第72話 地獄の日々は卒業式に向けて

文字数 3,849文字

その夜、加奈はおばあちゃんと二人でささやかだけれどとても温かな誕生パーティーを行った。たくさんの人に祝ってもらうことが幸せなのではないということを加奈は感じていた。たとえ一人でも心から生まれたことを祝福してくれる人がいれば、それだけで人は幸福を感じることができることを。



今日まで生きていてよかったと素直な気持ちで思える。愛やおじ、おばには悪いが彼らが不在だったことで気を張ることなくこの貴重なひと時を楽しむとができた。ケーキにさした十一本のろうそくを吹き消した後、ケーキを切り分けながらおばあちゃんは残念そうにこぼした。



「おじさんたち、加奈ちゃんの誕生日知らなかったのかしら、こんな日に泊まりで出かけてしまって。せっかく皆で祝ってあげようと思っていたのにねぇ。」

「ううん、おじさん達には私の誕生日を教えていないから。知らなくて当然だよ。もし言っても気を使わせてしまうから・・。」



加奈はおじ等に誕生日を言うつもりはなかった。たとえ言ったとしても何様のつもりだと殴られるのが目に見えていたし、祝ってはもらえないから黙っていた。

「そんなまだ十一歳になったばかりの女の子が遠慮しなくていいんだよ。」



おばあちゃんはケーキを盛った皿を加奈の前に置いて言った。もちろん遠慮なんかではなかったがおばあちゃんには本音を言うべきではなかったので笑い返しただけだった。ケーキはとても甘くて口の中でとろけるようでとてもおいしくて、加奈の今の幸せな気持ちを見事に形にして表しているようだった。



おいしいかい、どんどん食べてねとおばあちゃんが笑んで加奈は大きく頷いた。おばあちゃんが居間の壁に立てかけてある大きな時計を振り返って見た。加奈も一緒になって見た。時計は十一時半を少しまわったところだった。

「日付が変わらないうちに渡しておこうか。」



そういうなりダイニングの椅子を立って、来るときに持ってきた紙袋の所に行く。中から一辺が十センチ程の直方体の形をした両手に収まるほどの大きさの箱を持って席に戻ってきた。箱はアイボリーの花模様がとても綺麗で加奈の目をひいた。おばあちゃんはその箱を加奈の前に差し出した。



「はい、加奈ちゃん改めて誕生日おめでとう。これはささやかだけれど誕生日プレゼントだよ。」

加奈は驚きと嬉しさが同時に沸きあがってきて大きく瞳を見開いた。箱に手をかけて渡される。しばらく自分の胸の内に包みこむようにしてプレゼントをじっと見つめる。



箱の重さがまぎれもなく加奈に差し出されたものであることを証明するようで、心に実感を帯びてきた。心の底からおばあちゃんに感謝を向けた嘘のない満面の笑顔で加奈は言った。

「ありがとう、おばあちゃん。ケーキだけじゃなくってプレゼントまでくれるなんて・・開けてもいい?」



もちろんと満足そうにおばあちゃんが笑った。箱を開けると中には木でできた一つのオルゴールが入っていた。温かそうな雰囲気をかもし出す濃い茶色の木材でできているようで、サイドにはねじをまく取っ手があり、薄い透明のガラスで封をされた中には音を出す突起をちりばめた筒状の太い鉄の棒、その棒に腕を伸ばすかのようにかかっている細かく分けられた極細の鉄棒が見て取れた。



ねじの脇には木で彫られた小さな蝶の妖精が、まるでオルゴールから奏でられる音楽を聴くためにたたずんでいるような格好で取り付けられていた。全体の雰囲気からとても温かでアンティーク調の印象を受けるオルゴールだった。



「きれい・・・・。」

思わず感嘆の息をもらし、目にして初めて出た言葉がそれだった。



「ねじを巻いて聴いてみて、加奈ちゃん。」

にっこりと促すおばあちゃんに頷いて、加奈はねじの取っ手に手をかけて慎重にまわしていった。充分に回し終えた手をそっと離した。オルゴールから美しい音色が奏でられる。静かな居間に一つ一つの凛とした音が鳴り響き余韻を残しては消えていく。



「――――――・・・・・・。」

加奈にはすぐにわかった。この最もよく知っていてどの音楽よりも一番好きで美しい旋律を。加奈はオルゴールから顔を上げ、おばあちゃんを見つめる。

「これを売っているお店を探すのに時間がかかっちゃってねぇ・・・それで来るのがこんな夜遅くになったんだよ。でも本当、今日中に渡せてよかった。」

「・・おばあちゃん、言葉では言い表せないくらい私、うれしい・・・。このオルゴールは私にとって最高の贈り物だよ。」



「そういってくれるとおばあちゃんもうれしいよ。見つけてきた甲斐があったねぇ。」

おばあちゃんがわざわざ加奈のために探し歩いてまでして手に入れてくれたオルゴール。高齢で動き回るのは一苦労だったろうに、加奈のために街を一件一件探し歩くおばあちゃんの姿を想像すると涙が出た。



