第7話 戯論(1)

文字数 3,157文字

翌朝の空は、雲一つないスカイ・ブルー。短い波長の光が強く散乱する、この町のいつもの空だった。
坂を縫う道沿いに並ぶ家々の屋根は、すべてアスファルト・シングル。太陽には、すべての家が同じに見えている筈だが、その中の一軒は娘を誘拐された一軒。悲しい家である。
連邦捜査官に州警察、保安官達が子供の行方を聞いて回るのも、同じ屋根。どこかに、誘拐犯がいるのかもしれないし、いないのかもしれない。
そんなエリアから車で二十分ほど。商店街にあるこの町唯一のホテルがソル。ロレンツォとナバイアが泊まる宿である。
固いベッドで目覚めた後、スヌーピーが操る小さな老婆のトルタ・サンドイッチを食べた二人は、誘拐されたエラの中学校を訪ねることにした。因みに二人は、老婆をウッドストックと名付けた。そのあだ名を人につけるのは、三度目である。
間もなく、ホテルからそう遠くない中学校にSUVで乗り付けた二人は、警備員への説明と教頭への挨拶を済ませ、担任のディアス先生と面会した。印象は、どこにでもいるコケージャンの中年男性。
応接室に現れた先生は、何の理由があるのか、セラピストの女性を連れていた。微笑む彼女はグレー・ヘアである。
ソルのベッド同様、固目のソファで正しい座り方を見つけられなかったロレンツォは、身を乗り出して、ディアス先生を見つめた。
「先生。これはルーティンです。僕達はあなたに何の疑いも持っていません。目的はエラ・ベイリーを知ること。それだけです。一切の他意を挟まないで、聞かれたことにそのまま答えて下さい。例えば、妙な間が空けば、疑います。疑いがあれば、裏を取るために動きます。変に考えないのが、お互いのためです。」
元より疑われる覚えがないのか、ディアス先生は小さく笑った。
「そう言われると緊張しますね。こんな事件のことで間を空けるなと言われても。出来るかな。」
中身のない返事にロレンツォは愛想笑いを浮かべたが、誘拐事件の捜査に相応しい表情を探すと、自分でルーティンと呼んだ作業に入った。
「いいですか。ごくシンプルに。エラは、どんな女の子だったんですか。」
まさに同じ問いを頭に浮かべていたナバイアは、何度か頷きながら、ディアス先生の表情を観察した。連邦捜査官二人に見つめられたディアス先生は、セラピストと顔を見合わせてから、最も無難な答えを選んだ。依頼通り、大きな間は空けていない。
「ごく普通の子でしたよ。成績は悪くない方でしたし、喧嘩やいじめでどうと言うこともありませんでした。」
家庭環境を考えると、少しぐらいは問題があって当然である。わざわざ連邦捜査官に言う程ではない。ロレンツォはそう理解した。
それよりもロレンツォが気になったのは、ディアス先生の隣りで表情を細かく変えるセラピスト。明らかに無駄である。
何となく面倒になったロレンツォは、小さな悪ふざけをした。
「殺したのはあなたですね。」
視線の先のディアス先生とセラピストが仰け反るのを見ると、ロレンツォは笑い出し、ナバイアは笑いをかみ殺した。
「冗談です。言ってみたかった。」
ロレンツォの軽い告白に、ディアス先生の緊張は解け、四人は和やかに笑った。
空気をリセットしたロレンツォは、事件に巻込まれる子供の世界へと、話を誘った。
「薬とか大人の恋愛は?ごく普通の子みたいに。」
ディアス先生の表情は引き締まったが、人相手の職に就く人間の頭は柔軟である。
「僕はごく普通の教師だから、そこまでは知りませんよ。」
ロレンツォが眉を上げると、ディアス先生は言葉を続けた。
「仮に何かを知りそうなら、深くは踏み込みません。ベイリーの父親は面倒な商売をしてるから、当然、一度は話しましたよ。でも、母親はあれでも同業ですし、こっちが何で関わろうとしてるのか分からなくなる。だから、遠くで見守るだけです。大人の僕が見て、本当に問題になりそうなら、助けるつもりでね。それが普通。分かるでしょう。」
やはり無駄に表情を変えるセラピストを一瞥したロレンツォは、ワード・チェインのネタを探し出した。
「ミセス・ベイリーを知ってるんですか。」
ディアス先生は首を傾げ、言葉を選んだ。
「知ってますよ。一緒にこの町で育ちました。今、言いましたが、同じ教職ですし。知ってる方だと思います。」
ロレンツォは、妥当な答えに頷いた。
「ミセス・ベイリーは、誰かに恨まれたりしていませんでしたか。」
改めて、セラピストと顔を見合わせたディアス先生は、手を揉みながら口を開いた。
「彼女は苦労人ですよ。今までにいろいろあった。それこそ、普通の人間かもしれない。」
微笑んだロレンツォは、似た様な質問を五分ほど続けた後、エラの友人を一人ずつ呼ぶ様に頼んだ。つまり、ディアス先生から聞ける話はその程度だった。そういうことである。

