第13話 斟酌(1)

文字数 2,482文字

翌朝の空も晴れ渡り、朝の冷気に爽快感を与えた。
もしも鳥だったら、空を一直線に横切りたい様な朝。
南の先住民居留地を隔てる林を眺めながら商店街を抜ける。そして、更に東へ。
まだ人影はまばらで、公園のリスの数と同じぐらい。
道沿いに並ぶ建物の幾つかは、窓に受けた朝陽を反射し、光り輝いている。大きなカラスなら、拾いに舞い降りてみるかもしれない。
遠目にはリゾート地を思わせるホワイトの壁は徐々に減り、別の町が近付くことを教える。
かつてクロノス事件の起きた町から、その町を後にした者達が目指す町へ。
ロレンツォとナバイアがSUVを走らせるのは、そんな二つの町をつなぐ国道。
目的地は、ソルから車で一時間程の場所。古びた商店街に残る公衆電話である。
マヤから聞いた交差点にSUVを止めた二人は、捜すまでもなく、一人の要注意人物を見つけた。
何気なく、しかし、何度も周囲に目をやる若い男。
道路を繰返し横切るのも、公衆電話から離れたくない様にしか見えない。
何より、着こなしの規格外のだらしなさと肌の汚さがすべてを物語っている。
かなりの確率で、商品に手を出している下っ端の薬屋かジャンキー。
顔は知らないが、きっと、この男がシャビー。非日常の入口にいる男。
こういう男と軽い気持ちで付き合うと、深い泥沼に沈んでいく。そのくせ、本人には悪気がない。二人が一番嫌いなタイプである。少なくとも、丁寧な言葉は要らない。
ロレンツォとナバイアは、顔を見合わせ、互いの気持ちを確認してから、車のドアを開けた。
車道を渡り、泳ぐ様に歩道を歩いた二人は、シャビーまで数歩の位置に迫ると、一気に加速した。シャビーがこちらを見たのである。
足音と迫る人影は危険の予兆。
どの野生動物とも違わず、恐怖心に急かされたシャビーは走り出したが、薬に蝕まれた体の反応は鈍い。
ロレンツォとナバイアは、大きく腕を伸ばすと、シャビーの壊れた体を両側から抱え込んだ。
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!助けて、助けて!」
抱き上げただけで叫ぶシャビーを見ながら二人は笑い、流れで近くの壁に押し付けた。落書きだらけの壁がよく似合う男である。
「安心しろ。何もしない。落ち着くんだ。」
ロレンツォが背中から話しかけても、シャビーには通じない。
「怖い、怖い、怖い、怖い!助けて、助けて、助けて!俺は何もしてない!」
ロレンツォとナバイアはIDを取出し、交互にシャビーの目に押し付けた。喋るのは、やはりロレンツォ。
「見たか。連邦捜査官だ。殺す訳じゃない。何もしてなかったら、大丈夫だ。分かるだろう。」
自分の中の最悪の状況を脱したのか、騒ぐのを止めたシャビーは、徐々に腕の力も緩めた。
無抵抗の人間を押さえつける趣味のないロレンツォとナバイアが手を離すと、シャビーは自由になった両手を頭の後ろで勝手に組んだ。喋るのもシャビー。
「俺には黙秘権がある。」
ロレンツォが笑いながら言葉を被せた。
「そうだ、シャビー。君には黙秘権がある。分かってるじゃないか。じゃあ、あとの説明も要らないな。」
シャビーの態度は変わらない。
「黙秘する。」
この言葉は、取敢えず、何かをやっていると認めたのと同じである。
ロレンツォは、百パーセントの確率で、シャビーを何かの犯罪者に認定した。犯罪者には、それなりの方法で接するのが、ロレンツォである。
「シャビー。最初から丁寧にやり直そう。僕は連邦捜査官のロレンツォ。君は一般市民で、僕は公僕だ。仲良くやれる。シャビーだよな。握手しよう。さあ。」
ロレンツォは、シャビーの体の向きを無理に変えると、右手を差し出した。
差し出された手を拒み続けるのは、意外と勇気がいる。
心の底まで軟弱なシャビーは、ロレンツォとナバイアの目を交互に見た。シャビーの瞬きは多い。間もなく、ロレンツォの眼力に負けたシャビーは右手を出すことを選び、待っていたロレンツォに指を逆に曲げられた。
「痛い、痛い、痛い、痛い!」
ロレンツォは折れない加減を知っている。更生するか、昼の世界から消えるか。少しだけ考えるぐらいの丁度いい刺激を与えるのである。
ナバイアは、身を捩るシャビーが肩にかけていたカバンを奪い、中を覗いた。
一瞬のジャッジで十分。
ナバイアは、アスファルトの上にすべてを放り出した。よく見る空の容器が幾つか。人によっては、涎を垂らして、ついていくだろうが、それだけでは逮捕できない。
シャビーの指を掴んだままのロレンツォは、笑顔で口を開いた。
「シャビー。僕のバディのナバイアはダンスが好きなんだ。いつでも踊り出す。止められない。」
駄目押しが必要。ロレンツォはそう言っている。
小さく笑ったナバイアが、取敢えず、得意のCウォークを始めると、シャビーは分かり易く怯えた。ロレンツォの言葉は止まらない。
「シャビー。エラ・ベイリーが誘拐された。知ってることを全部話すんだ。」
シャビーがロレンツォと一瞬合った視線を逸らすと、ロレンツォは握っていた指をもう一度捻った。
何を叫んだのかは、聞き取れない。
シャビーの目からこぼれたのは涙。きっと、痛みよりは屈辱のせいである。喋るのは、やはりロレンツォ。
「シャビー、遊びじゃないんだ。いいか。君のこの地面に並んだ大事な容器。ハウザーのステップに耐えられるかどうか、考えるんだ。」
絶対に壊れるので、シャビーには手痛い出費になる。
ただ、シャビーは泣き続けるだけで、何も言わない。ほぼ、生ごみである。
この手の男が、クロノスを真似て、絵葉書を残すとは思えない。万が一、子供を誘拐していたとして、生かしておける筈もない。やはり急ぐ必要はなさそうである。
間もなく、ロレンツォは、シャビーの指をゆっくりと離し、ナバイアもステップを止めた。ただ諦めた訳ではない。ロレンツォのスマートフォンが鳴ったのである。
「シャビー、いいか。僕達は君に目を付けた。それを忘れるな。あと、何か言いたいことがあったら、この番号に電話しろ。僕達は優しい。とにかく、自分から言いに来い。」
ロレンツォが名刺をカバンに入れると、涙ぐんだシャビーは頷き、このジャンキーがシャビーであることだけは確定した。
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