第15話 物憂げなお母さん
文字数 3,709文字
夜ピアノ教室から帰ってきた母は、加奈が作ったオムライスをおいしそうに食べながら楽しく話をした。加奈は今日あったことは母に秘密にするつもりだった。余計な心配をさせたくない。つとめて明るく元気に振舞う。しかし母はそんな加奈のわずかな異変も見逃してはくれない。
きちんと加奈に向き合って愛してくれている証拠である。子供に無関心だったりエゴの塊のような親ならば、そんな我が子のサインを見過ごしてしまうだろう。
「加奈、どうしたの?今日何かあった?」
母は食事をする手をとめて、心配そうに加奈の顔を見て言った。
「どうして?何もないけど。何でそんなこと聞くの?」
加奈はわざときょとんとした表情を作って言った。はしゃいだ感じが少しわざとらしかったかもしれないと加奈は反省した。
「そう、それならいいんだけれど・・・。加奈、何か辛いことがあったら一人で抱え込まずにお母さんに言うのよ。この世でたった二人きりの家族なんだからね。」
母が優しく、でも真剣な表情で加奈に言った。加奈が笑顔になってうん、と母の胸に飛び込んだのは嬉しさをあらわしたかったのもあるが、思わず涙ぐんだ顔を母に見られたくなかったから。
母はそれ以上何も言わずに加奈のことを抱きしめてくれた。
夕ご飯を食べ終わって母は加奈にピアノのレッスンをしてくれていた。演奏の合間に母は演奏を教えている女の子の近況を話した。
「その子、明るい曲が苦手が苦手だって言ってたでしょ?それが練習していくにつれてだんだん明るい曲も上手く演奏できるようになったのよ。音楽は人の気持ちが素直に出るものだから、嬉しくなるような何かいいことでもあったのかしらね。ふふ。」
女の子の上達が母自身も嬉しいといった感じだった。
「お母さんに教えてもらってるのが嬉しいんじゃないかな、その子。」
加奈が思ったことを素直に言うと母はきょとんとして首を傾げた。加奈の言う意味が本当にわからないという表情だった。
「そうかしら。確かに慕ってくれているみたいだけどお母さんただピアノを教えてあげてるだけなのよ。」
母は関わっている多くの人から慕われていた。人柄がとても温かいからそこにいるだけで、周りの雰囲気を明るいものに変えてしまう。だからその女の子も母に好感を持ったのではないか。母の先程の話でわかるように、母は自分にそういう力があることを自覚していない所がある。
そういう事を自慢したりしないところが母のいい所なのだが。人を見かけで判断したり差別したりせず、万人に優しい母は加奈にとって誇りだった。どこに出しても恥ずかしくはない自慢の母親だった。
母はボランティアで施設にピアノ演奏を披露しに行った日、帰って来ると何かいつもと様子が違っていた。加奈は洗濯物をたたみながら、帰ってきたまま着替えもしないでテーブルに腕を置いてなにやら考え込んでいる様子の母を心配した。
「お母さん、どうしたの?何かあった?」
「ん?ううん何でもないわよ。」
笑顔でそう言いながらも母は加奈が見る限り、何でもないようには見えなかった。洗濯物をたたみ終えて加奈が夕飯の準備に取りかかろうとすると、母が今思いついたような感じで台所に立った加奈の背中に言った。
「加奈、今日外でご飯食べない?たまには気分転換に、ね?」
特に異論もなかったので加奈は急にどうしたの、という言葉を飲み込んだ。加奈と母は家を出て家から一番近くにあるファミリーレストランに向かった。その途中も母は何か考え込んでいて言葉少なだった。初めはしゃいでいた加奈も自然と大人しくなった。
レストランで加奈はフライドポテトとニンジンがのったハンバーグを、母はきのこのリゾットを注文した。母と加奈の二人暮らしの生活にとって外食は出費が大きく滅多にしないことだった。こうして月に一、二度あるかないかぐらいの頻度で外食をした。
加奈はたまの贅沢という感じでレストランで母と共にご飯を食べるのが子供心にすごく楽しかった。食事しながら会話も弾む。加奈の学校であった面白い話や今日あった出来事などを話した。そして話は母がピアノを教えている女の子の話になった。
「最近はその子の上達はどう?うまくなった?お母さんが教えてるんだから進歩も早いと思うけれど。」
加奈がニンジンをフォークでさしながらそう聞くと母は、少し表情を曇らせた。加奈は動揺してどうしたんだろうと戸惑った。
「うん、レッスンするごとにとても上手になっていってるわ。」
