第22話 目には見えない運命の何か

文字数 3,468文字

昔からよく利用していて、見慣れた懐かしい駅を降りると加奈は改札を抜けおばらの家を抜けてきた勢いとは対照的にピアノ教室に向かってとぼとぼと歩きだした。教室に向かいながらもまだ加奈は迷っていた。



心が揺れている。どうしよう、会って伝えるべきかそれともこのまま会わずに引き返したほうがいいのではないかと。駅から歩いて十分ほど歩くとピアノ教室が見えてきた。加奈は腕時計に目をやった。約束の時間を三十分ほど過ぎている。



もうあの子はここにやってきたのかもしれない。そして母がいないのを知ってそのまま帰ってしまったかも、と予想していた。ピアノ教室の前までやってくると道路から中を覗いた。教室にはまだ生徒は来ておらず、人の気配がなかった。加奈は入り口に近づいていき、ドアを開けて中に入った。



鍵はかかっていないということは他に誰かピアノ講師がいるのか。整然とピアノが並ぶ室内を見渡した。今日あの子は何もわからずに、母の都合が悪くなってこれなくなったと解釈して既に施設に帰ってしまったかも、と考えているといきなり後ろの奥のドアが開きびくりと体を震わせた。振り返るとこの教室の講師をしているベテランの女性が奥の事務所から出てくる所だった。



「あら、加奈ちゃんじゃないの。どうしたの。よく来たわね。」

このおばさんとは以前母と一緒に何度か顔を合わせたことがあるので知っていた。母の通夜と御葬式にも出てくれて色々と加奈の世話をしてくれた人だ。

「こんにちは。おばさん、お通夜と御葬式の時には御世話になりました。」

加奈が丁寧に挨拶すると、おばさんは弱々しげな笑みを浮かべて言った。



「そんな気を使わなくていいのよ、私は当然のことをしただけなんだから、いいえ、あなたのお母さんには私自身とても御世話になったんだから、できるだけのことを是非してあげたかったの。といってもたいしたことはしてあげれなかったけれど。」

母はこの人と仲が良く、母のことを慕ってくれていたので素直に嬉しかった。おばさんは加奈にお母さんを亡くして間もないけれど大丈夫?新しい家での生活はどう?など加奈を心配して気遣うことを言ってくれた。加奈は無理して笑顔を作って大丈夫ですと答えた。一言二言言葉を交わした後、加奈は思い切って無駄かもしれないが聞いてみた。



「今日、私が来る前に女の子が一人、ここに訪ねてきませんでしたか?」



母の話ではあの子は内緒で母に指導してもらっていたらしいということだったから、おそらくここに来て母がいないのを知ると、このおばさんには母のことを聞かずに帰っただろうと思った。ここの生徒でないあの子はおばさんに聞きづらいことだろう。聞いても母との関係をかんぐられる恐れがある。しかしそんな加奈の予想に反しておばさんは・・・。



「そういえば、一人、加奈ちゃんと同じぐらいの年格好の女の子がついさっき来たわね。あら加奈ちゃんのお友達?」



加奈は曖昧に頷きながらあの子はやはり約束通り来たのかと心の中で呟いた。だが次のおばさんの言葉に加奈の心臓は跳ね上がった。



「その子、あなたのお母さんを訪ねてきたみたいでね。どうやら事故のこと知らなかったみたいで私にあなたのお母さんいないんですかって聞いてきたのよ。」

「そ、それで何て答えてあげたんですか・・・?」



高鳴る心臓を押さえて加奈は聞いた。

「事実を教えてあげたわよ。そうしたらすごくショックを受けてたみたいで、信じられないって表情をしてたわ。顔色も悪くなっておばさんびっくりしたわよ。大丈夫って聞いても虚ろな感じで。お通夜も御葬式も終わったし、お墓に埋葬されたって教えてあげたら、お墓の場所を教えて欲しいって言うから教えてあげたけれど・・・。」



あの子は母の死をもう知ってしまった。加奈が伝える前に・・・。加奈はおばさんにお礼と別れを告げ、ピアノ教室を後にした。どうしよう、お墓がある寺に行ってみようか、もしかしたらまだあの子はお寺にいて会えるかもしれない。



加奈の足は寺のある方向に向いて歩き出していたが、それとは裏腹にもう母の死を知ってしまったのだから加奈があの子に会う必要はなくなったのではないかという思考が駆け巡っていた。

