第27話 転校生の加奈

文字数 2,979文字

ピアノ教室に行った日の翌日、月曜日。加奈は新しく通うことになった学校に登校していた。おじらにひきとられ住む場所が変わったことで前の学校を去ることになり、今初めて目にする学校がそびえる門を前に立ち尽くしている。



前に通っていた小学校は、ずっと小さい頃からその地域に住んでいたから幼稚園の時から同級生で顔見知りの子も多かったので、小学校に上がっても環境ががらりと変わらなかったということで、少ししか緊張しなかった。しかし今回は違う。今度行くことになった学校は一人も知り合いがいないのだ。会う人々全てが初対面である。人見知りする加奈にとってはものすごく苦痛なことだった。



仲間がいず知らない人間ばかりの見知らぬ環境にいきなり放り込まれる恐怖。加奈の体はかたくなって震えていた。ストレスのせいか、お腹が少し痛む。



「ほら、何ぼさっとしてんの、置いていくわよ。まったくぐずねぇ。」

ここまで一緒に登校してきた遠い従兄弟の愛はさっさと門を抜けて中に入っていく。加奈はごくりと一つ喉を鳴らして門を恐る恐るといった足取りでくぐった。



それとは対照的に加奈の隣を生徒達が皆元気よく駆け抜けて行く。加奈は愛という少女が苦手だった。どうも加奈に対して威圧的な態度を常にとっており、いらいらした感情をぶつけていた。愛は教室には向かわず職員室に加奈を連れて行った。入り口で立ち止まると愛はあきらかに面倒くさそうな表情を加奈に向けて言った。



「あんたを担任の先生の所まで連れてくるように言われたから、挨拶に行くわよ。」

加奈はうん、と頷くと愛はドアをノックして失礼します、と中に入り加奈もぎこちなく愛のように言い後に続いた。愛は先程見せていた表情を一変させてとても大人受けがよさそうな利口な顔に切り替わっている。先生用の机がたくさん並ぶ職員室内を奥に進み、窓際の方までやってくると愛はまだ三十歳くらいだろうか、スーツを着た一人の女性が座っている所で足を止めた。



彼女は何か生徒に関する書類のようなものに目と落としてボールペンを走らせている所だった。

「おはようございます、先生。加奈さんを連れてきました。」

愛が明るく元気に笑顔で挨拶するとその先生は顔を上げて微笑み愛と加奈を見た。



「おはようございます。中村さんご苦労様。どうもありがとう、後は先生に任してもう教室に行ってくれて構わないわよ。」



愛は失礼します、と丁寧に頭を下げて職員室を出て行った。まるで愛の先生に対する態度は優秀な模範的優等生といったもので加奈は驚いていた。先生の愛を見送る満足そうなまなざしからも、愛は大きな信頼を得ているようだとわかった。愛の本性を知ったらこの先生はどうするんだろうか。先生であるその女性は加奈に向き直った。お互い朝の挨拶を交わすと先生は話し出した。



「はじめまして。私はあなたが学ぶことになったクラスの担任の上杉麻耶よ。よろしくね。」

「は、はい。よろしくお願いします。」

加奈はぎこちなく言った。



「御話は聞いているわよ。何でも二人暮らしだったお母さんを事故で亡くされたそうね。お気の毒だったわね・・・・。悲しくて辛いでしょうけれど、何か困ったことや悩むことがあったら一人で抱え込まないで何でも私に言ってね。新しい環境で苦労も多いだろうけれど、先生の出来る範囲内であなたのことサポートしていきたいって思っているから。」



先生の口から母のことを言われて、加奈は思わず涙をこぼしそうになりながらも、こらえてなんとかはい、と返事をした。予鈴のチャイムがなり、先生と一緒に職員室を後にすると四年二組と書かれたプレートがかかっていた教室にたどり着き、そこで加奈は待つように言われた。



先生は先に教室に入っていく。生徒達が一斉に席に着く音が加奈のところまで聞こえてきた。起立、礼と愛の号令と共に生徒達が立ち上がり着席する。愛は何か学級委員でもしているのだろうか。



「今日は皆に新しいお友達を紹介します。」



先生がそう言うと、教室内がざわつきだした。いつも日々の変わらない学校生活という日常に転校生というのは生徒達にとって刺激のスパイスなのか、良い響きらしい。

先生に教室に入るように促され、加奈は体を硬直させた。心臓が激しく脈打って加奈自身の耳にまではっきりとその音が聞こえてくる。加奈は俯きがちにランドセルを持つ両手を握りしめて、かちこちになりながら教室に足を踏み入れた。生徒達の顔をまともに見れないまま先生のいる教壇まで進んだ。



「さあ、加奈さん皆に自己紹介して。」



先生に促されてそこで初めて顔を上げて教室内を見渡した。知らない子供達が皆、加奈の方を興味深そうな視線で見つめている。そんな気はないのだろうが、加奈はまるで自分が責められているようで視線がぐさりと刺さるようで痛かった。恥ずかしさと緊張で顔が少し赤くなったかもしれない。



生徒達の中に愛の顔を見つけた。彼女は頬杖をついてこちらに冷ややかな視線を送っている。加奈は前をまともに見れなくて下を向きそうになった。しかし皆が加奈を見つめているので加奈は小さい声でぎこちないながらも挨拶の言葉を口にした。



「藤島加奈です。よろしくお願いします・・・。」



うつむきぎみに元気のない声で加奈は自己紹介した。周りでヒソヒソと囁きあう声が起こって、不安感が更に増した。握った手の平と額に汗が滲む。先生は加奈がこの学校に来るに至った事情を知っているので気遣ってくれたのか、すぐに皆に明るい口調で話しかけた。



「皆、加奈さんはこの学校のことがまだよくわかっていないので、仲良くしてあげてくださいね。」

生徒達が元気よくはーい、と返事を返した。先生に指定された席に、皆が加奈の行方を見つめてくる中、びくつきながら歩いていき椅子を引いて腰を下ろした。その席は後ろから二番目、窓際から二列目の席だった。先生が出欠を取り終えると、一時間目の授業に移っていった。





一時間目の授業が終わり初めの休み時間が訪れ、加奈はたくさんのクラスメイト達に囲まれていた。転校生にはよく見られる光景である。おそらく皆は仲良くしようというより、まずは興味本位で近づいてくるのだろう。いつも変わり栄えのない集団の中に見たこともない異分子が送られてきたようなものなので仕方のないことだった。



加奈の座る席の四方八方から次から次と男女問わず、クラスメイト達が質問を投げかけてきた。人見知りする内気な加奈はその迫力に圧倒されていた。



「前はどこに住んでいたの?」

「愛ちゃんの従兄弟なんだって?」

「どうして転校してきたの?」

「好きな芸能人は?」

「趣味は何?」



加奈は母を失って間もなく、心が揺れて情緒不安定な上に、初対面の人間と話すことが苦手だったので、知らない生徒達に嵐のように喋りかけられて目が回りそうだった。 味方が側に誰もいなくて心細く、敵陣に一人ポツンとこの場に取り残されたかのような気分だった。



休み時間のこの十分間は加奈にはとても長く地獄の拷問のようだった。 しどろもどろになりながらも、彼らの質問に何とか返せるものには答えていく。次の授業開始の時には加奈は生気を吸い取られたように疲れきってげっそりしていた。



前の学校でも友達はごくわずか、加奈と同じように大人しく、気の合った女の子の数人だけで、多くの人と器用に仲良くする芸当は加奈には無理だった。
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