母は苦笑いを浮かべてそう言った。加奈は心配になり思わず聞いた。
「お母さん、もしかしてだけど・・その女の子との間に何かあったの?」
しばらく母はテーブルにひじをつき、手を組んで目を閉じ考えるような様子になった。何も言わずに黙り込むなんてやっぱり何かあったんだと、加奈はじっと母を見つめた。やがて母は薄っすらと目を開けて、加奈を見つめ返して言った。
「今日施設にお母さんがボランティアで演奏に行ったのは加奈知ってるわよね?」
うん、と加奈は目をぱちくりさせて頷いた。
「その施設にお母さんがピアノを教えてあげてる子がいたのよ。」
「え・・・?」
加奈は初め母の言った言葉の意味がわからず、言葉を失った。
「その子のお母さんは家を出ていってしまって、お父さんは交通事故で亡くしたんですって。それで御両親がいなくて引き取ってくれる親戚もいないから施設で生活しているのよ。その子お父さんお母さんがいなくて一人ぼっちなのよ。あんなにいい子なのに・・・・。」
母の話は終わりのほうになると弱々しくしぼんでいった。表情も悲しげだった。
加奈には父親がいないが、その女の子には母親も父親もいないなんて、どんな気持ちになるんだろうと考えた。ひとりぼっちの辛さを想像すると加奈は身が凍るようだった。加奈には母が側にいてくれる。愛してくれている人がいる。そんな心の支えである母を失うことなんて恐ろしくて想像もできなかった。しかし実際その女の子は一人きりなのだ。愛してくれる人、加奈の母のように抱きしめてくれる人がいないなんて。
「加奈が前言ってたように、お母さんのことすごく慕ってくれてたみたいなの。その子といろんなお話をしたけれど、彼女からは家族の話をしてくれることはほとんどなかったわ。お母さんだけ、お父さんや加奈の話をその子に話してあげてたのよ。知らなかったことといえ、お母さんひどいことしてしまったわ。その子にはお母さんの話が家族の自慢話に聞こえてしまったかもしれないわね。笑顔で聞いてくれてたけれど心の中ではすごく辛かったんじゃないかしら。」
母の話を聞いて、加奈は今日母が家に帰ってきたときに様子がおかしかった意味がやっとわかった。その子のことをずっと考えていたのだ。加奈は母がこのことを話してくれた意味を考えた。一つ息をついて加奈は決意して母に言った。
「私、その子に会ってみたい。」
母は少し驚いた表情で目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。
「もう大丈夫なの?会っても平気?」
母は無理はしなくていいのよといった感じで聞いてきたが、加奈はきっぱりと言った。
「うん、私その子と仲良しになりたい。お母さんとその子と私三人で、ピアノを演奏したり、どこかに遊びに出かけたりしたい。」
大好きな母が好きになった人間なら加奈も好きになりたいと思う。またそのこと抜きでも、今までにピアノを演奏するのが好きなその女の子の話をたくさん聞くうちに、加奈も悪い印象は持ってなくてむしろ好感を持っていた。その子が施設で暮らしていると知る前から母はその子のことをとても気に入ってるのがわかる。とってもいい子のようなのだ。そんないい子が一人ぼっちなのを心配する母の気持ちも分かる。
この間はその子を一目見ようとして見ることができなかったが、もうそんなことは構わなかった。加奈の気持ちは母と同じだった。勇気を出して会ってみよう。
「そう、その子もきっと加奈がお友達になってくれたら喜ぶと思うわ。一人でもあの子には仲良しがいたほうがいいわ。家族がいなくて一人ぼっちの子には他の大人の誰かが側にいてあげれるならそうしてあげた方がいいと思うの。もちろん本人が望んでくれるならだけれど。お母さんその子のこと好きだしその子もお母さんのこと好きだっていってくれてるから。その子の側にいてあげたいの。お母さんも娘がもう一人出来たみたいで嬉しいわ。加奈にとってはお姉ちゃんみたいな風になってくれるわよ。」
母が以前話してくれたことを思い出していた。父がまだ生きていた時、母は父と、子供は二人は欲しいと話し合っていたそうだ。しかし父は加奈がお腹にいる間にこの世を去ってしまったのでその願いは叶わなかった。だからもし加奈がその子と仲良くなって三人が揃えば、本当の家族のような感じになるのだろうか。心の底から温かくなっていくような気がした。今まで母と二人きりだったのが、三人に。
「私仲良く、お友達になれるかな?」
