第4話 真琴の新生活

文字数 3,404文字

父が死んで古く今にも倒壊してしまいそうな家に小さな真琴一人をを住まわせておくわけにはいかず、親類も誰もが真琴を引き取らないといったので真琴は施設で生活することになった。

施設には真琴と同じように何らかの事情で両親がいなかったり、複雑な事情で両親がいても一緒に暮らすことが出来ない境遇の子供たちが生活していた。



年齢層も様々で上は高校に通う十八歳の少女と少年、下はまだ幼稚園に上がる前の年齢の幼児がいた。平日は幼児以外、学校に通い、施設に帰って来るという生活を送っていた。

授業が昼までの土曜日の午後、休みの日曜日は施設で過ごすか、遊びに行くなどしていた。



施設内で生活する子供たちの表情は十人十色だった。物心つく前から親がいなかった子供たちは、いない親のことは気にせず明るく人生を送っているか、親のいない自分を不幸と思い、暗い顔をしているかのどちらかだった。



両親はいるが家庭で虐待を受けて心に深い傷を負い、両親と共に生活することが不可能になった子供には情緒不安定な子が多かった。真琴のように物心ついてから親に捨てられたり、事故や病気で親を亡くした子供はやはり表情に陰りが見え、人生に疲れているような顔をしていた。



元々明るい性格であろう子供も、笑顔の合間に悲しい顔を覗かせた。施設で子供たちの面倒を見る職員たちは決して多くはなかった。限られた人数で全ての子供たちのことを隅から隅まで育てる目を向けることは限界があるように思われた。



だから親と同等の愛情を子供達に注ぐことには無理がある環境だった。平日学校から施設に帰ってきた子供たちは、何人かで仲良く遊んでた。高校生である一番年上の少年と少女がよく年下の子供たちの面倒を見ていた。施設の庭先でおいかけっこや鬼ごっこをやったり、近くの公園に遊びに行った。施設内ではトランプや本棚にある本を読み、積み木やブロックなどの遊具があって遊ぶ子がいた。



真琴もはじめは皆と共に遊んでいたが、心ここにあらずという感じでなじめず次第に一緒に遊ばなくなり子供たちの輪から抜け出していった。部屋の隅っこで一人本を読んだ。人の輪に入ろうとしない孤児は真琴だけではなく他にも何人かいて一人で過ごしていた。



真琴は施設の職員が日曜日に皆に聴かせてくれたピアノに興味を持った。はじめはでたらめに指を押して音を出していただけだったが、次第にのめりこむ様になり、学校から帰ってからはずっとピアノを引き続けた。



職員が演奏するのを見よう見真似で真似て、両手の一指し指だけの演奏から始まり、時間がたつと使える指が中指、薬指と増えていき、気がつけば両手五本でぎこちなかったが弾けるようになっていた。明るい曲は好まず、悲しい旋律の曲だけを何度も弾いた。



明るい曲調は今の真琴にはしっくり来なかった。暗く寂しげな曲を弾くことで真琴は自らの心の中のどうしようもない叫びを表現し、吐き出した。明朗快活な曲で希望を奏でるなど、母に捨てられ、父を亡くし天涯孤独になった真琴には出来なかった。



施設の職員であるおばさんが真琴の演奏をほめてくれて、でも悲しくなる音楽ばかりね、明るく元気になれる音楽も弾いてみたらと言われたが、真琴は好きに黙々と演奏し続けた。





施設に入って数週間がたった頃、真琴は学校が休みの日曜日の午後、天気が良かったので久しぶりに散歩しようと外出した。普段は毎日のようにピアノにかじりついていたのが、外が明るく室内が暗い中でピアノを弾くのは気が進まなかったので、気分転換をしようと考えたのだ。



あてもなくぶらぶらと隣町まで足をのばしたりしていた。ずいぶんと遠くまで来たらしく周りは見た事がない建物ばかりだった。比較的幅の広く綺麗に舗装された道路を挟んでその両側には一戸建ての家々が並んで建っていた。



来た道を覚えていたので迷子になることはなかったが、そろそろ施設に引き返そうと思った。その時、どこからかピアノのメロディが微かな音で風に乗って、真琴のいるところまで聞こえてきた。



