第31話 必定(1)

文字数 2,987文字

翌日も快晴。昨日よりは暖かいかもしれない。日が昇って間もないこの時間に、商店街を歩く人影がいつもより多い理由は、そのぐらいしか浮かばない。
ソルの前のアスファルト舗装の片道三車線。
広すぎる車道に沿う歩道を歩くのは、老人に女性に老人に老人。それから子供に壊れた男。
老人の行先は分からないが、皆に混ざるカラフルな薄着の女性が目指すのは自宅だろう。
異質な人間が社会から浮かび上がるのが早朝。この町にも、昼とは違う世界が存在するということである。
ヌルい空気に撫でられる様に目覚めたロレンツォとナバイアは、ウッドストックの運んでくる朝食を食べることにした。それは半分眠っている様な無気力のせい。
きっと、ハンクのせいで、今日は退屈な一日になる。市長の隣りにいた男が凄んだなら、そうなるべきなのである。
トルタ・サンドイッチを機械的に口に運んだ二人は、シャビーが名を挙げたアンヘリートの元を訪ねることにした。
アンヘリートが事件に絡んでいる可能性は限りなくゼロに近いが、シャビーが指した以上、何もしない訳にはいかない。それがしりとりのルールである。
向かう先は彼の自宅。
車が不意に坂を下り、子供を引きかけた場所。近寄ると、背筋に力が入る場所。
インターカムに出たスーザンは、突然の訪問者がロレンツォと分かると、十秒で玄関に姿を現した。腕のタトゥーを隠さないのが彼女である。口を開いたのはロレンツォ。
「おはようございます。御主人と少しだけ話したいんですが、今、中にいらっしゃいますか。」
スーザンの答えは早い。
「ええ。入って。」
ロレンツォは、目の笑っていないスーザンに向かって微笑んだ。
「出来れば、僕達とご主人だけで話したいんですが。」
「駄目。私も聞くわ。」
ロレンツォが三人での会話を求めたのは、前回と展開を変えたかったから。
スーザンが四人での会話を求めたのは、警察を信用していないから。
理解できるロレンツォは、誠実な顔をつくった。おそらく、笑顔は逆効果である。
「ご主人が犯罪に関わる様なことをしていないのは、分かっています。ただ、捜査に関係があるのに、奥様の前では言いにくいことがあるかもしれません。分かってもらえませんか。」
スーザンは目で抵抗を見せたが、程なくして、疲れ気味のアンヘリートを玄関に送り出した。彼女は、夫を知っているのである。
妻に諦められたアンヘリートを迎える先は、SUVの後部座席。並ぶのはロレンツォ。ナバイアは助手席。いつもの布陣である。
ロレンツォは、笑顔で口を開いた。
「ミスター・モレノ。あなたの名前が意外な人物から挙がりましたよ。」
アンヘリートが鋭い眼光だけを返すと、ロレンツォは言葉を続けた。
「シャビーです。」
ロレンツォが実名を口にしたので、流石にナバイアは苦笑した。
それは、ロレンツォには、シャビーがどうしても許せないということ。期待通りのことが起きて、アンヘリートの人生が変わったとしても、きっと、彼は構わないのである。
大体のパターンを知るアンヘリートは、ゆっくりと顔をしかめたが、出来るのはそこまで。
表情の変化を静かに観察したロレンツォは、言葉がないと見ると、話を進めた。
「最近、シャビーと揉め事でもありましたか。」
ロレンツォの問いかけに目を細めたアンヘリートは、すぐに素直な答えを選んだ。
「ぶん殴ってやった。」
爽やかなぐらいである。ロレンツォとナバイアは小さく笑った。口を開くのはロレンツォ。
「もう少し詳しく教えてもらえませんか。」
アンヘリートは、ロレンツォの微笑みから逃げて、窓の外を見たが、二秒で諦めた。
「あいつとは知合いだ。ライト・ハウスでよく見た。」
ありそうな線にロレンツォの相槌も軽い。頷きながら言葉を続けるのはアンヘリート。
「あんた達がうちに来た後、あいつに呼び出された。あいつが俺の前のことをあんた達に話すって言ったんだ。」
目に浮かぶ様である。ロレンツォは笑顔で口を挟んだ。
「それは腹が立ちますね。」
アンヘリートは、呆れた顔を横に振った。
「そのぐらいじゃ殴らない。そりゃあ、あいつが話してないってことだ。許すつもりだった。それが、あんた達にそう言われたって言ったら、秘密がまだあると来た。」
シャビーは、綱渡りの綱の上で寝起きする生き物なのである。下らなすぎるが、尋ねたロレンツォには最後まで聞く義務がある。
「そんな秘密があるんですか。」
アンヘリートは肩をすくめた。
「ないよ。あっても、あんた達の前で言わないぐらいのことだ。」
ロレンツォとナバイアが声を出して笑うと、アンヘリートは急いで言葉を続けた。
「あの馬鹿は口で言っても分からない。絶対に反省はしない。ぶん殴ったら、怖くなって、暫く静かになる。そのうち次の揉め事のせいで忘れる。そういう奴だ。」
ロレンツォは、顔を引き締めた。
「それなら、殴られた腹いせに、あなたの名前を口にしたと言うことですね。」
アンヘリートは、ロレンツォとナバイアの顔を順番に見た。
「俺はそう思うけど、どうだろうな。あんた達が信じないって言ったら、無駄なんだろ。」
ロレンツォは、首を傾げた。
「僕達は、事実をありのままに整理しているだけですよ。憶測でものを言うのは止めましょう。今日の僕達の成果は、あなたとシャビーが、僕達に何かを尋ねられると、呼び出し合う様な仲だと言うことです。」
基本的に、ロレンツォは犯罪者が嫌いである。
アンヘリートはゆっくりと瞼を閉じたが、すぐに鋭い目でロレンツォを見た。
「捜査官。俺はもう自警団に合流したいんだ。何とかならないか。」
「どうして、そんなに捜索に協力したいんですか。」
ロレンツォが言葉を被せると、アンヘリートは掠れた声を返した。
「一緒に歩けば分かる。」

