第39話 神楽坂の告白

文字数 4,883文字

加奈がお墓を持ってきたタオルと汲んできたお水で掃除しようとすると、神楽坂も黙って手伝ってくれた。お墓まわりを綺麗にし終えると改めてろうそくに火を灯し線香を上げて加奈は手を合わせた。

「私も加奈のお母さんにお線香させてもらっていい?」



神楽坂の申し出に加奈は、ありがとう、ぜひ供えてあげて、お母さんも喜ぶわ、と微笑んだ。目を閉じ手を合わせている神楽坂の横顔とお墓を見つめて加奈は思う。大切な友達に、こうして愛していた母にお線香をあげてもらうことはとても嬉しかった。それに神楽坂はやっぱり周囲の人々が思っているような悪い子なんかではない。そんな子がこんなことをしてくれるわけがない。やはり加奈の目に狂いはなかったと、彼女を穏やかなまなざしで見守った。



母と彼女が会うことはなかったけれど、もしも母が生きていて出会っていたら、母は周囲に流されることなく、自らの目で判断して加奈のようにきっと神楽坂のことを気に入ってくれたはずだと自身を持って言える。

「素敵な人だったのね、加奈のお母さん・・・私も会ってみたかったな・・。」

目を開けて神楽坂は呟くように言った。

「え・・?」



加奈が小首を傾げていると彼女はくすりと小さな笑みを漏らして言った。

「だって加奈がこんなに素直で良い子なんだものね。そういう風に育てたあなたのお母さんはきっと人として素晴らしかったんでしょう。」

「私が良い子だなんて・・・そんなこと・・ないよ・・・。」



そう言いながらも加奈は母と、それから自分のことをほめられ気恥ずかしくて照れた。耳まで真っ赤だ。

「私の母親とは大違い・・・・いえ、こんなこと加奈にいう事じゃないわね・・・。」

「亜沙子ちゃん・・・?」



彼女が一瞬表情を虚ろな感じにさせて、独り言のように呟いた言葉が気になって加奈は心配そうなまなざしを向けた。前に彼女は母親とは気が合わないと言っていた。一体どんな母親なのか前にも想像したが、ますます気になった。加奈の母親と彼女の母を比べた上での投げやりな感想に聞こえた。もう母親がいない故に文句も嬉しい気持ちも伝えることができない加奈に自分の母親への不満をいう事は、無神経なことと彼女は考えたのだろう。苦笑いを浮かべて、神楽坂は手を振った。



「ううん、ごめんなさいね、変なこと言って・・・そうだこれからちょっと付き合ってくれないかな。私も加奈に来て欲しい所があるの。」

何か思いついたというような感じで彼女は加奈にそう言った。加奈はいいよ、と返事しながらもどこに行くんだろう、とまだ揺れ動いた心のままで考えていた。





両親に別れを告げてお墓を後にすると、神楽坂と加奈は電車に乗って、出発した駅に戻って下車した。そこから亜沙子の自転車に乗せてもらい、遠出をした。三十分程走っただろうか、加奈らの住んでいる地域を抜けて、隣町までやって来た。流れていく景色も初めて見るものばかりだった。陽が西に傾き、空に浮かぶ雲を赤く染め始めている。これからどこに連れて行くのだろうと加奈はずっと神楽坂に誘われてから考えていた。



どこに行くのと聞いても彼女は笑って、秘密の場所よ、きっと行って損はしないよ、としか言わなかった。国道から山道に入って行く。急な坂道になったので、二人は自転車を降りて歩いた。

「もう少しで着くから、頑張ってね。」

自転車を押して坂を上がる神楽坂は、後ろから自転車を押している加奈に言った。加奈は頷いて、こんな山の中に入ってどこに行く気だろうと思った。



道路の脇を歩く二人の脇を時々、後ろから自動車が追い越していく。十分程歩いた頃だろうか、途中に脇にそれる小道があり神楽坂はそこに進んでいった。周囲は深い緑に茂る森に囲まれていた。そこは陽が届かず薄暗かった。先の方には夕暮れの光が森を透かして見えていた。歩を進めていくと急に視界が開けた場所に出た。その場所は山の中腹辺りから出っ張ってはみ出したような所で、ちょっとした広場になっていた。所々に大きな岩が点在している。