期待半分、不安半分の面持ちで加奈は母に聞いた。何の疑いもないように、何の心配もしていないというように母はにっこりと微笑んではっきりと明るい口調で言った。
「大丈夫よ。きっと仲良しになれるわ。」
きちんと加奈に向き合って愛してくれている証拠である。子供に無関心だったりエゴの塊のような親ならば、そんな我が子のサインを見過ごしてしまうだろう。
「加奈、どうしたの?今日何かあった?」
母は食事をする手をとめて、心配そうに加奈の顔を見て言った。
「どうして?何もないけど。何でそんなこと聞くの?」
加奈はわざときょとんとした表情を作って言った。はしゃいだ感じが少しわざとらしかったかもしれないと加奈は反省した。
「そう、それならいいんだけれど・・・。加奈、何か辛いことがあったら一人で抱え込まずにお母さんに言うのよ。この世でたった二人きりの家族なんだからね。」
母が優しく、でも真剣な表情で加奈に言った。加奈が笑顔になってうん、と母の胸に飛び込んだのは嬉しさをあらわしたかったのもあるが、思わず涙ぐんだ顔を母に見られたくなかったから。
母はそれ以上何も言わずに加奈のことを抱きしめてくれた。
夕ご飯を食べ終わって母は加奈にピアノのレッスンをしてくれていた。演奏の合間に母は演奏を教えている女の子の近況を話した。
「その子、明るい曲が苦手が苦手だって言ってたでしょ?それが練習していくにつれてだんだん明るい曲も上手く演奏できるようになったのよ。音楽は人の気持ちが素直に出るものだから、嬉しくなるような何かいいことでもあったのかしらね。ふふ。」
女の子の上達が母自身も嬉しいといった感じだった。
「お母さんに教えてもらってるのが嬉しいんじゃないかな、その子。」
加奈が思ったことを素直に言うと母はきょとんとして首を傾げた。加奈の言う意味が本当にわからないという表情だった。
「そうかしら。確かに慕ってくれているみたいだけどお母さんただピアノを教えてあげてるだけなのよ。」
母は関わっている多くの人から慕われていた。人柄がとても温かいからそこにいるだけで、周りの雰囲気を明るいものに変えてしまう。だからその女の子も母に好感を持ったのではないか。母の先程の話でわかるように、母は自分にそういう力があることを自覚していない所がある。
そういう事を自慢したりしないところが母のいい所なのだが。人を見かけで判断したり差別したりせず、万人に優しい母は加奈にとって誇りだった。どこに出しても恥ずかしくはない自慢の母親だった。
母はボランティアで施設にピアノ演奏を披露しに行った日、帰って来ると何かいつもと様子が違っていた。加奈は洗濯物をたたみながら、帰ってきたまま着替えもしないでテーブルに腕を置いてなにやら考え込んでいる様子の母を心配した。
「お母さん、どうしたの?何かあった?」
「ん?ううん何でもないわよ。」
笑顔でそう言いながらも母は加奈が見る限り、何でもないようには見えなかった。洗濯物をたたみ終えて加奈が夕飯の準備に取りかかろうとすると、母が今思いついたような感じで台所に立った加奈の背中に言った。
「加奈、今日外でご飯食べない?たまには気分転換に、ね?」
特に異論もなかったので加奈は急にどうしたの、という言葉を飲み込んだ。加奈と母は家を出て家から一番近くにあるファミリーレストランに向かった。その途中も母は何か考え込んでいて言葉少なだった。初めはしゃいでいた加奈も自然と大人しくなった。
レストランで加奈はフライドポテトとニンジンがのったハンバーグを、母はきのこのリゾットを注文した。母と加奈の二人暮らしの生活にとって外食は出費が大きく滅多にしないことだった。こうして月に一、二度あるかないかぐらいの頻度で外食をした。
加奈はたまの贅沢という感じでレストランで母と共にご飯を食べるのが子供心にすごく楽しかった。食事しながら会話も弾む。加奈の学校であった面白い話や今日あった出来事などを話した。そして話は母がピアノを教えている女の子の話になった。
「最近はその子の上達はどう?うまくなった?お母さんが教えてるんだから進歩も早いと思うけれど。」
加奈がニンジンをフォークでさしながらそう聞くと母は、少し表情を曇らせた。加奈は動揺してどうしたんだろうと戸惑った。
「うん、レッスンするごとにとても上手になっていってるわ。」
母は苦笑いを浮かべてそう言った。加奈は心配になり思わず聞いた。
「お母さん、もしかしてだけど・・その女の子との間に何かあったの?」
