第71話 どん底に終わりそうな誕生日が

文字数 3,629文字

加奈は一人夕暮れの校庭をとぼとぼ歩く。その顔色は悪く、憔悴しきっていた。限りなく赤く染まって沈んでいく太陽を見つめているともう駄目だった。押し殺していたどうしようもない行き場のない感情が外に溢れるように涙が溢れてきた。声をかみ殺して泣いた。どうしてこんなことになってしまったの?



数日したある日の土曜日、学校は休みで加奈は家で一人留守番をしていた。おじとおばは親族の所に泊りがけで出かけてしまって家には愛と加奈の二人きりという事だったが、休みを利用して愛は友達の家に泊まりにいくといい加奈一人に留守番を押し付けた。



ここの所、加奈は学校に通うことを苦痛に感じていた。皆から蔑まれ完全に関係性を断絶され何かあるたびに加奈はひどい言葉を掛けられていた。そんな日々がつづいて心身ともに加奈は傷つき疲れきっていたので休みの日はこの上なく加奈にとってありがたいことだった。



それに愛やおじが出かけてしまったのでうるさく言われることもなくゆっくりと休息をとることができた。だが休んだからといって完全に元気が良くなるわけではなく、一息つけるというだけだった。週があけるとまた学校に行かなくてはならない、そう思うと心が悲鳴をあげそうだった。



夕食を一人で食べ後片付けをし終えて一段楽したところで、ソファーに腰掛けてお茶を飲んでいた。この日加奈はこの家に来てから初めて一つ歳をとった。茶碗から立ち上る湯気を見つめて昔、母に誕生日を祝ってもらったことを遠い記憶を探るように思い出していた。



あの頃は本当にささやかだけど幸せだったなあと加奈はしみじみ思った。この家の人達に祝ってもらうことは最初から期待していなかった。加奈を疎んじこき使うような人間が祝ってくれるはずがない。そういえば一ヶ月前、加奈は亜沙子の誕生日にプレゼントをあげた。



誤解される前のことである。たいしたものじゃなかったけれど、亜沙子はとても喜んでくれて加奈もとてもうれしくなったことをよく覚えている。その時に亜沙子は加奈に約束した。



「加奈の誕生日にもお祝いしてあげるわね。そうだ、私の家で誕生パーティー開いてあげるわ。ケーキ作ってあげる。私こう見えて料理とかお菓子作り得意なのよ。」



自慢げに笑う彼女の笑顔が今は懐かしい・・。加奈は深いため息を吐いた。亜沙子との関係はもう修復するのが困難なほどになっていた。あんなことがなければ今頃は楽しく亜沙子の家で誕生パーティを楽しんでいたのかもしれない。



心から祝ってくれる親友の笑顔、暗い部屋にケーキに立てられたろうそくの明かりが浮かび上がる、きっと甘くておいしいであろうケーキ、ろうそくの炎に照らされ優しい色に光るオレンジジュース・・・・・



不思議と加奈は鮮明にそんな光景を容易に浮かべることができた。お茶の緑色が滲んで視界が歪んだ。気づけば目から大粒の涙が頬を伝いこぼれていた。亜沙子を失ったことの大きさ、重大さが傷つき疲れ果てたこの身に強く沁みいり、思い知らされる。



お互いを大事に思い合える存在はとても貴重な存在であることを。胸が締め付けられるような苦しさが加奈を襲った。どうしてこんなことに・・・加奈は今でも亜沙子のことが好きだった。今でも親友だと思っている。



それなのに・・・。もう二度と笑い合うことはできない、その辛さだけが加奈の胸を焼き孤立させた。母を失って悲しみにくれていた加奈に出来た唯一の親友を失い、加奈は一人ぼっちに戻ってしまった。圧倒的な孤独、絶望を突きつけられ、加奈は心細く、体を両手で抱きかかえ小刻みに震わし泣いた。



居間の窓ガラスから見えるカーテンの向こうは真っ暗で、世界は夜の暗闇に包まれ、静まり返り加奈は一人ポツンとそこに取り残されたような気持ちになった。怖い、今にも濃い闇が大きく口を開けて加奈を飲み込んでしまいそうな気がした。



誰かにこの冷え切った心を温めて欲しかった、手を握って欲しかった、側にいて欲しかった。お母さん・・・・。加奈はかたく瞼を閉じて母のことを思った。それから今頃亜沙子はどうしているだろうかと冷え切った心で考えていたその時、家のインターホンを鳴らす音が聞こえ来訪者が来たことをつげた。



加奈は一瞬飛び上がり服の袖であわてて涙をぬぐい、玄関に急いだ。夜が深まろうとする時間帯、一応警戒してすぐにドアを開けずに覗き窓から来訪者の顔をうかがう。そこにはおばあちゃんの姿が確認できて加奈は安堵に力が抜け、膝から崩れそうになった。