「私、このオルゴール一生の宝物にするね。おばあちゃん。」

外では夜の闇が一層濃くなる時間、日付が変わろうとしてる静かな居間はその空間だけ蝋燭が灯ったように温かくオレンジ色に輝き、二人を包み込むようにオルゴールは優しく鳴り響く。まるでいつまでもそれが永遠に続くかのように・・・。



ピアノ発表会で加奈が演奏し多くの人が喝采を送ってくれた曲・・・・・・。



加奈が、そして幼い頃のお母さんがおばあちゃんに聴かせた曲・・・・・・・。



母が教えてくれた加奈の大切な、本当に大切な曲・・・・・・。



耳を傾けていると、心が落ち着き、学校で受けた心の傷がすっと癒されるような気持ちになった。









楽しい幸せな週末を味わったのもつかの間、加奈は今では居場所のない地獄そのものといってもおかしくない学校に通った。クラスメイト達の加奈に対する態度は日に日にひどくなっていった。無視するだけならいざ知らず、露骨な嫌がらせをしてくるようになった。



中村愛を中心にして生徒たちは組織的に加奈をいじめようとした。廊下を歩いているとわざとらしく男子が、あ、悪い、と勢いよく後ろからぶつかってきたり、教室では足をよく引っ掛けられ何度も転んだ。教科書を取られて無残にも破かれたり、モノを隠されたりもした。



何かの行事でグループをつくる時になると決まって加奈だけが一人あぶれてしまった。くすくす笑うクラスメイト達を見れず、加奈はただ唇を噛み締めて俯くことしかできなかった。ある日、男子の一人が私の筆箱を取り上げて、加奈が取り返そうとすると他に生徒たちと筆箱を投げ合って加奈に返すまいとキャッチボールをはじめた。



「返して!」

加奈の懇願むなしく筆箱は愛のところに落ち着いた。愛が筆箱を顔の横にかざして薄ら笑いを加奈に向けた。加奈が取り返そうとすると愛はどこからかカッターナイフをとり出して加奈の筆箱を切り刻み始めた。切られてできた所からシャーペンや消しゴムがこぼれ落ちる。



加奈が青ざめて絶句した顔を満足そうに愛が見据えてから、無残に切り裂かれた筆箱を加奈の前に放るように投げ捨てた。周りからドッと笑い声が上がる。



「神楽坂さんの妹さんも同じような目にあったんだからこれぐらいの罰受けて当然でしょ。」

ふん、と鼻を鳴らして愛は言った。加奈は愛を睨みすえて床に落ちたペンや消しゴムを拾う。この筆箱は以前愛に破壊されたぬいぐるみと並び、母が小学校入学を祝って買ってくれて今まで大事に使っていたもので母の形見の一つのようなものだった。



「何よ、その目は。文句あるの?自分がやったことの報いでしょ。自業自得よ。」

愛がつかつかと歩み寄ってきて加奈を突き飛ばした。それを見ていたクラスメイト達も加奈に近寄ってきて、そうよそうよ何様のつもりよ、生意気だぞと口々に言い加奈を非難し始めた。床を派手に転がって加奈の制服は砂埃で白く汚れていた。



倒れ付したまま顔を上げるとちょうど側の席に座っていた亜沙子と目が合った。何事も無かったかのように亜沙子は視線を逸らした。この時、加奈の胸を鋭い痛みがかすめた。もう亜沙子はどんなことがあっても加奈には関わらないつもりらしかった。



このようないじめは日常茶飯事とかし、誰も止めるものはおらず加奈は一人孤独にいわれのない罰を受け続けた。彼らは先生らの目を狡猾に盗んで危害を加えてくるので、加奈になすすべはなくじっと堪え耐え忍ぶ意外に道はなかった。先生に相談したとしても無駄な努力に終わる気がした。



それは以前の亜沙子の起こした事件でも証明されている。頭のいい愛のことだから、クラスメイトらに口裏を合わせていじめなどないと否定するだろうし、生徒の御手本のように思われている愛の言葉を教師達は信じるだろう。



加奈はいくら訴えても気のせいなどの理由で片付けられてしまいそうだと思った。亜沙子とまだ仲が良く充実していた時と比べて、加奈は今の状態が信じられなかった。まさに天国から地獄に落ちたような気分だった。全ては愛の手によって起こったことだったが、加奈はもう憎む元気すらもなかった。

毎日味わう苦痛に心が消耗し疲労しきっていったからだ。ほとんどあきらめと絶望の境地に入っていた。



孤独な日々は続いていく。それは加奈が小学校を卒業するまで続き、その頃になるともう精神はぼろぼろだった。見た目も顔にやつれが見えた。こんなことにならなければ、加奈は亜沙子と仲良く卒業式を迎えることができ、素敵な思い出の一つになっただろうが、そんなものはもう遠い幻になってしまった。



実際には学校行事のほとんど、修学旅行など一人寂しく辛い思い出となった。加奈にはどうすることも出来ず、指をくわえていることしか出来なかった。
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