エラとよく一緒に下校していたカミラ・パウエルは背が高く、座っていたロレンツォとナバイアは天井を見上げた。
ロレンツォが空いているソファを手で差すと、カミラは言われるままに腰を下ろし、ロレンツォとナバイアの顔を不規則に何度も見た。緊張はしているかもしれない。視線が最後に留まったのはナバイア。小さな敗北を感じたロレンツォは、しかし、笑顔で口を開いた。
「連邦捜査官のロレンツォ・デイビーズです。彼はナバイア・ハウザー。エラ・ベイリーさんのことで聞きたいことがあります。」
ディアス先生に呼ばれただけのカミラは、頼りの先生に、不安に満ちた視線を投げかけたが、口は閉じたまま。自分を見守る見知らぬセラピストの笑顔は、彼女には見えていない。
「いいですか。誰かに聞いて、もう知っているかもしれませんが、今から話すことは、誰にも言わないで下さい。」
ロレンツォの言葉は子供には意味を持たないが、通知は義務である。カミラが頷くのを待つと、ロレンツォはストレートに話を切り出した。
「ミス・ベイリーは事件に巻込まれた可能性があります。誘拐事件です。どんな些細な情報でもいいから、教えてもらえませんか。あなたにとって、何の意味もない様な話でも、それをきっかけに犯人が捕まるかもしれません。分かりますよね。」
馬鹿ではないカミラは、ディアス先生と視線を合わせた後、些細な話を始めた。本当に些細な話。笑うところもない。
十分ほど話したところでチャイムが鳴ると、カミラが黙り、ディアス先生が口を挟んだ。
「休み時間です。」
懐かしい響きにロレンツォは小さく笑い、ここまでの無駄な話を頭の中で整理した。
「ミス・パウエル。御協力ありがとうございました。何か思い出したら、ここに連絡して下さい。」
名刺を渡したロレンツォは立ち上がり、ナバイアと一緒に、身長だけはどう見ても大人のカミラを見送った。

ディアス先生は二人目の子供を迎えに行ったが、休み時間のせいか帰りは遅い。
時間を無駄にする気のないロレンツォは、セラピストにもエラのことを聞いた。
但し、彼女はただ顔を横に振るだけ。確かに、何かを話す気があれば、その機会は幾度となくあった。
諦めたロレンツォは、ナバイアを見ながら固いソファに背を任せた後、しかし、すぐに腰を上げ、窓の外に目をやった。
悲鳴に近い声が一度だけ。間もなく、チャイムの直後から聞こえていた子供達の声が徐々に静まり、やがて、どよめきへと変わった。声の波が起きたのである。
それは、カミラとの約束が、数分で破られたということ。エラの誘拐は、この瞬間、子供の国で周知の事実になったのである。
時々、女の子の悲鳴が混じるのは多感な年頃だからだろうか。
やがて、ジョナサンの仕事を侮辱する子供の声を聞き分けたロレンツォは、忙しくなりそうなセラピストを見た。視線の合った彼女は、悲しそうに小さく頷くだけである。
知った風な顔ほど意味のないものはないと、その日のロレンツォは思った。
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