引き返そうとした足を止めて、周囲を見渡す。どこから聞こえて来るんだろうかと首をめぐらしていると数十メートル離れたところにある建物から聞こえて来ることに気づいた。

真琴は流れてくるメロディにひかれる様に無意識にその建物まで近づいていった。



建物の前まで来ると入り口の脇に備えられた衝立のようなものにピアノ教室とかかれていた。入り口のドアだけでなく、歩道に面した壁はコンクリートの枠組みにガラス戸が大きくはめ込まれており、中の様子が外からよく見えた。



室内では数台のオルガンやピアノが整然と置かれて、それぞれに大きな子から小さな子まで様々な子供達が座って練習していた。ピアノの間を縫うように数人の大人の女性が子供たちに演奏の指導をしていた。真琴はその場で目の前に映る光景をガラス越しにじっと見ていた。



しばらく見ていると、一人の小さな女の子がうまく弾くことが出来ないのだろうか、ふくれっ面をして演奏を中断していた。すると大人の女性の一人が少女のもとにやってきて、ピアノの側に腰を下ろし少女を下から覗き込むようにして話しかけていた。



その女性は真琴の母と同じくらいの年齢だろうか、美しい容姿で肩まである髪の毛が綺麗でとても優しげな笑顔をしていた。あんな風な表情で話しかけられたら心がとても温かくなってこちらまでうれしい気持ちになりそうな気がした。



何故か彼女の周りを柔らかなオレンジ色のオーラが包み込んでいるような、そんな錯覚にとらわれた。真琴は彼女が気になり目が離せなくなった。この時はどうしてなのか自分でもわからなかった。何やら話しかけた後、少女は笑顔になって気を取り直したように練習を再開した。



立ち上がってしばらく少女の演奏を側で見守った後、女性はふいに顔を上げた。外から見ていた真琴と目が合ってしまい、真琴はどきりとして体が固まってしまった。悪いことをしているわけではないのに逃げ出したいような気持ちになった。



ひどく動揺してどうしていいかわからずにいると、彼女は不審そうな顔でも怪訝そうな顔をするでもなくただ、真琴に向かって柔らかく微笑んだ。そんな彼女を見た瞬間、真琴の体の緊張とこわばりはとろけるように溶けて消えていった。





施設に戻った真琴はその夜、ふとんの中でなかなか寝付けないでいた。真琴がいる部屋は他の孤児たち数人と共同で使っていて、周りには数人の子供達がふとんを敷いて寝ていた。皆はもう寝たようで、心地よさそうな寝息やいびきが聞こえている。



真琴はこの日、ピアノ教室で出会った女性の事を思い出していた。外から見ていた身も知らない真琴に微笑んでくれた。その笑顔が瞼の裏に焼きついて忘れられない。彼女を思い出すと真琴はこの心内にあるあらゆる感情をぶちまけるように、この孤独で心細くなった身を全て委ねたくなる。



彼女の胸に飛び込んでいきたくなる衝動に駆られる。あの優しげな笑顔に包み込んで欲しい。大げさかもしれないが彼女はまるで聖母マリア様のような存在に真琴には思えたのだ。彼女から感じられた優しいオーラは真琴の寂しさも辛さも全て無償の愛で優しく包んでくれそうな気がした。



ただ彼女がそこに存在するだけで周りを明るく照らす太陽のような存在に思えた。そんなふうに感じた時、彼女が真琴を捨てた母に重なった。真琴は母が恋しくなったのだ。もう戻っては来ない母の面影を彼女の中に見たのかもしれない。



真琴はここの所、よく悪夢を見る。母が真琴を置いて遠くに行ってしまう夢だった。あたりは暗闇で母の後姿が真琴から遠ざかっていく。必死になって母に追いつこうと追いかけるが、いくら走っても母との距離は縮まらず、広がっていくいっぽうだった。何かにつまずいて倒れふし、小さくなっていく母の後姿を凝視する。



真琴は目にいっぱいの涙をためて母の名を叫ぶ。手を精一杯伸ばし声が枯れるほどの大きな声で。



「お母さん!私のこと置いていかないで!お願いだから・・私を見捨てないで・・!」

切実な声も母には届かず、母の姿は暗闇の中に消え去っていき、見えなくなってしまった。

見渡す限り暗闇しか存在しない世界に真琴は一人取り残される・・この世界に真琴はたった一人きり・・ひどくうなされいつもそこで夢から覚める。



ふとんから急に起き上がり、荒い息をつく。全身に汗をかいて、頬には流れ落ちた熱い涙が浮かんでいた。
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