第32話 神楽坂の素顔

文字数 3,647文字

神楽坂と共に過ごす日々は楽しかった。加奈は元気よくはしゃいだりするような子供ではなく、隅の方で控えめにしているのが性に合っていた。だから神楽坂とのゆったりとした静かな時間の過ごし方は加奈に合っていた。加奈は神楽坂と二人でマイペースな日々を送っていた。



理由がわからないけれど、二人でいると他のクラスメイト達は近づいてこなかった。加奈は大勢でわいわいするのが好きではないので特に抵抗はなかった。でも神楽坂が皆と過ごす気がなくても、見た目は冷酷そうだが、面倒見が良く本当は優しさを持っているなどの彼女のよさをクラスメイト達が知れば向こうから慕ってきてもよさそうだったが、そんなことは起らなかった。



皆は神楽坂のことをどう思っているんだろう。加奈が彼らの間の空気を見た感じでは、神楽坂の方は必要でない限りは皆のことをすました感じで無視していた。生徒達の方は彼女とはわざとらしく目を合わそうとせず、近寄ろうとはしない。どこか怯えのようなものが感じられたので、神楽坂が皆から集団無視などのいじめをされているようでもないのだ。



ある男子生徒が先生からの伝言を神楽坂に伝える場面があった。男子は神楽坂の機嫌を損ねないように気をつけているかのような下手に出た態度で話し、彼女はそんなものには気にしてないという風に淡々と応対するだけだった。加奈はどうしてクラスメイト達が神楽坂を避けるように恐れているのかがわからなかった。そういえば愛らも彼らと同じような感じだった。





ある日の放課後、加奈が下校しようと神楽坂と共に廊下を歩いているとちょうど前方から加奈たちの担任である上杉麻耶が歩いてくる所だった。今日もベージュ色のスーツを着て、とても上品な雰囲気だった。加奈がすれ違いざまにさよならと言うと先生は加奈を呼び止めた。加奈が立ち止まって振りかえると神楽坂も一緒になって足を止めた。



「ちょっといいかしら?」

加奈がきょとんと首を傾げていると先生に職員室まで来て、と言われた。加奈が神楽坂の方を振り返ると、職員室の前で待っててあげるわよ、と言った。職員室に入ると加奈は先生と共に彼女の机のある所まで行った。先生は自分の椅子に腰を下ろし、加奈には隣の机の、今は不在でいない先生の椅子に座るように促した。



「どう?学校生活にはもう慣れた?」

「はい、何とか。」

そう、先生は笑顔で満足そうに頷いた。



「前にも言ったけど、無理はしては駄目よ。お母さんを亡くしてまだ間もないのだから、悩み事や困ったことがあったら遠慮せずに先生に相談してね。」

先生の言葉に加奈は笑ってはい、ありがとうございますと返事をした。ところで、と先生は少し口調を改めて話題を変えた。気のせいだろうか、先生の表情に少しかたさが見られた。 



「加奈さん、あなたいつも神楽坂さんと一緒にいるみたいだけれど。」

先生の目に真剣さと、加奈の反応をうかがうような感じが浮かびあがっている。

「ええ、毎日仲良くしてますけれど・・・・それが何か?」



加奈は先生の質問の意図がわからず、目をぱちくりさせた。先生は少し迷ったような表情をして少し間を置いてから話し出した。

「ずっと一緒にいて大丈夫なの?いじめられたりしていない?暴力を振るわれたりだとか。」

加奈は担任の言葉に耳を疑った。神楽坂が加奈をいじめる?先生はいきなり何を言い出すのだろう。



愛にはいじめられかけたけれど。神楽坂にはいじめられそうになったところを助けられたことこそあれ、いじめられたことなんてあるわけない。むしろ加奈のことをよく見てくれて、仲良くしてくれて感謝しているくらいなのだ。しかし先生は深刻さと心配するまなざしを加奈に向けて、その返答を待っている。



「もしかして先生に告げ口したら許さないって脅されたりしてるんじゃない?だったら大丈夫だから、正直に先生に話してくれていいのよ。先生が何とかするから。」

加奈が驚いて呆然としていると、先生は加奈が図星をさされ躊躇っていると誤解したようだった。



「ちょ、ちょっと待ってください。私、神楽坂さんと友達になったんです。この学校に来ていろいろなことを私に教えてくれたのは神楽坂さんなんですよ?」

先生は加奈の言葉にあの神楽坂さんが?と意外そうな、驚きの表情をつくった。



「親切にしてくれたことはあってもいじめられるんて、そんなこと全然ありません。」

加奈は必死に神楽坂を弁明しようと先生に説明した。

「本当に?」

先生はまだ加奈を疑い深そうな目で見ている。本当です、と加奈がきっぱり言うと先生は目を閉じて深いため息をついた。



「ならいいんだけれど・・・・。でもいい?何かひどいことされたら先生にすぐに言いなさいね。」

「あの・・・以前神楽坂さんに何かあったんですか?」

加奈は躊躇いがちに先生に聞いてみた。



「あの子、少し前に問題を起こしてね・・・・いえ、あなたは知らなくてもいいわ。せっかく仲良くしてるっていうことだから水を差すのもなんだし。知らなくていいことは知らないに越したことはないからね。」



