第16話 宴の後には・・

文字数 3,172文字

平日のある日、加奈は学校から帰って来て洗濯や掃除をやり終えると、ほっと一息ついて机にぼんやりとして座っていた。壁にかけたカレンダーに目を向ける。今日の付けが赤いペンで丸されている。じっとそれを見つめて加奈は考えた。今頃は母がピアノを教えてあげてる子の誕生日を祝ってあげている頃かな?と。家族のいないその子の誕生日を祝ってあげようと提案したのは母だった。



母はその子の誕生日を調べて、その子には誕生日を祝うことは内緒にして驚かせてあげようと、今日会う約束をしていた。母の考えに加奈も同意した。身寄りのいないその子はきっと喜ぶだろう。慕っている母から祝ってもらえるならなおさらだ。加奈と母は一緒に毛糸で真っ赤なマフラーを編んだ。その子に誕生日プレゼントとしてあげるためだ。



そのマフラーをプレゼントすることを提案したのは加奈だった。その子の顔をまだ知らないが、マフラーをプレゼントされて喜ぶ様を想像すると加奈も何だか心が弾んで嬉しくなった。母が出掛ける前、加奈に、一緒に行くでしょと聞いてきたが加奈は首を横に振った。



「お互い初めて会うのにいきなりお誕生会を祝ってあげるのって何だか恥ずかしいから。向こうも驚くだろうし。それに今日はお母さんと二人っきりの方がその子も喜ぶんじゃないかな。」

加奈の言葉に少し首をひねって母は考えた。



「そんなことはないだろうけれど・・・。本当に行かなくていい?せっかくマフラーを編んであげたのに。」

母は直接渡した方がいいのではないかと言いたいのだろうが、加奈は首を横に振った。

「いいよ。今日はお母さんがその子のことうんと祝ってあげてね。お母さんが加奈にしてくれたみたいに。」

母は微笑んで加奈の頭を優しく撫でて言った。

「加奈は優しいね。わかったわ。加奈がそういうならそうしましょうか。」

母にほめられて加奈は少し顔を紅潮させて言った。



「うん、今度はきっと私その子に会うよ。今日会ったら今度ピアノ教室に行くからって伝えておいて。」

わかったわ、じゃあ行って来ます、お留守番お願いねと笑顔で母は出てかけて行った。赤いマフラーの入った紙袋を提げて。





夕暮れが沈み、夜の濃い闇が忍び寄ろうとする頃に母は帰ってきた。加奈は夕飯の下準備をしていたが、急いでエプロン姿のまま玄関にいって母を向かえた。

「お帰りなさい、お誕生会どうだった?プレゼント喜んでくれた?」



加奈は胸をどきどきさせて母に聞いた。しかし母は無言で無表情のまま、加奈の問いには答えず靴を脱いで家に上がった。加奈はそんな母の様子に急に不安になって腰がひけた。どうしたんだろう。今日のお誕生会うまくいかなかったのかな、プレゼント気に入ってもらえなかったのかなと、加奈はお昼に母が出て行く時に感じていたわくわくした気持ちとは逆に、悪い想像ばかりが頭に浮かんだ。



「お誕生会・・・喜んでくれなかったの・・・?」

加奈がこわごわといった口調で言い、困惑顔で手を口で覆っていると急に母は顔を近づけてきた。びくりとした加奈の顔の前に母は指を二本突き立てて、にっこりと笑ってピースサインをした。

「とっても喜んでくれたわよ。祝ってあげて大成功よ。」



しばらく口を開けてパクパクさせていたが、すぐ我にかえって加奈は笑いを含んだ怒り顔で頬を膨らませ母を叩いた。

「もうっ、お母さんったら!びっくりしたじゃないの。」

母は笑いながら、言った。

「これで今日は二人を驚かせたことになるわね、フフフ。」

誕生日を祝ってあげてその子を驚かせて、そして加奈を今驚かせたということか、母のささやかなからかいに加奈はやれやれといった感じで心が穏やかに和んだ。



「でもよかった。喜んでくれて。マフラーの感想はどうだった?」

「一生大事にしますって、とびきり嬉しそうな顔で言ってくれたわよ。加奈にもお礼を言っておいて欲しいって。」

母の言葉に加奈は目を輝かせて笑顔になった。



「ほんとに?よかったぁ。一生懸命つくったかいがあったね。」

「それに加奈が今度会いに行くからって伝えたら、その子も是非加奈に会いたいって。一緒にピアノを弾きましょうって。楽しみにしてたわよ。」



加奈は恥ずかしそうに顔を染めて俯いた。今度の日曜日、母はその子にピアノ教室でいつものように指導をしてあげる予定である。加奈はいよいよその日、その子に会うことになる。わくわくした気持ちと不安が少々、しかし以前のように大きな不安はなかった。

