第42話 灼熱(6)

文字数 1,753文字

スーツ姿のロレンツォは、ソルのベッドの上で目を覚ました。
最初は自分がどこにいるのか分からなかったが、枕元の古びたスタンドには見覚えがある。このシールの剥がれ方は、自分の部屋で間違いない。
外で酔いつぶれた後、運ばれたのである。
重い胸元は、酒が残っている証拠。視界ははっきりしない。
後悔するべきことが多い筈のロレンツォは、しかし、すぐに起き上がった。
それは、臭いと音と熱さのせい。そう。暑さではなく熱さ。
ロレンツォは、扉のレバーを握り、すぐに離した。握っていられない程、熱かったのである。
そのまま終われないロレンツォは、ハンカチを握ってレバーを持つと、扉を大きく開いた。
ロレンツォの目の前に開けた世界。
それは炎の世界。
床から炎が上がるだけでなく、天井を炎が走っている。
壁紙は縮み、固く太い木の柱でさえ、火をまとっている。
廊下に顔を出したロレンツォは、文字通り、燃える様な熱気の中で、左右を見渡した。
階段まで、炎が埋め尽くしている。奥のナバイアの部屋までも同じ。
どう考えても、逃げなければならない。
回転が鈍っているロレンツォの頭脳がはじき出した答えは、絶対に間違っていない。
消防車のサイレンは聞こえない。頼れるのは自分だけである。
ロレンツォは、扉を閉めると部屋を見渡した。
ロープの代わりになるもの。近いのはシーツ。
ロレンツォは、ベッドからシーツを剥すと、窓の外を見た。
集まる野次馬の中にナバイアの顔が見える。彼が外にいる理由は分からない。
隣りにはスヌーピー。それにウッドストック。寄り添っているので、二人は夫婦かもしれない。
少しだけ驚いたロレンツォは、取敢えず、窓のガラスを割り、枠にシーツの端を括り付けた。しかし、短い。脆い木製の枠がどれだけもつかも分からない。
シーツを剥す時に大きくずれたマットレスを思い出したロレンツォは、大きなバネの塊を持ち上げた。枠から出なければアウトだが、意外なところに幸運はある。
ロレンツォは、きれいに枠を通ったマットレスを、勢いよく外に押し出した。屋根の上で止めないためである。
一方で、マットレスが落ちてくると、地上のナバイア達はまずは慌てたが、シーツを握ったロレンツォが姿を見せると、全てを理解した。
ナバイアの指示でスヌーピーも動き、二人で窓の近くにマットレスを置き直す。
ロレンツォのゴールはそこである。
窓から乗り出し、屋根に足をかけたロレンツォは、屋根が思ったより熱くないことを知った。火元は二階の可能性が高い。今はどっちでもいいことである。
ロレンツォは、シーツを握り、手が伸びきるまで、屋根を這い降りた。
屋根の端まで降りるので精一杯だが、窓から直接飛び降りるよりは遥かにマシである。
マットレスまでの距離は、四メートルぐらい。
イメージとして、落ちても人が死ぬ高さではないが、経験がないのは確か。
やがて、ソルの二階の一部が崩れると、開け放った窓から噴き出した熱風がロレンツォを襲った。
人間の限界を超える温度。肉を焼く熱量である。
覚悟を決めたロレンツォは、シーツから手を離すと、マットレスを目指して飛んだ。
その瞬間、ロレンツォの脳裏を過ったこと。
シャビーのマットレスよりも古い記憶。
ソルに泊まった初日。ここのベッドは固いと思ったことだった。

野次馬から声を浴びながら宙を舞うと、頭をしっかりと抱えたロレンツォは、マットレスに着地し、続けて、地面を転がった。勢いを消すために必要なことである。
仰向けになり、ゆっくりと呼吸を整えるロレンツォを皆が取り囲むまでに一秒。
体の痛みもあるが、ロレンツォが困ったのは、興奮で震える自分の抑え方である。
間もなく諦めたロレンツォは、震えに気付かれない様に四肢を地面に預けた。
消防車のサイレンがはっきりと聞こえるが、あるいは、もっと前から聞こえていたのかもしれない。
空は暗いが、ソルが放つ炎のせいで、皆の顔がはっきりと見える。
ナバイアにスヌーピーだけではない。その中に、今、駆け付けたのか、ハンクの顔も混ざっていた。
下から見上げる彼は、明らかに酔っ払いの顔をしている。それでも、ハンクの口から出た言葉はいつも通りだった。
「大丈夫か。」
絶対に大丈夫ではない。
ロレンツォは、ハンクを見ながら、顔の火照りを意識した。
酔いのせいではない。熱でやられたのである。
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