会ったとして何を話すというのだろう。二人の共通する接点でもあった母はもういないのだ。そんな二人だけで会うことに意味はあるのか。お互い辛い顔をつき合せるだけになってしまうのでは。



母の死を知ったあの子はおばさんの話ではすごくショックを受けて、端から見て心配になるくらい呆然としていたらしい。今あの子はどんな気持ちだろう。母のいなくなった今、あの子はもう加奈に会いたいと思わないのではないのだろうか。今更会っても仕方ないと、加奈と同じように考えるのでは。加奈と同じ一人ぼっち。道路をしばらく行くと大きなカーブを描いた坂が見えてきた。



ここを上りきると寺がある。いつの間にか時間が大分たって、陽が傾き西の空には夕暮れの色が滲んでいた。加奈は坂を上がりきり、寺の敷地内に入っていった。砂利の道を歩きお墓の石柱群が並ぶ所を目指す。あの子はいるだろうか、胸の鼓動を高鳴らせながら歩を進めていく。ここへは昨日来たばかりだ。砂利の道の終わりが見えると同時に墓地が見えてきた。



墓地内に足を踏み入れると父と母の眠るお墓のある方向を見ながら近づいていった。あの子はいるか、いないか・・・墓が近づいてくる・・・。お墓とその周辺が見渡せる所までやって来た。



「・・・・・。」





寺の敷地内、墓地にはあの子の姿はどこにもなかった。





あの子といっても加奈は会ったことがないので顔を知らないのだが・・。墓地に女の子はおろか、人など一人もいなかったから。夕暮れが濃くなり、黄昏ていく無人の風景の中カラスが鳴いて遠くに飛び立っていくだけだった。母と父の墓石には西日がさし、眩しげに光っている。加奈はその前に立ちつくしていた。昨日加奈が備えたお花がまだ祭壇に残っている。



「あの子はさっき・・・・ここへお母さんに会いに来たのかな・・・・?」



冷たい風が吹き髪を揺らせていく中、加奈は墓石に話しかけた。ここに眠る母は知っているだろうが、そのことを加奈に教えてくれることは決してない。寺の周辺を回ってみたがあの子はいなかった。その痕跡を残さないかのように去っていったのか。遅かったかな、もうあの子はここを後にしたみたいだった。どうしよう、あの子の施設に行ってみようか、場所は知らないがピアノ教室のおばさんに聞けばわかるだろう。



以前母がその施設にボランティアで演奏しに行っているからだ。

しかし母が加奈を庇って死んだと知ったらあの子はどう思うだろう。いくら不慮の事故といえ加奈のことを憎むかもしれない。加奈はあの子に会うのを躊躇った、二人だけで会うのが怖かった。寺を出て、ピアノ教室に向かいかけたけれども、途中で向きを変えてとぼとぼと駅に向かって歩き出した。



加奈はあの子に会うことをとうとうあきらめてしまった。ここまで来てどうしてと端から見たら思われるかもしれないが、ここに来ることを思い出し今に至るまであの子に会う気持ちが加奈の中で確実に薄れていったのだ。気持ちは完全に萎えていた。逆にここまで来て会えないという事は、運命が二人を会わせないのを既に決定づけているような気がしていたのだ。



母が事故に会わなければ・・・加奈がもっと早くにあの子に会う事を決めていれば・・・二人は出会って仲良くなっていたかもしれない。しかし実際には出会う直前にまるで運命のいたずらのように、母が世を去りその機会を奪っていったのだ。



加奈には思いも寄らない見えない力が何か働いているような気がした。もう会わないほうがいい・・加奈の思考の及びもしない運命の流れがそう加奈に告げているような感覚だった。心はしぼみ暗く落ち込んだまま加奈は駅の改札を抜けホームに入った。帰りの電車はすいていた。



加奈はがらんとした座席に一人ぽつんと座り揺られていた。窓からすっかり闇色に染まった夜の景色が流れていく。加奈はぼんやりとそれを見つめていた。切ない表情を滲ませて。これでよかったのだ。会ったところでもうどうすることもできないのだ、母が甦るわけでもないのだ、何度も心の中でそう繰り返していた。



もうあの子と会うことはこれから先、ないだろう。母がこの世からいなくなったことで、もう二人の人生、道が交錯することはないのだ。



これからの未来・・永遠に・・・。加奈はそう信じて疑わなかった。今日という日も、そして明日へ続いてゆく日々も・・きっと・・。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み