不安よりもその子に会いたいという気持ちが勝っていた。仲良くなって母と加奈とその子でピアノを弾くのだ。想像すると加奈の心はうきうきした。







母があの女の子の誕生日を祝ってあげた日の翌日、加奈は母と並んで街灯がさす夜道を歩いていた。手にはスーパーで買い物をした袋を母と加奈が一つずつ提げている。

「・・・かさ。」

「さ、サンタ。」

「た・・・・誕生日。」

加奈と母は家までの道すがらしりとりをしていた。母が誕生日、と言った所で加奈はしりとりを一時中断して言った。



「今度はお母さんの誕生日が早く来るといいね。」

加奈はスキップするような足取りで母を見上げて言った。加奈と母がピアノを教えてあげている女の子の誕生日はもう済んでしまった。次は母の番である。加奈はお返しとばかりにうんと祝ってあげることをとても楽しみにしていた。

「お母さんの誕生日?女の人はね、年をとってくると誕生日はあんまり嬉しくないものなのよ。」

「どうして?」

きょとんとして加奈は聞いた。母は苦笑いを浮かべて言った。



「だんだん老けちゃって綺麗でなくなるからよ。」

加奈は激しく首をぶんぶん横に振って言った。

「そんなことないよ、お母さん綺麗だよ。」

「あら、加奈ったら、御世辞言っても何もないわよ。」

そんなんじゃないもん、と加奈はぷくっとむくれて言うと母はあらあらと、くすくす笑った。それから、ピアノを教えてあげている子と加奈で母の誕生日を祝ってあげれたらいいな、と加奈が話したので、話はその流れで今度の日曜日のことに移った。 



「今度の日曜日にピアノ教室に行ったら、その時に今度三人でどこに遊びに行くか相談しましょうね。」

「うん、どこに行くのがいいかな?行きたい所がたくさんあって迷っちゃう。」       

母に笑顔を振りまいて加奈は答えた。遊園地でしょ、水族館、動物園、あとね、あとねと加奈は歩きながら指を折って言った。そんな加奈の様子に母も嬉しそうだった。



大きな通りから、道幅の狭い道に入ってしばらく歩いた時だった。後方から車のタイヤが激しく地面をこする音、そしてものすごい暴走音が迫ってきた。



加奈と母が振り返ると、一台の自家用車が大通りからこの狭い道に入ってきたようだった。ライトの光が加奈の視界を真っ白に包みこみ迫って来る。どうもその車の様子がおかしいことに気がついた。あきらかにこの道路の制限速度を超えているし、一方通行であるこの道路を逆走してきている。



狂ったように突っ込んでくる車。運転手の顔が見えた。とても平常心には見えず、何かに追い立てられているかのような、あせりの表情が瞬時に見て取れた。



母が加奈の体を道路側から庇うようにして、歩道の奥、建物の方まで移動しようとした。その車は走行が不安定で、蛇行し加奈と母がいる歩道に乗り出してきた。加奈も母もあっという暇もなかった。まっすぐ車は加奈と母に向かってきた。



無防備なままその場に立っていた加奈は動けなかった。目の前に白いライトを発する車体が迫る。だめだ、逃げられないという考えが加奈の頭にふっと浮かんだ瞬間、加奈の視野が大きく揺れた。



体を横からものすごい力で突き飛ばされたのだ。その方向を見ると間近に迫った車と衝突する瞬間の母がいて、その一瞬母と目が合った。



そんな時でも母は加奈に微笑んでいた。

閑静だった街の夜空に大きな衝撃音が鳴り響いた。
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