第29話 彷徨(5)

文字数 2,695文字

ハンドルを握ったロレンツォは、保安官事務所を目指した。口を開いたのはナバイア。じっと聞くしかないのは、それなりにストレスなのである。
「嫌な女だ。」
絶対である。我が意を得て微笑むロレンツォが口を開こうとした時、ロレンツォの視界に、歩道を歩く一団が入った。
例の林の方角から帰ってくる自警団。別れたばかりのジェームズの姿はないが、ダニエルとアンヘリートがいるので間違いない。
バーで揉めた男達も混ざるその一団は、決して正義の一団には見えない。自警団の数は充実しているが、他の人間の質も似た様なものの筈である。
時にドロシーも加わる自警団は、一体、何を思い、何のために、何を探しているのか。
ロレンツォ達と同じ様に、エラの死を確信しながら、義務で探しているのかもしれない。
ネルソン兄弟に声をかけられたから。市長がテレビで話したから。あるいは、興味本位。
やるせなくなったロレンツォは、小声で呟いた。
「最悪だ。」
無視されたと思っていたナバイアは、ロレンツォが気にしたバック・ミラーを一瞥すると、静かに言葉を重ねた。
「ああ、最悪だ。」

ロレンツォとナバイアが保安官事務所を目指した理由は決まっている。
腐り切ったシャビー。未成年に手を出していた間抜け。
何より、あのジャンキーがドラッグを使わなかったとは思えない。
雪崩の様に押し寄せる悪い想像を断つために、事実を確認するのである。
二人は、ハンクのいない事務所でヘンリーを見つけると、取調室にシャビーを連れて来る様に頼んだ。勿論、手錠付きである。
出来る限りの全てを叶えるヘンリーが、所々、インディゴに変色したシャビーを連れてくるまで五分。最高のパートナーである。
ヘンリーは、シャビーを無理に椅子に座らせると、手錠をテーブルに掛けた。シャビーがヘンリーの体にもたれかかった理由は分からない。
泣きそうな顔をしたヘンリーが取調室を後にした途端、ロレンツォは、音を立てて、椅子から立ち上がった。
派手に怯えたシャビーは、ずれる様に椅子から離れ、ロレンツォから遠ざかろうとしたが、手錠は十分に硬い。
「そんなに怖がらなくていい。紳士的に行こう。ほら、握手だ。」
ロレンツォが笑顔で右手を差し出したが、シャビーは躊躇した。デジャ・ヴュではなく、確かな記憶がある。
「握手できない相手とは、それなりの話し方になる。」
笑顔のロレンツォの声は冷たい。椅子に座るナバイアも笑顔だが、喋る気がある様には見えない。シャビーは、何かを変えるために、探る様に手を差し出した。
慎重なシャビーは、間もなくロレンツォの手を緩く握り、いつかと同じ様に、指を逆に曲げられた。
「痛い、痛い、痛い、痛い。」
手を離したロレンツォは、笑顔を消すと、ナバイアの隣りに戻った。シャビーは立ったままである。口を開いたのはロレンツォ。
「子供に手を出すな。これは世間一般のルールだ。」
許される限り、二人の連邦捜査官から遠ざかろうとするシャビーは、手錠が擦れる金属音を立てながら、ロレンツォを見た。喋るのはロレンツォ。
「次は君だけへの質問だ。子供に手を出してたのは君か。」
シャビーが顔を背けると、ロレンツォはまた音を立てて、椅子から立ち上がった。
シャビーは、指を狙われない様に、ついさっき握手した手を高く挙げたが、手は一本ではない。
ロレンツォが手錠で拘束されたシャビーの拳に両手を重ねると、シャビーはテーブルの上に腹ばいになり、その手を覆い隠した。
ナバイアがテーブルを離れ、もみ合いが暫く続くと、ロレンツォはシャビーの拳と腹の間から手を引き抜いた。息の荒いシャビーと違い、ロレンツォの息はまったく乱れていない。鍛え方が違うのである。
シャビーは、自分の手に覆いかぶさったまま、暫く呼吸を乱したが、ロレンツォが椅子に座るのを見届けると、ゆっくりと姿勢を変え、椅子に腰かけようとした。
それこそ、ロレンツォが待っていた瞬間である。ロレンツォは、シャビーの拳に真っ直ぐ手を伸ばし、もう一度拳を握った。慌てたシャビーが見せる抵抗は、大切な指一本のための必死のそれ。硬い手錠が二人の手を圧迫する。
余りに長いもみ合いがナバイアの笑いを誘うと、馬鹿らしくなったのか、ロレンツォは、シャビーの拳を離した。
「もういい。」
勝手に始めて、勝手に終わりを宣言したロレンツォは、ジャケットを正しながら、椅子に腰を下ろした。
そもそも目的が分からないが、本心も分からない。流石に警戒したシャビーが姿勢を変えるまでには時間がかかる。
ロレンツォは、懲りないシャビーが椅子に座るまで静かに待ち、厳しい声を聞かせた。
「もう一度、聞く。子供に手を出してたのは君か。」
シャビーは、ロレンツォの心を探りながら、恐る恐る口を開いた。
「絶対に殺しちゃいない。それだけはない。」
ロレンツォは、何度か頷くと、シャビーの拳に手を伸ばす振りをした。振りだけ。
慌てるシャビーを見ても、ロレンツォは無表情。口を開いたのはシャビーである。
「俺より、もっとヤバいのがいるだろう。」
ロレンツォは首を傾げた。
「何の話だ。僕は、君がエラ・ベイリーに手を出してたかと聞いてるんだ。」
ロレンツォが凍りついた表情で見つめ続けると、シャビーの顔は微かに笑った。きっと、何かを思い出したのである。
ドライ・フルーツ。
胸に何かが込上げたロレンツォは、手錠のかかるシャビーの拳に手を伸ばした。
それはフェイク。
ロレンツォは、その手を庇うために大きく広げられたシャビーのもう一方の掌を掴んだ。フリーの指。逆に曲げるのは今である。
「痛い、痛い、痛い、痛い。」
決して、折らないのがロレンツォ。
数秒間、騒いだシャビーは、間もなくして、ロレンツォの表情が全く変わらないことに気付くと、声を出すのを止めた。
これから起きる不合理への恐怖が、痛みに勝ったのである。
ハンクと違って、ロレンツォは丁寧だが、地味な暴力を使う。
何なら、ロレンツォは痛がることにすら腹を立てている。シャビーの知る駄目なパターン。
思い出した様に、静かに手を引き抜こうとしても無理。鉄壁である。
シャビーは、もう一度、言葉の力にすがった。
「アンヘリートとか、もっとヤバいのがいるだろ。」
話す内容が変わらないのは、頭が回らないから。ロレンツォは、口を開かずに、シャビーの指を捻った。角度は深い。
「痛い、痛い、痛い、痛い。」
ナバイアが防音壁の穴の数を数える中、ロレンツォは質問を続けた。
「エラに手を出していたのは彼か。」
苦痛に顔を歪めるシャビーは黙れない。
「何言ってんだ。エラは俺の女だ。」
堪らなく悲しくなったロレンツォは、シャビーの指を思い切り逆に曲げた。多分、折りはしない。
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