第47話 邪径(1)

文字数 2,336文字

この日の朝も快晴。ロレンツォとナバイアは、早朝にホテルを出ると、マヤがいなくなったルナを目指した。朝から長いドライブを選んだのは、きっと二人の頭の回転が少しだけ鈍り出したから。生活のリズムも壊れてしまったかもしれない。
全開のパワー・ウインドウを横切る風は少しだけ冷たいが、心地いい。二人の軽く火照る脳には、丁度いいのである。
通り過ぎる看板も、店も、ショー・ウインドウも、パーム・ツリーも、何もかもが昨日と変わらない。誰もが、人影が明らかに少ない理由を時間のせいにするだろう。
人が一人、この世から姿を消したとは、誰も思わないし、人が一人、檻の向こうに行ったとも、誰も思わない。そんな時間である。

空腹の二人は、何も喋らないまま、商店街に着いた。
さすがに知った顔も見えるが、微笑む気にはなれない。誰にも出来ない筈の内緒話を知らない自分達に聞かせた彼らは、二人の目にはどこか寂しく映るのである。
乾いた道の先に見えてきたのは、焼け落ちたソルの前に残るルナ。
マヤのいた場所である。
車を止めたロレンツォは、空っぽの心のまま、店の扉を押し、ナバイアも後に続いた。
耳に飛び込んできたのは、二人が世代ではないEDM。
音楽だけで、店の空気は昨日までとまるで違う。確かな可能性として、あの懐かしい選曲は、マヤの趣味だったということ。
店内を見渡した二人は、間もなくウッドストックを見つけた。制服はマヤと同じである。
ソルが燃えたので働く場所を変えたのか、前から厨房に入っていたのかは分からない。
ボックス席に座ろうとした二人は、ごく自然にエントランスに目をやった。
クルス達が入ってきたのである。
何なら、ホテルから一緒だったのかもしれないが、今日の二人の注意力は絶望的。
クルス達は、二人の隣りのボックスになだれ込んだ。

ロレンツォはバナナ・モカ・パイとホット・コーヒーに決まっている。
間もなくメニューを持ってきたウッドストックは、足を止めた途端に注文を受けると、ナバイアを見据えた。
悩んだナバイアが選んだのは、ウェボス・ランチェロスとホット・コーヒー。マヤの死には、ナバイアの朝食のメニューを変える程の力はない。
連れと思ったのか、ウッドストックは、クルス達の注文も聞いてから厨房に戻った。明らかな誤解であるが、そうは思わない人物がもう一人。
クルスがロレンツォ達のボックスに移ってきたのである。座る場所をずらしたのはナバイア。
「昨日は大変だったみたいね。」
ロレンツォが鼻で笑うと、ナバイアが代わりに答えた。
「分かるだろう。疲れてるんだ。お前らと違って、ちゃんと働いてるから。」
横目でナバイアを見たクルスは微笑んだ。
「さすがに、そろそろ監査室に狙われるんじゃない?知合いは大切にするべきよ。」
ロレンツォとナバイアが小さく笑ったのは、言われて当然だったから。口を開いたのはロレンツォ。
「僕がいると事件が起きる様な気がしてくる。」
忠告に従ってみたロレンツォに、クルスはもう一度微笑んだ。
「あなたはきっと鼻が利き過ぎるのよ。犯人に近付きすぎてる。」
知った口を利かれるのは鼻につく。
マディソンの逮捕が近いからか、あるいは、監査官紛いのことを始めるつもりか。
ロレンツォは、微笑むクルスを見据えた。州警察の肌感が知りたいところである。
「君はマディソンがエラを殺ったと思うか。ジョナサンはマヤを刺した。シャビーも刺殺だ。彼がエラも殺したとは思わないか。」
クルスは笑って顔を横に振った。
「刺し方で分かるでしょ。シャビーのは、ジョナサンには無理よ。」
まずは合格。目は見えている。
ロレンツォとナバイアが小さく頷くと、クルスは言葉を続けた。
「でも、不思議よね。ジョナサンも捕まって、シャビーも死んで。マディソンが落ちたら、エラの周りの危険人物は一掃よ。」
ロレンツォは、活き活きと喋るクルスを眺めた。多分、クルスは、犯罪が好きでこの道に入ったタイプ。ロレンツォとは逆。近くて遠い存在である。
「君はエラが生きてると思うのか。」
クルスは、振り返ると厨房を眺めた。ウッドストックは見えない。人目が気になる彼女にとって、それはゴー・サインである。
「ノー。」
ロレンツォが冷めた目で頷くと、クルスは言葉を続けた。
「生かしてるとしたら、クロノスぐらいでしょ。でも、犯人はマディソンよ。あれは絶対に殺ってる。死体を隠した場所を探すだけになるわね。」
ロレンツォは、この町に来た初日からそのつもりである。
クルスが同じ道を歩いても問題ないが、協力しても得はない。彼女はそのぐらい。
「まあ、ゆっくりやるさ。」
ロレンツォは、視線を逸らして、無駄な会話を止めた。
ナバイアも沈黙を守って俯くと、目を回したクルスは仲間の待つボックスに戻った。
ウッドストックがバナナ・モカ・パイとホット・コーヒーを持ってきたのは、それから二分後。
目の前に置かれたプレートを見つめたロレンツォは、小さな事実に気付いた。
パイの横に添えられた生クリームのかたちが、今までと同じだったのである。
少なくとも、マヤがパイをつくっていなかったということ。ウッドストックがつくっていたと考えるのは尚早である。
ロレンツォは、クリームをフォークで崩しながら今日の捜査を思った。
マディソンを責めるのはハンクと州警察でいい。ロレンツォの神経には、休息が必要である。
広すぎる林に、面倒な先住民居留地は、自警団にお任せ。
今日の自分達の頭なら、話を聞くだけがいい。
狙いは、マディソンの生い立ち。
他の誰とも違わない赤ん坊として、この世に生を受けたマディソンが成長し、着実に屈折した果てに、娘と恋人を殺し、夫を殺人犯にするまで腐ったルーツを辿る。
エラを隠せる何処かへと続く手掛かりを探しながら、心の回復を待つのである。
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