第66話 中道(6)

文字数 2,768文字

“姉さんよりは、きっと幸せだ。”

エラ・ベイリー誘拐事件は終わった。すべてがである。
ナバイアは、エラを連れて、保安官事務所へ向かった。ヘンリー達が現場検証に来るまで、ジョールの家の前に残ったのはロレンツォとハンク。
ロレンツォが一緒に行かなかったのは、ハンクを一人にしないためである。

二人は、ハンクのセダンで時間を潰した。
密室に二人だけ。もう慣れたものである。
ただ、この瞬間のロレンツォには、いつもと違うビジョンがあった。
それは、ハンクと喋るのが、きっと最後になるから。言うべきことがあるから。
呟く様に口を開いたのはロレンツォ。
「エラが生きてるとは思わなかった。」
ハンクは、小さく頷いた。
「ああ。本当によかった。」
よかったかどうかは分からない。ロレンツォは、一度首を傾げてから頷き、ハンクを笑わせた。喋るのはロレンツォ。
「あの娘は、いつもあんな感じ?」
ハンクは眉を上げた。
「ああ。生きてんだか、死んでんだか。気味の悪いガキだ。」
二人は、折角助けた命を笑った後、俯いた。事件に関わる世界に住む限り、目にするすべてはそんなものである。
程なくして、顔を上げたロレンツォは、遠くのSWATを見ながら、口を開いた。
「ジョールが死んだから、金回りが悪くなるだろう。今のうちに地下に行って、高そうな絵を盗ってきたらどうだ。」
いつかの冗談の続きに聞こえたハンクは一瞬笑ったが、顔をしかめた。
「今のはよく分からなかったな。何だって?」
ロレンツォは小さく頷いた。
「ヘンリーから、君の金回りがいいと聞いてから、違和感があったんだ。それに、ジョールの整形外科医が見つかった後。有給休暇はやり過ぎだ。」
ハンクは窓の外へ目を逸らしたが、言葉だけは返した。
「クロノスまで、もう少しだった。気合が入っただけだ。」
ロレンツォは、ハンクの横顔を見ながら言葉を続けた。
「病院で暇な時に、君の銀行口座を調べたんだ。ジョールの手際があんまりいいから、君が共犯じゃないかと思って。」
ハンクは窓の外を見たまま答えた。
「違うと分かったろう。やってないから。」
ロレンツォは黙らない。
「ああ。ジョールに僕達の情報を流して、金をもらう様なことはしてない。君とあの家の縁は、もっと古い。」
ハンクは、また顔の向きを変えたが、ロレンツォの方には向かなかった。ロレンツォの話はこれから。
「君は、おそらく早い段階でクロノス事件にジョールが絡んでることを知った。でも、普通に逮捕しようとした君は、思わぬ抵抗に遭ったんだ。」
ハンクは、ハンドルを指で軽く叩いた。
「誰から。」
一瞬で虚しくなったロレンツォは、ハンクの横顔を見た。
「それは知らない。少なくともアスマンかな。君はありとあらゆる方法でジョールを捕まえようとした。報道の力も使った。そうじゃないと、テレビがクロノス事件なんて呼ぶ筈がない。でも、それでも駄目だった。理想に敗れた君が怒ると、アスマンは君を金で手懐けようとした。振り込みの時期と振込人の名前で分かる。一度に大金を払うと、二度目の要求に耐えられない。アスマンは、君に定期的に金を振り込むことにした。半年に一度。ずっと、続けたんだ。その証拠が残ってる。」
ハンクの視線は、とうとうロレンツォの顔に戻ってきた。それでも喋るのはロレンツォ。
「その関係は、アスマンの死で終わった。金蔓を失った君は、財産を相続した息子のジョールにも同じ関係を求めたが、彼はアスマンからそんな話を聞いてなかった。噂から逃げるために、趣味の様に整形してたジョールには、人生のすべてをリセットすることは大した問題じゃない。君に金の話を持ち掛けられた時、ジョールは、身を隠すことにしたんだ。」
黙ったままのハンクを見ながら、ロレンツォは言葉を続けた。
「君がジョールを探してたのは、金が欲しかったからだ。君は金に無関心だったんじゃない。君が求めてる金は、僕達とは桁が違ったんだ。」
ハンクは、ロレンツォの目を見すえて、口を開いた。声はいつもより低い。
「俺がそんな馬鹿だと?」
ロレンツォが沈黙を選ぶと、ハンクは言葉を続けた。
「お前、それ誰かに話したか。」
ロレンツォは小さく笑った。
「いや、僕は同業と揉める気はない。」
「じゃあ、何だ。」
ハンクが言葉を重ねると、ロレンツォは静かに口を開いた。
「金の流れからすると、君はクロノス事件の全部を知ってる。」
ハンクはロレンツォから目を離さない。
「それで?」
ロレンツォは首を傾げた。
「一体、君は何を知ってるんだ。車の中でも何度も話したけど、君は肝心なことは黙ってる。話してる様で、違う。僕はここの人間じゃない。もしも、その気なら、上に話してみる。今日で最後だ。本当は何があったのか、教えてくれないか。」
ロレンツォを見つめていたハンクは、静かに笑い始めた。ロレンツォの顔がどう見えていたかは、ハンクにしか分からない。
「何のことだか、さっぱりだ。」
ロレンツォがハンクに釣られて小さく笑い出すと、ハンクは短い言葉を加えた。
「大丈夫か。」
言われたロレンツォの笑いは止まらない。
「それは君だ。自分の口座に、直接、金を振り込ませてシラを切るって。逆にギャングだ。」
ハンクに、渋い顔が戻ってきた。
「お前、甘いな。いいか。振り込んでたのはヘルムートだろ。そのままだ。あいつは、疑われたら、すぐに金を払ってきた。どうしても、犯人を捕まえろって。副業みたいなもんだ。本業と同じ目的だが、もっと動ける様にってな。」
ロレンツォが笑顔を消すと、ハンクはもう一つの秘密を明かした。
「あと、市長もだ。そっちは分からなかったろ。金が回ってる先には、俺も入ってる。勿論、クロノス事件のフォローだ。調べりゃ分かる。振り込み方もマニュアルがある。クロノスの話をしときゃ、ランチも銃もタダだ。」
言葉を失ったロレンツォに向かって、ハンクは語気を強めた。
「犯人だと思われた金持ちが、ちゃんと調べてくれと言った。俺が、犯人はそいつのガキだと気付いた後も、その金持ちは金を払い続けた。どういうつもりだったかは知らん。そいつが死んだ後は市長からだ。俺は全力で仕事をしただけで、金回りがよくなった。それだけだ。ろくに知りもしないで、下らんことを口にするな。」
ハンクの低い声は、張り詰めた空気をつくるのに十分。
彼が求めているのは、ロレンツォの反省。
しかし、密室で睨み合う緊張を破ったのはハンク。渋い顔の口元が緩んだのである。
「完璧だろ。」
不意に笑顔に変わったハンクが話しかけると、ロレンツォも微笑みを返した。
「出来過ぎてる。」
ハンクが顔を横に振りながら笑うと、ロレンツォは静かに笑顔を消した。
別れが、猛烈に惜しくなったのである。
「悪かった。これで忘れる。また、縁があったら会おう。」
ハンクは、瞳に寂しい色を浮かべて、ロレンツォを見つめた。
「ああ、絶対な。」
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