ロレンツォとナバイアは、アンヘリートに言われるまま、商店街にSUVを走らせた。
決して人の多い町ではないが、それなりに賑わう時間である。三人が車から降りた時、何人かの顔の向きが変わったのは自然なこと。但し、ロレンツォが見たのは、それだけではなかった。
音に反応しただけの何気ない目が変わっていくプロセス。
一瞬で、敵意が湧くのである。
「歩こう。」
アンヘリートの言葉で三人が歩き出すと、道行く人々は、次々と同じことを繰返した。勿論、全員ではないが、一度でも驚く様なことが二度や三度では終わらない。
時間差で追ってくるアンヘリートの噂も酷い。はっきりとは聞き取れないが、人殺しのそれで間違いない。
アンヘリートは、前を見たまま、口を開いた。
「今、聞こえてるのが俺の全部だ。嘘もあるが、俺はそんなもんだ。忘れてることもあるから、俺に直接聞くよりは余程詳しいぜ。」
ロレンツォは、通り過ぎる住民達の顔を、改めて眺めた。優しそうだと感じた者も何人かいるが、目付きが変わると別人の様である。
「以前から?」
ロレンツォの問いかけに、アンヘリートは軽く仰け反った。
「冗談だろ。あんた達が家に来てからだ。シャビーみたいな誰かが噂話を始めて、この様だ。客が来ないから、商売にもならない。犯人が早く捕まらないと、引っ越しだ。全部、一からだ。」
それも含めて、殺人犯への罰と信じるロレンツォは微笑んだ。
「それで、捜索に力を入れてるんですね。自警団に強面が多い理由が、正直、分からなかったんですよ。納得しました。」
アンヘリートは、連邦捜査官と自分の間の高い壁を思い出すと、口を固く結んだ。
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