しばらく母はテーブルにひじをつき、手を組んで目を閉じ考えるような様子になった。何も言わずに黙り込むなんてやっぱり何かあったんだと、加奈はじっと母を見つめた。やがて母は薄っすらと目を開けて、加奈を見つめ返して言った。
「今日施設にお母さんがボランティアで演奏に行ったのは加奈知ってるわよね?」
うん、と加奈は目をぱちくりさせて頷いた。
「その施設にお母さんがピアノを教えてあげてる子がいたのよ。」
「え・・・?」
加奈は初め母の言った言葉の意味がわからず、言葉を失った。
「その子のお母さんは家を出ていってしまって、お父さんは交通事故で亡くしたんですって。それで御両親がいなくて引き取ってくれる親戚もいないから施設で生活しているのよ。その子お父さんお母さんがいなくて一人ぼっちなのよ。あんなにいい子なのに・・・・。」
母の話は終わりのほうになると弱々しくしぼんでいった。表情も悲しげだった。
加奈には父親がいないが、その女の子には母親も父親もいないなんて、どんな気持ちになるんだろうと考えた。ひとりぼっちの辛さを想像すると加奈は身が凍るようだった。加奈には母が側にいてくれる。愛してくれている人がいる。そんな心の支えである母を失うことなんて恐ろしくて想像もできなかった。しかし実際その女の子は一人きりなのだ。愛してくれる人、加奈の母のように抱きしめてくれる人がいないなんて。
「加奈が前言ってたように、お母さんのことすごく慕ってくれてたみたいなの。その子といろんなお話をしたけれど、彼女からは家族の話をしてくれることはほとんどなかったわ。お母さんだけ、お父さんや加奈の話をその子に話してあげてたのよ。知らなかったことといえ、お母さんひどいことしてしまったわ。その子にはお母さんの話が家族の自慢話に聞こえてしまったかもしれないわね。笑顔で聞いてくれてたけれど心の中ではすごく辛かったんじゃないかしら。」
母の話を聞いて、加奈は今日母が家に帰ってきたときに様子がおかしかった意味がやっとわかった。その子のことをずっと考えていたのだ。加奈は母がこのことを話してくれた意味を考えた。一つ息をついて加奈は決意して母に言った。
「私、その子に会ってみたい。」
母は少し驚いた表情で目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。
「もう大丈夫なの?会っても平気?」
母は無理はしなくていいのよといった感じで聞いてきたが、加奈はきっぱりと言った。
「うん、私その子と仲良しになりたい。お母さんとその子と私三人で、ピアノを演奏したり、どこかに遊びに出かけたりしたい。」
大好きな母が好きになった人間なら加奈も好きになりたいと思う。またそのこと抜きでも、今までにピアノを演奏するのが好きなその女の子の話をたくさん聞くうちに、加奈も悪い印象は持ってなくてむしろ好感を持っていた。その子が施設で暮らしていると知る前から母はその子のことをとても気に入ってるのがわかる。とってもいい子のようなのだ。そんないい子が一人ぼっちなのを心配する母の気持ちも分かる。
この間はその子を一目見ようとして見ることができなかったが、もうそんなことは構わなかった。加奈の気持ちは母と同じだった。勇気を出して会ってみよう。
「そう、その子もきっと加奈がお友達になってくれたら喜ぶと思うわ。一人でもあの子には仲良しがいたほうがいいわ。家族がいなくて一人ぼっちの子には他の大人の誰かが側にいてあげれるならそうしてあげた方がいいと思うの。もちろん本人が望んでくれるならだけれど。お母さんその子のこと好きだしその子もお母さんのこと好きだっていってくれてるから。その子の側にいてあげたいの。お母さんも娘がもう一人出来たみたいで嬉しいわ。加奈にとってはお姉ちゃんみたいな風になってくれるわよ。」
母が以前話してくれたことを思い出していた。父がまだ生きていた時、母は父と、子供は二人は欲しいと話し合っていたそうだ。しかし父は加奈がお腹にいる間にこの世を去ってしまったのでその願いは叶わなかった。だからもし加奈がその子と仲良くなって三人が揃えば、本当の家族のような感じになるのだろうか。心の底から温かくなっていくような気がした。今まで母と二人きりだったのが、三人に。
「私仲良く、お友達になれるかな?」
期待半分、不安半分の面持ちで加奈は母に聞いた。何の疑いもないように、何の心配もしていないというように母はにっこりと微笑んではっきりと明るい口調で言った。
「大丈夫よ。きっと仲良しになれるわ。」