第28話 神楽坂亜沙子ちゃん

文字数 3,668文字

家ではおじ、おば、愛にこき使われ、いびられ学校では慣れない環境という事で加奈の心は休まる暇がなく、表情に明らかに疲れが出ていた。そんな日々が三日も続くと加奈を取り囲む集団もなくなった。皆、加奈に話しかけてみて、加奈がどういう人間であるのかをある程度知ったからだろう。



加奈からは積極的に皆に話しかけることはないし、皆から話しかけられても加奈の受け答えが親しみやすく、明朗快活なものではなく、答えるだけでいっぱいいっぱいといった感じだったので、クラスメイト達は加奈のことをあまり面白味のない大人しい人間と認識したのだ。今の加奈としてはその状態がありがたかった。



心の底が枯渇したように気力のない今、加奈は新しい友達を作る余裕もなかったので一人でいたかった。今だけは。数日して皆からかまわれなくなってきた頃、加奈は休み時間、一人ぼうっと過ごすことが多くなった。給食が終わりお昼の長い休み時間、後方窓側の席で加奈は頬杖をついて虚ろな表情で窓から見える景色を眺めていた。運動場は生徒達が走り回ったり、ドッジボールなどをして遊んでいて活気に溢れていた。若く元気な溢れるパワーを抑えることが出来ないといった感じで、加奈は今の自分とは大違いだな、と弱々しい悲愴な笑みを浮かべた。



教室内も多くの生徒達が出て行き、閑散としている。外の喧騒がまるで別世界のように静かな教室まで聞こえて来る中、教室のドアが音を立てて開かれた。加奈は窓から視線をはずし、入り口の方に目をやると、愛が入ってくる所だった。彼女に続いて女子生徒が一人、そして男子生徒が一人入ってきた。女子は目つきがきつく、いかにも意地悪をしそうな顔つきをしている。



男子は背が高く体もがっしりとしていてスポーツが得意そうだった。その二人を愛が後ろに従えるようにして、加奈の席に近づいてくる。愛と目が合った瞬間加奈はびくり体を硬直させた。



どうしてだろう・・加奈の本能が、体が警戒信号を放っている。危険、防衛本能が加奈の体内を駆け巡る。なぜなら愛の表情には不敵な笑みが浮かんでいたからだ。あきらかに加奈にこれから危害を加えようとするかのような・・・。これから狙った獲物をいたぶろうとするかのような・・。



後ろの男女も同じような顔つきをしていた。加奈はかたくなって身動きがとれず、近づいてくる彼らを怯えた目で凝視することしか出来なかった。蛇に睨まれた蛙のような状態に陥った。どんどん彼らは近づいてくる。加奈の心臓が鼓動を早め、こめかみに汗が落ちた。駄目だ・・・逃げられない・・・・。





そう思った時だった。一人の女生徒が加奈に話しかけてきたのだ。いつの間にかその子は加奈の側に立っていた。まだクラスメイトを把握していない加奈にとっては彼女が誰なのかわからなかったが、同じクラスの生徒ということだけは確かなようだ。



「一人で物思いにふけっているわね。どう?学校生活に少しは慣れたかしら?」

加奈は面食らった表情で、彼女の顔を見上げた。緊張が極度に達していた時に突然話しかけられたので、加奈は答えることが出来ず、口をパクパクさせた。



「ああ、ごめんなさいね。私は神楽坂、神楽坂亜沙子よ。よろしくね。」



加奈が戸惑ったと思ったのか、彼女は加奈に名前を名乗った。こちらにやって来ていた愛達のほうを見ると、いつの間にかいなくなっていた。教室内に視線を走らせるとちょうど愛達が教室から出て行くところだった。どうして途中で出て行ったんだろう?加奈はわけがわからなかった。



クラスメイトが加奈の所に来たので、何かしようとしていたのをあきらめて出て行ったのだろうか。何はともあれ、危機は免れたようで加奈はとりあえずほっと胸を撫で下ろし一安心した。幾分か冷静さを取り戻して加奈は改めて彼女の方に向き直った。



「よろしく。神楽坂さん。」

彼女は肩までの髪を揺らせて知的でクールそうな笑みを浮かべていた。





神楽坂亜沙子とは初めて話す仲だった。転校初日に好奇心で話しかけてきたクラスメイトたちの中には彼女の姿はなかった。クラスメイトたちは加奈に話しかけてもこれといった面白い反応や明るいしぐさを加奈が見せなかったので日に日に話しかけてくる生徒の数は減っていき、今では誰も進んで話しかけなくなっており落ち着いてきたと思っていた。