「うわぁ・・・・すごい・・・。」

加奈はその場で立ち止まり思わず、感嘆のため息を漏らした。目の前に広がる景色は荘厳だった。その場からは見晴らしがよく、ビルや住居などが豆粒みたいに小さく見えるくらい、眼下にこの街を一望できた。その向こう側には加奈たちが住んでいる街が夕暮れのためか遠くにぼやけて見える。更にその、向こうには壮大な山々が黒々と連なっていた。



山に添えられるように太陽があり、今まさに沈んでいこうとしている。薄暗くなった空には白い月も出ている。また遠くない緑の中に湖が見え、その水面に夕陽を映えさせ、きらびやかなオレンジ色に染まっていた。その景色自体が美しさを凝縮したように、まるで宝物のように鮮やかに輝いていた。自転車を岩場に止めて、神楽坂が側までやって来た。



「どう?来て良かったでしょう?」

「うん、すごく綺麗な景色。こんな見晴らしの良い場所があったんだね。」

加奈の驚きと感動した表情を見て神楽坂は満足そうだった。

「誰にも教えてない私の秘密の場所なの。」

そうなんだ、と加奈は笑んだ。



「辛いことがあった時とかにね、よくここに来るの。妹以外でここに連れてきたのはあなたが初めてよ。」

「そうなんだ・・・うれしい・・・・ありがとうね。」

彼女の妹を除けば、他には誰の教えていない素敵な場所に連れてきてもらえて、加奈は心底嬉しかった。信頼されているのだ。しばしの間、二人は並んで無言で、目の前に広がる景色をじっと和んだ気持ちで眺めていた。心地良い風が頬を髪をなでていく。神楽坂の美しく長い髪も優雅に踊っていた。どれくらいそうしていただろう、時間の感覚がわからなくなるくらいに美しい景色に見とれていた頃、神楽坂が口を開いた。



「加奈が転校してくる前、一年くらい前だったかな。私、一部の生徒達に怪我を負わせたの。」

目前に広がる夕暮れの景色に目を向けたまま、神楽坂は言った。突然、彼女が自らの過去を話しだしたので加奈は驚き、戸惑った。彼女の横顔を見つめる。今までは進んで話してくれるようなことはなく、むしろ語るのを避けているようだったのに。もしかして今日加奈が両親のことを打ち明けたから、神楽坂も話してくれる気になったのだろうか。加奈にはわからなかった。



「でもきっかけを作ったのはその生徒で、私の所有物を奪った後に理不尽で勝手な理由で壊したのよ。大切なものだったから私どうしても許せなかった。あなたのうさぎのぬいぐるみと同じよ。他の人から見れば価値のないものだったけれど私にとっては他に代わりのきかない大切なものだったのよ。加奈だってぬいぐるみを引き裂かれたりしたら嫌でしょう?・・それで怪我を負わせてしまったの。」



加奈は彼女の言葉で、愛がうさぎのぬいぐるみを破壊する映像が脳裏によみがえった。あの時、母の思い出の品を奪われて強い怒りと悲しみを持ったので、神楽坂の気持ちは加奈にはよく理解できた。

「そんなことがあったんだ・・・それでどうなったの?問題を起こしたわけを話したら、完全な無実というわけにはいかないでしょうけれど、周りの人達はわかってくれたんでしょう?」



加奈の問いに神楽坂は目を閉じ、諦めにも似た笑みを浮かべてかぶりを振った。

「それ以後私だけ先生に目をつけられるようになってね。不良のレッテルっていうのかな、貼られてしまったの。相手の生徒達は御咎めなし。生徒らの親まで出てきて注意を受けたわ。」

「何でそうなるの?!亜沙子ちゃんだけが悪いわけじゃないのに・・・?」

加奈はどうして、と納得できずに彼女に問い詰めるように言った。



「相手の生徒が外面がよかったから先生にすごく信頼されていてね、先生はその生徒の言ううまい嘘、でまかせを信じちゃったわけ。それに比べて私って皆と仲良く打ち解けてないでしょう?協調性もなかったから、その頃からあまり良くは思われてなくて、誰も私が話す真実を信じてくれなかったのよ。」

