどちらかというと集団には加わらず、隅の方で大人しくしているか、集団の一番後ろに隠れるようにしてついていくような感じだった。でも勉強も得意でないし、運動も苦手でドジなところもある加奈は万能な神楽坂とあまり釣り合いがとれていない気がするのだけれど。



「直感か・・・。亜沙子ちゃんが皆と仲良くするつもりがないから、皆もそのことをわかってて亜沙子ちゃんに接してこないってことなのかな?。」

「うん・・・そうね。向こうも私と同じように思っているからでしょ。感覚が合わないって言うのかしら。気の合わない者同士が無理して付き合うなんて馬鹿げているもの。」



クラスメイト達が神楽坂に接触してこない理由を加奈が言うと、彼女は少し顔を曇らせた。加奈は驚き、何かまずい事を言っただろうかと心配した。

「もしかして私、亜沙子ちゃんが傷つくこと言ったかな。そうだったらごめん・・・。」



加奈がしょんぼりとして謝ると神楽坂はいきなり何言いだすのよ、そんなことないわよと笑った。加奈は心に何かが引っかかった。クラスメイト達が加奈と亜沙子に時折向けるまなざしをふいに思い出した。クラスメイトらが亜沙子に近づかない理由と何か関係があるのだろうか。神楽坂にそのことを聞くのは何だか躊躇われた。聞いてはいけないような気がした。



何か深刻な事情があるようだったが、加奈はこの学校に来て日が浅く、いくら一人で考えてもわかるはずがなかった。神楽坂が、少し沈んだ空気を変えるように言った。

「後ね、私、妹がいるんだけれど、あなたに似てるのよ、顔とかじゃなくて雰囲気が。妹は大人しくてとても真面目な性格でね。悪いことが出来ないタイプなの。だからあなたのことも見てて放っておけないって思っちゃったのよ。」

「亜沙子ちゃん、妹がいるんだ。」



「ええ、いつも面倒見てるんだけれど、とても可愛いのよ。」

妹のことを話したとき、神楽坂の目に優しい色が浮かんだ。彼女は妹のことを大切にしているんだな、と加奈は微笑ましく思った。大人しくて真面目な性格かぁ・・・神楽坂は人を見る目も確かなようだと加奈はまた一つ新たな認識が出来た。妹に似てて放っておけないか。



加奈と似ている妹さん、どんな子だろうか。確かに加奈はこの学校に来てわからないことだらけの所、クラスメイト達が加奈に興味を失ったことで手助けしてくれない中、神楽坂がよく加奈の手を取って色んなことを教えてくれた。加奈は何だか気恥ずかしくて嬉しいようであり、自分が端から見てかまってあげたくなるくらい弱々しく見えるのかとちょっと情けない気持ちで複雑な心境だった。









ここは校舎の屋上に上がる直前にある扉、階段、そして小さな踊り場がある。屋上に出る扉には鍵はかかっていない。給食を終えたお昼休み、踊り場に三人の生徒の姿があった。その中で一番気が強く偉そうにしていた女子生徒が言った。三人の中でリーダーのような感じで真ん中にいる。



「今日の放課後、あいつを呼び出して痛めつけてやるわよ。」

女生徒の言葉に動揺気味に体つきの良い男子生徒が意見した。

「でもあいつって遠い間柄とはいえ従兄弟なんだろ。いいのかよ。そんなことして。」

「いいのよ。遠いからこそ、いじめても構わないって感じなんだから。大体、いきなり私の家に転がりこんできてうっとうしいのよ。私が塾通いで疲れて帰ってきた時なんかに私の部屋にいるんだけど、あいつのおどおどして気の弱そうな態度見てたらむかむかして我慢ならないわ。無性に痛めつけてやりたくなるのよ。」



女子生徒は足を踏み鳴らして気持ちの荒々しさをあらわして見せた。

「まあ、確かにあいつっていじめがいがありそうだよな。見るからに大人しそうでいじめてくれっていってるような見た目だし。」

男子が少し笑いを漏らして女生徒に同意した。

「でも、あいつにはあの神楽坂亜沙子がついてるのよ。もしあいつに危害を加えたりしたら神楽坂が黙ってないんじゃないかしら。現に前、私達があいつに近づこうとした時邪魔されているんだし・・・。」

ここで初めて今まで黙って話を聞いていた髪の長いもう一人の女子が話に加わった。その口調はひどく不安の色を帯びていた。



「どうして神楽坂があいつと一緒にいるのかは知らないけれど、おそらく本気で仲良くしてるわけじゃないだろうから大丈夫よ。神楽坂が怒るのはその妹に関することで害を加えられた時だけだと思うわ。以前は妹のことで神楽坂が怒り狂ってひどい目にあったけれど。あいつがいじめられたとしても神楽坂に怒る理由はどこにもないはずよ。二人でいるのはおそらく神楽坂のきまぐれよ。」



リーダーの女生徒の言葉に髪の長い女生徒は、そうだといいんだけれど・・と自信なさげに呟いた。男子もその女子を励ますように、大丈夫だろ、と背中を押すように言った。

「あの誰とも群れようといない、仲間を作ろうとしない神楽坂亜沙子が友人を作るはずがないのよ。だからいじめたとしても大丈夫、全然問題ないわ。」



女生徒は強い決意と確信を胸にきっぱりと言い放った。
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