一人ごとのような感じの意味ありげな担任の言葉に加奈は首をひねった。職員室を納得できないという風な深刻な顔で出ると、廊下にもたれて神楽坂が待っていた。加奈が出てきたのを見ると、壁から背を起こして、帰りましょうかと笑って言った。しかし彼女はすぐに加奈のいつもと違う表情に気がついた。真剣で心配そうなまなざしを向けてくる。



「どうしたの・・・?」

「え・・?ううん何でもないよ・・・。」

先程まで話題にしていた当人が目の前にいて、加奈はぎこちなくそう言ってさあ、早く帰ろうと彼女を促した。





帰り道夕暮れの中、二人の間に会話はなかった。側に河が流れる盛り上がった土手の道、神楽坂が先を歩いてその後を遅れて加奈がとぼとぼと歩いている。自転車に乗った人や、散歩している人などが行きかっている。何となく重く気まずい雰囲気が流れている。その沈黙を破ったのは神楽坂だった。



「先生に・・私のこと何か言われたんでしょう?」



先を歩いていた彼女は振り返らず、前を向いたまま言った。後ろ手を結んでその背中は夕陽を受けてオレンジ色に光り眩しい。

「えっ・・・?」

さっきの担任とのことを考えてずっと下を見て歩いていた加奈は顔を上げた。



「いいのよ。私と一緒にいたくなければ、そうしなくても・・。誰と友達になるかはあなたが決めることであって、私が口を出すことじゃないわ。」

加奈の様子がおかしかったことから、賢い彼女は様々なことに勘付いているようだった。加奈は戸惑った。

「亜沙子ちゃ・・。」



加奈の言葉を遮るように神楽坂は続けた。笑うように、でも寂しげに彼女は呟いた。

「皆だって私のことは避けているんだし・・・。」

投げやりに、神楽坂の言葉は空に虚しく消えた。加奈はこの瞬間胸に熱い衝動のようなものが生まれて、気づけば神楽坂の方に向かっていた。



「亜沙子ちゃんっ!」

加奈は彼女の手を強くつかんで叫んだ。一瞬びくりとした表情で加奈を見つめていた。道を行くサラリーマン風の男性や買い物帰りの主婦がその場に立ち止まった二人のことを怪訝そうにじろじろ見ながら通り過ぎて行った。



加奈はしっかりとしたまなざしを神楽坂に向けて諭すように言った。

「どの子と友達になるかを決めるのは私だけれど、あなたがどういう人なのか決めるのも私だよ。先生でも、クラスメイトでもない。この学校に来て辛かった時に亜沙子ちゃんが友達になってくれて私とってもうれしかったもん。亜沙子ちゃんと出会えてよかったって本気で思ってるんだから。」



加奈は自分の思いを伝えようと、嘘ではない本気の思いをわかってもらいたくて、信じてもらいたくて神楽坂に懸命に訴え続けた。

「昔あなたに何があったのかは知らないよ。でも私は亜沙子ちゃんのことを信じてる。ひどいことする子じゃないって、まだ出会って少ししかたってないけれど、私知ってるんだから。」



瞬きもせずにじっと目を見開き、加奈の話を聞いていた神楽坂はようやく表情を崩して微笑んだ。あ、この子はこんな素敵な表情も見せるんだ、と加奈は思わず見とれてしまった。クラスメイト達の前では決して見せない特別な笑顔。



「・・・・。」

彼女は小さく呟いた。見間違いか頬がかすかに朱に染まったような。何と言ったのかよく聞こえなかった。でも口の動きとわずかに聞こえた感じでは、ありがとうって言ったような気がした。



彼女にしては気恥ずかしそうに。もう前を向いて歩き出したので、表情を見ることは出来ないが、今チラリと彼女の目尻が光っていたような、透明の雫が見えような気がした。あのクールな神楽坂が?見間違いかもしれないけれど・・・。



加奈も気持ちが神楽坂に通じたんだと嬉しくなりニコニコと気分よく再び、彼女を追いかける様に歩き出した。そこではっとした。加奈は今更ながら自分がすごく恥ずかしくなるようなことを次から次と口にしたのではないかと顔が真っ赤になった。



神楽坂は小さな笑い声を漏らして先を歩いていた。
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