「そんなこと・・・・・酷いよ・・いくらなんでも・・・・。」



  まあ、普段がそんなだから仕方ないことかもね、と神楽坂は苦笑いして言った。でもその表情はどこか寂しげだった。加奈は自分のことのように怒りがこみ上げてきて、許せなかった。何故、彼女だけが罪を全て被らなければいけなかったのか、理解できなかった。元々、彼女は被害者であるのに・・・。

「そうだ。亜沙子ちゃんのお母さんは?母親なんだから、亜沙子ちゃんのこと信じてくれたんでしょう?」



「母親も教師達と同じよ・・・。私だけに非があるって思いこんだみたい。まあ、最初から私自身、親には期待してなかったけれど・・・。」

「亜沙子ちゃんのお母さんでしょう?どうして娘のいう事を信じてくれないの?」

母親と深い信頼関係を持ち、深い絆を築いていた加奈には納得できないことだった。



「うちの親は駄目なのよ。私が小さい頃から口うるさくして私のことを思い通りに支配しようとする人だったのよ。ある時期まではいう事を大人しく聞いていたけれど、しばらくしてどうもこれはおかしいってことに気がついてね。私、ある時期から親のいう事一切聞かなくなったの。」

加奈は愕然として彼女の話を聞いていた。支配しようとする親、加奈の母親の人間像とはかけ離れていた。先程お墓の前で、彼女が言っていたことを思い出した。自分の母とは大違い・・と言っていた・・・。



「そうすると当然、親は怒るわよね、今まで大人しく従順だった子供が反抗するんだもの。でもそれでよかったと私は思ってる。それで親を怒らせて、見放されたとしても。だって私の人生なんだから。私は決して母親の道具じゃないんだから。ずっと支配されたままだったら将来きっと後悔することになるって悟ったの。」



加奈は話を聞いていて、神楽坂は強い人間だと思った。身体的にではなく精神的にだ。しっかりとした考えを持っていて、親や周囲に流されることなく、例え親を敵にまわそうとも、将来を見据え自分の人生は自分で歩こうという強い決意がうかがえる。子供によってはそのまま支配され続けてしまう所を彼女はこんな幼い年で、それがおかしいということに気がついている。



「良い成績をとって大人しく生活してれば、特に文句を言われることはなくなったけれど、それ以来ずっと仲があんまり良くなかったから、事件に関しても信じてはくれなかったってわけね。」

「お母さんにまで信じてもらえなかったなんて・・・・。」

加奈はショックを受けてうなだれた。家族であり、唯一信頼できる身近な人間であるはずの親に信じてはもらえなかったなんて・・・ものすごく悲しい気持ちになった。

「加奈ったら、そんな顔しないでよ。私は別に気にしてないんだから。」



神楽坂はそう言うけれど、先生にも生徒にも、そして親にまでも、誰にも信じてもらえなくて平気なわけはないと思った。

「前に・・・加奈言ってくれたよね。」

「・・・え?」

俯いていた顔を上げて、加奈は神楽坂を見た。



「周りの人達が私の事何と言おうが関係ないって、加奈は私のこと信じてるって・・・。」

瞬きを何度かした後うん、と加奈はぎこちなく頷いた。あの時のことを思い出すと今でも恥ずかしくて頬が少し赤くなるのだ。からかうつもりなのかと思ったが神楽坂は・・。

「あの時、加奈にそう言われて、私すごく嬉しかった。」

微笑んで言う彼女の言葉は何のよどみもなくどこまでもまっすぐで、目の前に広がる広大な風景になじみ溶けていった。



「亜沙子ちゃん・・・。」

加奈は何だかこそばゆい気持ちになって、それ以上何も言えなかった。

「親も教師も、クラスメイト達も偏見の目で見てきたのに、そんなことに流されずに私という人間を見た上で、信じてるって言ってくれた加奈が好きよ。」

あまりにもはっきりとそう言われて、加奈は戸惑いと恥じらいを感じながらも、ぎこちなく答えた。



「わ、私もね・・・亜沙子ちゃんのこと・・大好きだよ。」

言い終わるやいなや紅潮した加奈の顔を見つめて、ありがとう、と神楽坂は穏やかに微笑んで加奈の手を握った。     



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