そんな風にほとぼりが冷めた頃に彼女は加奈のところにやってきた。しかも緊迫した状態の時に。あの後、昼休みが終わるまで彼女と会話を交わした。



「転校してきた日から何か元気がないみたいだけれど、大丈夫?」

彼女はずっと加奈の様子を見ていたような口ぶりだったので驚いた。



「うん、初めて登校してきた日は緊張で疲れたけれど、何とか。少しは慣れてきたみたい。」

加奈は少し緊張しながらも弱々しい笑みを彼女に向けた。

「初登校の緊張だけじゃないでしょう。何か訳ありみたいね。」



「・・・・・。」

神楽坂のまなざしは鋭い洞察力をあらわすかのようで、加奈は心の中を見透かされたような感覚になり、返答に困った。すると彼女は口元を緩めて言った。

「別に言いたくなかったら、言わなくていいわよ。人の過去は人それぞれなんだし。」



クラスメイト達のように興味本位に更に突っ込んだ質問をしてくると身構えたが、意外にも彼女はあっさり身を引いた。何だか肩透かしを食らったよう。彼女の容姿のせいもあるが、神楽坂はその振る舞い、話し方など、加奈はどこか妙に大人びた印象を受けた。



彼女と比べれば他の生徒達は何だかまだあどけない子供と思えてしまうくらいに。皆が無邪気にはしゃいでいる時に、隅のほうでくだらない、といった冷めた表情をしているのが彼女には似合いそうだった。もしかしたら彼女は興味本位で近づいてきたのではないのかも知れないと加奈は何となく直感で思った。しかし今更クラスメイトたちが飽きた存在の加奈に話しかけてくるなんてどういうつもりだろうか。



特にこれといった面白味のない加奈といて何のメリットがあるのか。真意をつかみかねている加奈をよそに彼女はどんどん加奈に喋りかけてきた。





学校で一人で過ごす日々が一転して、加奈は神楽坂亜沙子と一緒に過ごすことが多くなった。体育や音楽など移動教室の時、彼女が一緒に付き添って案内してくれた。

「神楽坂さん、どうもありがとう。親切にしてくれて。」



加奈が楽譜ノートを胸に抱えて隣で一緒に並んで歩いている彼女に笑顔で言うと亜沙子は苦笑いを浮かべて言った。

「よしてよ。たしたことじゃないわ。それに亜沙子って呼び捨てでいいから。」



いいの?と彼女の顔をうかがう様に加奈が聞くとええ、と頷かれた。休み時間には二人で話をしたり、校内を案内してくれた。お昼休みには、一緒に図書館に行かないかと誘われて、加奈は教室にいても他にすることが特になかったので、神楽坂について行った。



彼女は海外文学と分類された棚から一冊の文庫を持ってきてテーブルで読み始めたので、加奈も何か読もうと日本文学の棚から一冊持ってきて神楽坂の隣の席に着いた。加奈は小さい頃から本を結構読んでいたので、読書は嫌いではなかった。幼い頃は母がよく絵本をお休みの日や、寝る前に寝かしつけるために読んでくれた。貧しかったので本は買えなかったが、母がよく図書館から借りてきてくれたのだ。そうして本の面白さを知った加奈は年齢が上がるにつれて、内容の濃いものを読むようになっていった。



母も頻繁ではないけれど趣味で小説など読んでいたので、それを加奈が後から読んでいたりした。ピアノ演奏程熱中しはしなかったが、それなりの数は読んでいる。生徒の数もまばらでしんとした図書館で加奈は神楽坂と静かに本を読んでいる。他の生徒達を見ると、大人しそうで本が好きそうな生徒がほとんどだった。小学校の図書館という事もあるのだろう。



一般的な小学生は図書館でじっと本を読むより、外で元気に走り回って遊ぶのだろう。加奈はふと本から顔を上げて神楽坂が何を読んでいるのかをちらっと見た。それは海外小説を書いた文豪のものだった。小学生なら普通は読まないだろうというような本を彼女は涼しげな顔をして読んでいる。



「亜沙子ちゃん、その本外国の人が書いた本でしょ。そんな難しい本読むなんてすごいね。」

加奈が図書館なので声を抑えて囁くように話しかけると、彼女はきょとんとした顔を本からあげて、苦笑いを漏らした。

「そんなことないわよ。ただ読みたいから読んでるだけよ。今あなたが読んでる本だって結構濃い内容のものじゃない。」



言われて加奈は自分の手元を見た。確かに。同年代の子供は普通あまり読んだりしないものだ。だがしかし、神楽坂はやっぱり他のクラスメイト達とは違うなと思った。精神年齢が他の生徒達より、実年齢よりも高いのだろうか。



それから普段の休み時間に彼女と本について会話することがよくあったが、加奈は読んだことがあるものが亜沙子と結構かぶっていて、話が弾んだ。あの小説はこういう事を言いたいんだ、とかあのラストシーンは納得できない、私が作者ならこうするなど。
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