泣き出しそうになるのを我慢し体を立て直してドアを開けた。おばあちゃんが来てくれて加奈の胸に嬉しさがじんわりと広がっていくのがわかった。さっきまで身を引き裂かれるような孤独を感じていたから、まるでおばあちゃんが暗闇に取り残されそうになっていた加奈を救いにやって来てくれたのではないかと思ってしまう程だった。



「こんばんは、おばあちゃん。」

笑顔で加奈はおばあちゃんを迎え入れた。おばあちゃんも深いしわを寄せて笑った。

「こんばんは、加奈ちゃん。」

居間におばあちゃんと共に入って加奈は聞いた。



「どうしたの。こんなに夜遅くに?来るならもっと早く来て一緒に夕飯食べれたのに。」

「ちょっと用事があってね。来るのが遅くなったのよ。それよりおじさん達は?」

手に提げた大き目の紙袋を床に置きながらおばあちゃんは家の中を見回した。



「親戚の家に泊まりに行くって言ってたよ。愛ちゃんはお友達の家に泊まりいちゃった。」

やれやれと一つため息をついてからおばあちゃんが言った。



「まったく、小さい女の子をひとり残して泊りがけで出かけるなんてどういうつもりかしらね。それに今日は・・・・。それなら今日はおばあちゃんが泊まっていくわ。ん?加奈ちゃんどうしたの?目が赤く腫れて・・・。」



さっき玄関は暗くて気づかれなかったようだが居間の明かりに照らされて加奈が泣いていたことをおばあちゃんはやはり見逃してくれなかった。



「実はその・・一人きりで家にいたらお母さんのこと思い出しちゃって、それで。」

加奈はあわてて手を振って笑い、嘘をついた。おばあちゃんは静かに頷いてから言った。



「今日は加奈ちゃんの誕生日だからね。お母さんに祝ってもらってうれしかったことを思い出してたんでしょう?」

「え?」



加奈は目を大きく見開き驚いた。どうしておばあちゃんが加奈の誕生日を知っているんだろう。

「実はね、こっそり加奈ちゃんの誕生日を調べたんだよ。それで今日は驚かしてあげようってね・・・・・。」



言いながらおばあちゃんが持ってきた紙袋の中から真っ白な四角い箱を取り出した。中が見えるように開いて加奈に見せる。そこには大きな円の形をした豪華なケーキが入っていた。たっぷりホワイトクリームでコーディングされた模様の上には規則的に赤くおいしそうな苺が盛り付けられ、ケーキの中央には縁をピンクや緑など色とりどりのクリームで飾られた、チョコレートで作った板チョコがあり、中には文字がホワイトソースで描かれている。



  お誕生日おめでとう加奈ちゃん



瞬きを何度もして目をこすってみたが、やはりはっきりと加奈の名前が書かれている。

「おばあちゃん・・・・・。」



加奈は胸が熱くなっておばあちゃんをまともに見ることができず俯いた。乾きかけていた瞳に再び涙が浮かぶ。今年は誰にも誕生日を祝ってもらえずに、誰にも気づいてさえもらえずに何事もなく普通の日のように、この一日が過ぎていくんだろうと思っていた。



母が生きていた時、祝ってくれた幸せな思い出をそっと胸に抱いて一人孤独に布団の中で寂しく眠りについていくのだと思っていた。さっきも亜沙子に祝ってもらえなくなったことが悲しくて泣いていたのに・・・それなのに・・・。



「どうしたの・・加奈ちゃん・・・このケーキじゃ駄目だった?それともお母さんのこと思い出させて悲しませてしまったかしら・・・。」



おばあちゃんは心配そうにケーキをテーブルに置いて加奈に駆け寄ってきた。加奈は涙でくしゃくしゃに濡れた顔を上げて首を横に振った。まだこの世界に加奈が生まれたことを心から祝ってくれる人間がいたなんて・・・。



「ううん、私うれしい・・・今年は誰にも誕生日を祝ってもらえないって思っていたから・・・本当にうれしい・・。おばあちゃんありがとう。」



加奈は溢れ出す気持ちを抑えきれずにおばあちゃんに抱きついた。はじめおばあちゃんはびっくりしたようだったが、やがて優しくあやすように加奈を抱きしめ返してくれた。おばあちゃんのぬくもり・・温かい。



先程まで暗闇を間近に感じ恐怖して、冷たくかたくなった加奈の心をゆっくりと溶かしていった。心細かった加奈を受け止めてくれるおばあちゃんに、今こうしてこの場所にいてくれることに心底感謝した。



「おやおや、こんなに喜んでくれるなんて、祝いがいがあるわね。」

夜の静かな居間には照明の光を受けおばあちゃんと加奈の影が床に伸び、加奈の泣く声が小さく響いていた。
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